中学受験で落ちた瞬間、『あー、これで人生詰んだな』って思いました。もう二度とエリートになれないんだって。

でも最終的に、中学受験の志望校より、はるかにレベルの高い早稲田に進学しましたね」

 こう話してくれたのは、中学受験で大失敗し公立中学校に進学した中村さん(仮名)。強いコンプレックスを抱えながら、中学生まで『凡人コース』を歩んでいたといいます。

「中受の塾が同じだった子と地元の駅で会ったら、気づかれないようにマスクで顔を隠したりしていて。あいつは『中受に落ちたバカだ』って思われている気がした」

 しかし中村くんはその後、高1で突然シンガポールへ渡ることに。その後2年間以上の海外経験を経て、帰国子女枠というで早稲田大学政治経済学部に合格しました。

 実は中学受験で失敗したような学生も、大学受験の段階でリベンジができる機会が、近年増加しています。推薦入試が増加していることにより、学力試験以外の入試方式が増えてきたからです。

「中学受験の時から、早稲田なんて考えられないような成績だった」と語る中村くん。

大学受験での一発逆転の裏には、何があったのでしょうか? 

期待したエリートコースから一変「中学受験全落ち」

 田園都市線沿線の高級住宅街で生まれ育った中村くん。都内でも中学受験をする割合が高い地域のため、小学4年生の頭には、中学受験の対策塾に通い始めたそうです。両親は共働きで、どちらも大手ゼネコンの研究職として勤務しています。

「小学校三年生までは、ピアノや水泳など複数の習い事をしていましたが、全部やめることになって。今考えると、急に勉強一色の生活になったな、と感じます。その時は友達も皆おんなじ感じだったので、特に寂しいという気持ちはなかったです」当時をそう振り返ります。

 塾での成績も中の上レベルで、順調に勉強に打ち込んでいました。しかし、小学6年生の受験本番、転機は突然訪れることになります。

 小学6年生の冬、周囲の友人たちが偏差値70超の名門中高一貫校に合格していく中、自分は第1志望の都立中高一貫校に不合格。期待していたエリートコースから一転、地元の公立中学への進学が決まってしまったのです。

「エリートと凡人が決まる分岐点、それが小6の冬だと、当時は思った」という言葉からは、12歳にして将来を悲観した当時の絶望感がにじみ出ています。

 そんななか進学した公立中学では、ごく普通の生徒としての日々が始まります。かつて競い合った友人たちは難関中学で先取り学習に励み、将来の東大・早慶候補と騒がれている。一方、「凡人」として目立つこともなく、周囲からの期待も失われている自分。

「中学受験で人生が決まるなんて…極端な考え方ですよね」と苦笑する中村くんですが、当時は本気で、学校に行くたびに「あいつは中学受験で落ちたやつだ」と後ろ指をさされているような気がしていたといいます。

高校受験でなんとか第一志望へ

 地元の公立中学に進んだ中村くんは、その後の高校受験ではなんとか巻き返そうと考えます。中学3年間で必死に勉強し直し、都立の進学校を目指すことにしたのです。中村くんは努力を重ね、高校受験では偏差値58程度の都立高校に合格しました。地域ではそこそこの進学校ですが、超トップ校というわけではありません。

 偏差値58の都立高校へ進学できたことで周囲からは「健闘したね」と言われましたが、中村くん自身は手放しで喜べなかったようです。というのも、中学時代の中村くんの成績は基本的にオール3で平凡そのもの。高校に入っても成績上位層には太刀打ちできなかったからです。


もう学歴エリートの道は無理だなって悟った。中学受験のときに優秀な同級生に並んでいたことをずっと引きずっていたけど、そもそもの出来が違うんだなと、その頃には悟るようになっていました」と言います。

 高校にはいってからは、高校入試の反動で部活や遊びに熱中し、高1の終わり頃には成績は下位20%にはいるようになります。「このまま行ったら日東駒専、下手すりゃFランだな」と感じていたそう。

 「中堅どころの都立高校って、下位層の進学実績はかなり厳しいんです。仲のいい部活の先輩も、全く聞いたことのない私立に進むというのがザラにあって。

その頃はもう中学受験のコンプレックスも忘れ始めていて、勉強が苦手な自分を受け入れだしてました。悪い意味での、諦めです

突然のシンガポール移住と現地インター校での生活

 そんな中村くんに、高校2年生の春、思いもよらない転機が訪れます。父親の海外転勤が決まり、家族でシンガポールへ引っ越すことになったのです。ある日、親から「お前、来月からシンガポールな」と突然告げられた中村くんは、「マジで何言ってんの?ってなった」と当時の驚きを語ります。

 まさか自分が海外で暮らすことになるなんて夢にも思っていなかった中村くんは、まるで寝耳に水。「冗談だろ?」と思いつつも、日本を離れざるを得ませんでした。

 シンガポール到着後、中村くんは現地のインターナショナルスクールに編入します。それまで海外経験はゼロ。異文化の学校生活は完全に未知の環境で、不安だらけだったと言います。

 編入初日は雰囲気に圧倒され、「ここでやっていけるのか」と心が震えたそうです。制服ではなく私服で通学する自由なスタイル、様々な国籍の生徒たち、そして英語だらけの教室――何もかもが日本の学校とは違っていました。

 当然ながら授業もすべて英語。中村くんにとって、高2の途中から放り込まれた英語環境は過酷で、文字どおりゼロからのスタートでした。

現地校は「動物園」のような環境で、英語力も不十分

 シンガポールのインター校でまず中村くんが衝撃を受けたのは、校内の雰囲気でした。日本の学校では考えられないような自由奔放さで、生徒たちは伸び伸びと(時にだらしなく)過ごしています。

 「教室はマジで動物園みたいでしたね」と半ばあきれたように振り返ります。教室内は騒がしく、教師の話をまともに聞いていない生徒も珍しくありません。中村くんは「授業中にベイプ(電子タバコ)吸ってるやつが普通にいた」と笑います。日本の学校なら即停学になりそうな行為も、こちらでは日常茶飯事。

 秩序を乱す生徒も多く、教師もあまり細かいことは注意しないため、日本の感覚からするとまさにカオスです。

 さらに中村くんを苦しめたのは言葉の壁でした。編入当初は英語がほとんどわからず、授業についていくどころか黒板に書かれる内容すら理解できない日々。難しい専門用語が飛び交う授業では、教室にいても内容が頭に入らず、「最初の数ヶ月は授業がBGM状態でした」と中村くんは苦笑します。

 必死に聞き取ろうとしても雑音にしか感じられず、教科書を開いても知らない単語だらけ。テストも何を問われているのかすら分からない有様でした。当然、成績も振るわず、自信を喪失しかけます。

 そうした中で目にしたのが、クラスメイトたちの勉強への姿勢でした。同じクラスでも、勉強に熱心な生徒と全くやる気のない生徒の差が激しいのです。優秀な生徒は驚くほど博識ですが、一方で授業中に居眠りしたりおしゃべりばかりの生徒もゴロゴロいます。中村くんにとって幸い(?)だったのは、周囲の多くがゆるい態度だったことです。

 「正直、まともに勉強しない生徒もたくさんいて驚きました。日本との学力格差が激しくて、ちょっと安心した部分もありましたね」と中村くんは当時を振り返ります。自分一人が成績不振なのではなく、環境自体が日本の進学校とは大きく異なる――そんな状況に少しホッとしたといいます。

集合写真に写る中村くん(前列中央)

成績操作が容易な海外校――「取れる成績」を取る

 やがて中村くんは、英語漬けの環境にも徐々に慣れていきます。最初は苦痛でしかなかった授業も、半年も経つ頃には概要を理解できるようになりました。

 それと同時に、ある“攻略法”に気づいたと言います。海外のインター校では評価方法が日本の学校と大きく異なり、評価システムが甘いため、最低限の努力で高成績が可能だということです。テスト一発で成績が決まる日本とは違い、宿題や発言、小テストなど平常点の積み重ねが重視されます。

 裏を返せば、それらをきちんと出しさえすれば大きく減点されることがありません。中村くんは「とりあえず課題出して、適当に発言しとけば成績A取れるって気づいた」と打ち明けます。

 実際、中村くんは自分なりのサバイバル術で成績を上げていきました。授業内容のすべてを理解できなくても、「取れる成績」を取ることに徹したのです。

 例えば提出課題は多少内容が拙くても期限までに必ず提出する、授業では積極的に発言して参加態度の良さをアピールする、といった具合です。幸い、教師も日本ほど厳しく答案を採点しません。宿題を出し忘れず、授業中に1回でも発言しておけば「Well Done!」と評価してくれる先生もいたと言います。

その結果、主要科目では軒並みA評価を獲得し、通知表(成績表)はみるみるうちに改善しました。

 「正直、日本の学校より全然チョロかったですね」と中村くんは苦笑します。必死に深夜まで勉強しなくても、最低限の努力で高成績さえ取れてしまえば教師受けも良くなります。周囲には宿題を平気でサボる裕福な家庭の生徒も多かったため、真面目さをアピールするだけで「君は頑張っているね」と評価されたこともあったそうです。

「日本の受験戦争とは違い、いかにシステムを活用するかがカギ」と中村くんは言います。がむしゃらに点数を競うのではなく、“評価を稼ぐコツ”を掴んだ者勝ち――そんな海外校の実態を肌で感じたといいます。

校外学習での様子(右が中村くん)

帰国子女枠という「特権」の活用

 こうして何とかシンガポールで高校課程を修了した中村くんは、日本の大学受験において強力な武器を手にしていました。それが「帰国子女枠という『特権』」です。

 高校卒業までに英語力は飛躍的に向上し、成績表も見映えのするものになりました。日本に帰国した中村くんは、この帰国生入試の制度を最大限に活用し、早稲田大学政治経済学部の帰国子女入試に挑みます。

 一般入試とは異なり、必要なのは志望理由書や現地校での成績証明、英語のスコア(TOEFLなど)と、小論文試験のみでした。日本の受験生が何科目もの筆記試験対策に追われるのとは対照的に、中村くんに課された筆記試験はたった一つ、小論文だけだったのです。

 結果は見事合格。狭き門と言われる早稲田政経に、一発勝負の学科試験なしで滑り込むことができました。中村くん自身、合格発表を見たときは飛び上がるほど嬉しかったそうですが、それ以上に「なんだ、こんなもんか」という拍子抜けした気持ちもあったと言います。

 「一般入試なら100%無理。でも帰国枠なら余裕だった」と中村くんは率直に語ります。中学・高校と日本国内の受験競争で苦戦してきた自分が、帰国子女という肩書きを得た途端に日本有数の難関大に入れてしまう。この経験は中村くんにとって痛快であると同時に、日本の受験制度への違和感を強くするものでした。

 「帰国子女入試って、学力より海外経験をアピールする場」と指摘します。

 実際、試験では現地で培った経験やグローバルな視野を問う内容が重視され、彼のこれまでの海外体験そのものが評価されたと感じたそうです。

 言い換えれば、あのまま日本に留まって一般受験をしていれば到底届かなかったであろう早稲田合格を、海外で過ごしたという“経歴”のおかげで手に入れたとも言えます。中村くんにとって、帰国子女枠はまさに逆転の切符であり、自分が「特権」を活用したのだという自覚もありました。

学歴と財力――勝ち組ルートのリアル

 中学受験で大失敗したものの、帰国子女入試という制度の恩恵を受け、見事念願の難関大学に合格した中村くん。しかしその舞台裏には、無視できないある前提があります。それは経済的な余裕。

 シンガポールのインターナショナルスクールの学費は、中村くんが把握しているだけでも年間300万円はくだらないとのこと。生活費も含めれば一家での海外生活には莫大な費用がかかります。中村くんの家庭も、親の会社の手厚いサポートや収入があったからこそ海外赴任に家族で同行でき、現地校に通わせることができました。経済力がなかったら、日本に残って普通に受験勉強を続けるしかなかったでしょう。

 中村くん自身、今回の自分の進学ルートについては冷静に分析しています。「帰国子女枠って要するに、金で学歴を買うルートだよな」と彼は苦い笑みを浮かべていました。

 実際、誰もが安易に真似できる道ではありません。シンガポールでの経験や英語力が身についたとはいえ、そこに至るまでの環境整備には多大なコストがかかっています。中村くんはその点を強調するように、こう続けました。

結局、自分の最終的な進路では、中学受験の結果はどうでもよかった。大失敗した時には、あんなに絶望したのに。推薦が増えている今だと、中受より海外行っちゃう方がコスパはいいですよね」

 帰国子女枠という制度は一見、多様な経験を持つ人材を積極的に受け入れる懐の深い制度にも思えます。しかし中村くんのようにその裏側を経験した者からすれば、それは親の財力によって子どもの学歴を底上げできる抜け道でもあるのです。

 努力だけではどうにもならない壁を感じた少年時代。そして、親の経済力を背景に海外経験という武器を手に入れ、最終的には「勝ち組」とも言える学歴を得た現在。中村くんの歩んだルートのリアルは、日本の学歴社会における「親の経済力」というシビアな一面を物語っているのではないでしょうか。