「相手を思いやろう」「相手の気持ちを考えよう」……日本の学校教育の現場で、特に倫理や道徳の授業において、何度も耳にするフレーズだろう。
相手を思いやっていることと、相手の気持ちを考えることは重要だ。
私たち人間は、他の動物と一線を画する点として、複雑多様な言語を意思伝達の手段として用いるためだ。
特に、文字の発明は大きい。その場にいなくとも、極端な話をすれば、1000年前に死んだ人物の言葉であっても、書き言葉の形で後世に伝え続けることができる。
口伝では、覚え間違えや伝承者の突然死などのエラー要素が無視できない。
我々は、一人では生きていけない。
会社に行っても、取引相手がいなければ商売にならないし、暇をつぶそうにも会話相手やゲームの対戦相手など、他者がいて初めて成立するものばかりで社会は構成されている。
だからこそ、コミュニケーションは重要だ。だが、具体的に「コミュニケートする」とは、いったいどのような行為なのだろうか。辞書を引いてみる。

なるほど、「意思や感情、思考を伝達しあう」ことがコミュニケーションというらしい。
いや、待てよ? これは、「伝達しあう」ことは書いてあるが、「相手が受信したか否か」については、全く問題になっていないように見える。
極端な話、相手が一切理解していなくとも「コミュニケーション」なのだろうか。
心は読めないが、身体は読める
これに対して、ユニークな切り口で答えを出した作品がある。『Thisコミュニケーション』(六内丸栄 著, 集英社)だ。

あらすじ
20世紀後半、地球上に突然現れたナマコ状の敵性生物「イペリット」の猛攻により、人類は絶滅の危機にさらされていた。中でも、有毒ガスによる汚染が深刻で、もはや人類の居住可能区域は山岳部などに限られてしまった。世界連合軍に所属していた軍人・デルウハは、命からがら上高地にあるとされる「人類の拠点」を目指して山頂へたどり着く。そこは、人体改造によってつくられた「ハントレス」と呼ばれる人外の膂力を振るう6人の少女たちに守られた人類最後の安寧の地であった。
ハントレスは、死亡しても「死の1時間前の自分」を自動的に再構築して復活する不死身の兵隊。だが、この人間兵器には、大きな欠陥があった。互いに協調性がなく、精神的に非常に不安定であり、およそ作戦行動と呼べる動きができなかったのだ。デルウハは、「1日3回の食事」を引き換えに、彼女たちの指揮を買って出る。「都合が悪くなったら、殺して1時間分の記憶ごと『悪くなった都合』を消し去ればよい」。恐ろしく合理的な男による非倫理的な「コミュニケーション」が始まろうとしていた。
ストーリーを盛り上げる要素自体は、襲い来る怪物と、それに対抗する人類および最終兵器たちの戦いや、閉鎖空間での人間同士のいさかい、狂気などなのだが、タイトルからもわかる通り、本作は「コミュニケーション」に主眼が置かれている。
これは本来、相手との「伝え合い」を主とするはず。
であれば、「相手の立場を思いやる」ことが重要だ……と、ついつい考えてしまう。
だが、我々は自分の頭の中から出られない(『ジャンケットバンク』天堂弓彦も同じことを言っていた)ため、究極的には相手が何を考えているか、感じているかは、不明なのだ。
あくまで、「自分のかけた言葉に対して、相手がどう感じたか」を身体的反応から読み取るしかない。
であれば、「相手の反応」自体が、幻想に過ぎないのではないだろうか?
つまり、「自分が読み取った相手の反応」は、「自分の想像・妄想・思い込み・勘違い」にすぎないのであって、真に「相手が何を考えているか」とは全く関係がないのだ。
先述の『ジャンケットバンク』では、ギャンブラーたちが相手の思考をあらゆる体表の反応から読み取るが、これらは超能力などではなく、絶え間ない観察と推理の繰り返しによって成り立っていると描写される。

デルウハは、様々な場面で「相手の反応」を無視する。
合理的極まりないこの男は、「相手がどう感じるか」など一切考えず、「相手が考えていそうなこと」「相手が欲しがっていそうなこと」を一つ一つの言葉から調査して、それらの調査結果を基に相手の反応や好感度を逐一コントロールする。
この時、「相手から自分がどう思われているか」は一切感情に入れないところが、非常に彼らしい。
「どう思われているか」はやはり答えがないため、「ウケが良い言動」「ウケが悪い言動」「直接利害に関係する言動」を重ねることのみが、我々にできうる最大限の努力なのだ。
合理を極めて非合理に行きつく
だが、不可思議極まりないことに、意思疎通を放棄した彼こそが、本作にて最も「心」を理解しているように見えてしまう。
6人のハントレスたちは、それぞれ違った個性と悩み、弱点を抱えているが、デルウハはこれらを見抜くことで、都合よく彼女らを操る。
しかし、そのために彼は少女たちの言動や一挙手一投足を日常から観察し、誰がどのような発言を行いがちか、それがどのような結果を招くか、いさかいに対して周囲のものがどのように行動するかをすべて記録している。
だからこそ、彼には「相手の最も欲しい言葉」が手に取るようにわかってしまう。

コミュニケートの究極形は、心を通わせることだと思う。だが、前述のとおり、「心が通う」ことは、脳みそを電極で並列つなぎにでもしない限りはあり得ない。
だからこそ、「心が通っている」と相手に思わせることこそが、最良の選択肢なのだろう。
そして、それを実現するためには、絶え間ない観察と実験……すなわち、科学の手法こそが最も適しているのだ。
最もコミュニケーションに悩む職業と言えば、医者だ。相手が重病であるとき、もう助からず余命宣告をしなければならないとき、臨終に立ち会って親族に死亡宣告をするとき……あらゆる発言に命や生存が絡むため、一言一句油断できない。
これは正確性だけの話ではない。
仮に末期がんで余命6カ月の患者がいたとして、呼び出して「あなたはガンです。末期で、抗がん剤も手術も意味がありません。余命はおよそ6カ月で、これ以上は尽くす手立てが一切ありませんので、それ以上生き延びることは困難です」と伝えられるだろうか?

そんなことをすれば、追い詰められた患者は自暴自棄になって、暴れだしたり犯罪に手を染めたり、はたまた自殺を考えたりするかもしれない。そうなれば、担当医であるあなたの責任はもちろんのこと、病院、ひいては医学会全体を震撼させる大問題に発展するかもしれない。
「本当のこと」と「言ってもいいこと」は別の話。
だが、病状説明は「言わなくてはならないこと」で「本当のこと」だからこそ、行う義務がある。
そして、医者に掛かっているのだから、身体のどこかしらに異常をきたしていることは明白だ。あなたの説明は、たいていが患者の精神にマイナスな影響を与える。
だからこそ、ここで重要になるのが「伝え方」だ。
どのように伝えれば、相手の精神を傷つけずに、軟着陸させられるか。
被害は既に出ているが、あなたのコントロール次第では、より少ないダメージで済むかもしれない。
これを考えさせるような問題が、2014年の愛知医科大学にて出題された。問題文は以下の通り。
「あなたにはこれまで3年間真剣なお付き合いをしてきて、来年くらいに結婚の約束をしている彼ないしは彼女がいるとします。ところが2カ月前にふとしたことで知り合った別の人が好きになってしまい、今付き合っている人と別れる決心をしました。600字以内でお別れの手紙を書いてください」(2014年愛知医科大学小論文)

この状況、一見すると医者と関係がないように見えるかもしれないが、やはりこちらも「相手にダメージがいく」ことが確定しており、「自分の伝え方で損傷の程度が変化する」点において、同じ状況と言えることがお分かりいただけるだろうか。
3年間も「真剣な付き合い」とやらをして、来年に結婚の約束をするのだ。
双方ともに20~30程度の結婚適齢期にあるのだろう。今から結婚相手を再度探したら、適齢期を通り過ぎてしまう可能性がある。
ライフステージも、キャリアプランも、組みなおさなくてはならない。
そんな中で、「2カ月前に出会った人が好きになりました。別れてください」なんて、あまりにも自分勝手にもほどがある。人の心とかないんか?
だからこそ、伝え方が重要だ。「別れましょう」だけでは、相手の気持ちに甚大な被害が予想される。
あくまであなたは、きっと今の恋人を嫌いになったわけではないのだろう。あくまで「もっと好きな人」ができただけで、今の人も好きは好きなのだ(それはそれで、「もっと好きな人」とやらはなんなのだ、とツッコみたくなるが)。
嫌なことを言えば、3年付き合ったパートナーを放流すれば、相手の年齢や覚悟の次第によって、血を見る事態になりかねない。
だからこそ、なるべく穏便に場を納めたい。この問題の本質は「どうやって、相手の気持ちを傷つけないように、真実を伝えるか?」にあるのだ。
ところで本連載は「サブカルの力を用いて総合型選抜を攻略する」をモットーにしているので、今回は私の考えた回答も付記する。
私が提案する方法とは「予感」によってワンクッション挟むやり方だ。
状況設定を見る限り、この馬鹿者は一切恋人に対して「好きな人ができた」と伝えておらず、いきなり手紙で最後通牒を叩きつけるアクロバティックな宣戦布告を希望している。
となれば、「別れましょう」から始まれば、混乱によってそれ以降の文章を理解してくれない可能性がある。
理想は、初手で不吉な予感を醸しだしつつ、様々な回り道を経て「嫌な予感」を醸成し、最後の最後で「だから、別れましょう」と決定打を放つことではなかろうか。
また、その際にも「自分の都合」だけではなく、なるべく「相手の都合」に言及しながら話をまとめたほうがよさそうだ。
つまり、「私はこの人が好きになったので」ではなく「他に気になる人ができてしまい、気もそぞろなままであなたの前に立ち続けるのは、不誠実にもほどがある」と、あくまで相手を気遣って消える方向に軟着陸させたい。
それらを踏まえて作成した回答例が以下の通り。
この手紙を書くことを、本当に申し訳なく感じています。楽しいこともつらいことも、あなたと分かち合ってこられた日々は、自分にとってかけがえのない大切な思い出です。 来年の結婚も、それ以降の未来も、何度も思い描いてきました。本当に大切に感じているからこそ、こうして手紙で大切な話を伝えることになってしまうことを、とても心苦しく感じています。
正直に打ち明けると、二カ月ほど前に知り合った人のことを好きになってしまい、自分の気持ちの変化から目をそらせなくなりました。 あなたを傷つけると分かっていながら、このまま何もなかったように結婚へ進むことが、自分にはできません。他に好きな人ができた以上、あなたと恋人として一緒にいる資格はないと感じ、別れを選ぶべきだと考えました。 勝手な理由で本当に申し訳ありません。
あなたに対して不満があったわけではなく、むしろ支えてもらってばかりだったことを思い出し、その恩をこんな形で返してしまうことが情けなくてなりません。 それでも、嘘を抱えたまま隣にいることは、あなたに対してもっと失礼になると思いました。 どうか、この決断があなたの価値を否定するものではないことだけは信じてほしいです。
今まで自分に向けてくれた優しさや時間に、心から感謝しています。 あなたがこれから出会う誰かと、心から幸せな未来を築いていけるよう、遠くから願っています。 本当に今までありがとうございました。(594文字)
自分から相手を見るか、相手から自分を見るか
非常に自己中心的な内容であるからこそ、これを攻略するには、「相手から見た自分」の像を理解し、操縦する必要がある。
自分から相手を見ても理解できず、投じられたボールはどう跳ねるか未知数なのだから、あらかじめ「跳ねやすい角度」を狙って投げるべきなのだ。
そう考えると、「相手の気持ちを無視する」ことが、逆説的に「相手の気持ちを慮る」ことへつながっているとわかる。
相手の気持ちを無視して、ある音声信号及びジェスチャーに対して一般的に予想されるリアクションの範囲から、相手の感情を一定の振れ幅の中へ着地させるには、「一般的なリアクションの範囲」「相手の思考の傾向」などを理解しなくてはならないからだ。
そう考えると、デルウハは常に自分のことだけを考えていたが、自分から相手を見るのではなく、会話相手から透かして見た自分の像を常に直視していた。
自己中心的で感情を排する徹底的な合理主義者だからこそ、他者の感情に配慮できる。
これを書きながら、ふと『呪術廻戦』に出てくる大道鋼というキャラクターを思い出した。彼はかつて生きていた剣豪で、呪術の能力を一切持たないにもかかわらず、あらゆる呪いを叩き切る。いわく「それ以外が全て見えているのであれば、それは最早見えているのと同義」なのだそうだ。
同じく、『哲也—雀聖と呼ばれた男』のワンシーンも浮かんだ。ばくち打ちであり、主人公哲也の師である房州は、賽の目を振る鍛錬を怠らず、ついには出目を自在に操るに至った。
これを評した一言こそ「怠惰を求めて勤勉に行きつく」。
先の例は、そしてデルウハの態度からは、何かを突き詰めれば、その結果として、極めたものの対極にある何かに手が届くのではないか、と思わせる。
おそらく、全てはバランスであり、偏ることなく常に両端を意識する必要が出てくるのだろう。
自分の都合だけではなく、相手の都合を加味したうえで、最大限自分の都合を通せるように工夫をする。
全貌を把握してしまうと自己中心的極まりないが、これこそが「コミュニケーション」に他ならない。
本当に合理的に生きるならば、周囲の感情を慮るべきだろう。
合理的に考えれば、人から感情は切り離せないとわかるはずだからだ。
だが、自らを合理的だと感じる方は、きっと周りの感情的な態度が煩わしくてしょうがないのではなかろうか。
とはいえ、それはあなたが非合理的な人物であり、血が通った人間であるが故なのかもしれない。
そもそも、「煩わしい」と感じること自体が、あなたが感情的な人間である証左なのだから。
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