東大生は、実際にどんな「得」と「損」を経験しているのか
「一応、東大です」。東大生の多くは、こんな自己紹介をすると言われています。
なぜ一応と付けるのか?その理由は、「東大です」と言った瞬間、相手の目の色が少し変わるから。それが、東大生に話を聞いていると何度も出てきた感覚でした。
東大というと、「さすが東大」と一目置かれることもある。
話をちゃんと聞いてもらえることもある。
その一方で、「東大なのにそんなことも知らないの?」と、急にハードルが上がることもある。バイトで妙に警戒されたり、雑談でなぜか万能さを期待されたりすることもある。
東大という肩書きは、たしかに強い。
でも、その強さはいつも本人にとって都合よく働くわけではありません。信用になる日もあれば、先入観になる日もある。武器になることもあれば、息苦しさの原因になることもあるのです。
しかも面白いのは、それが就活や受験のような“大きな場面”だけで起きる話ではないこと。
実際には、アルバイトの面接、飲み会の雑談、初対面の会話、ちょっとしたお願いごと――そんな日常のあちこちで、「東大」というラベルはじわじわ効いてきます。
今回は、実際に東大生・東大卒の人たちに話を聞きながら、東大生であることで起きるリアルな「得」と「損」を集めました。
特別な成功談でも、派手な失敗談でもありません。むしろその逆です。
ごく普通の場面でこそ見えてくる、東大という肩書きのやっかいさと便利さ。その両方を、できるだけ生っぽく見ていきます。
Aさんの話──「さすが東大」と言われる、前払いの信用
Aさんは、自分のことを「どこにでもいる東大生」だと言います。
学内で特別目立つタイプではなく、成績も平均より少し上くらい。サークル活動も普通で、自己主張が強いわけでもない。本人としては、いわゆる“エリート然”とした意識はほとんどないそうです。
それでも、大学の外に出ると、空気が変わる瞬間があるといいます。
たとえば、アルバイト先でのこと。
初日に少し仕事を覚えるのが早かっただけで、周囲から「さすが東大だね」と言われたそうです。本人としては「たまたまうまくできただけ」「普通のことをしただけ」という感覚だったにもかかわらず、評価が一段階上乗せされるような感覚があったと振り返ります。
Aさんは、そのことをかなり冷静に見ています。
「正直、自分の実力以上に見られているな、とは思います。でも、得か損かで言えば、得ですよね」
とくに、肩書きで相手を見るタイプの上司や取引先を前にすると、その効果は分かりやすいそうです。
説明を最後まで聞いてもらいやすい。意見を途中で遮られにくい。最初から「ある程度できる人」として扱ってもらえる。
つまり「東大」というラベルが、実力の証明というよりも、最初の信用を前払いしてくれる装置として機能している場面があるのです。
Aさん自身も、その恩恵を否定していません。
「内心では“それはたまたまです”と思っていても、わざわざ訂正はしないです。得な流れに逆らう理由もないので」
東大生であることが、最初の一歩をほんの少しだけ軽くしてくれる。
Aさんが感じていたのは、そうした静かな「得」でした。
Bさんの話──「東大生」と言った瞬間、なぜか構えられる
一方で、東大という肩書きがプラスどころか、むしろ不利に働いたと感じている人もいます。
Bさんがその違和感を強く覚えたのは、大学1年生のときのアルバイト探しでした。
居酒屋で働いてみたいと思った理由は、とても素朴なものです。人と話すのが好きだったこと、接客をやってみたかったこと。それ以上でも以下でもありませんでした。
ところが、最初に応募した店ではエントリーシートで不合格。
「初めてだし、そんなこともあるか」と気を取り直し、次はかなり丁寧に書類を書き直して再挑戦しました。すると今度は書類が通過し、面接まで進みます。
しかし、そこで飛んできた質問は、想像していたものとはかなり違っていました。
「コロナ禍の中で、飲食業界はどう成長すべきだと思いますか?」
「アフターコロナの飲食業界の展望について教えてください」
Bさんは、思わず「ここって就活会場だったっけ」と感じたそうです。
それでも真面目に答えました。けれど、結果は不合格。その後も数件続けて落ち、最終的には居酒屋のバイト自体を諦めました。
この話を早稲田大学の友人にしたところ、「居酒屋バイトでそんなに落ちることある?」と驚かれ、余計にショックを受けたといいます。
もちろん、採用されなかった理由が本当に「東大生だから」だったのかは分かりません。
ただBさんの中には、面接の空気が「東大」と分かった瞬間に少し変わった、という感覚が残っています。
「“意識高そう”“現場に合わなさそう”“すぐ辞めそう”って、たぶん勝手に思われたんじゃないかな、という感じはありました。自分はただ働きたかっただけなんですけど」
東大という肩書きは、能力の高さを期待されるだけでなく、ときに「扱いづらそう」「現場になじまなさそう」という先入観も呼び込みます。
信用を得るラベルであると同時に、距離をつくらせるラベルでもある。
Bさんにとってそれは、はっきりとした「損」の体験でした。
Cさんの話──「東大なのに知らないの?」という、地味に効く圧力
Cさんが語ってくれたのは、もっと何気なく、しかしじわじわと効いてくる種類のしんどさです。
ある日、居酒屋で年上の人たちと話していたとき、話題が昭和のアイドルに移りました。
「ピンク・レディーって知ってる?」と聞かれ、Cさんは正直に「名前は聞いたことありますけど、曲は分からないです」と答えたそうです。
するとすぐに返ってきたのが、
「え、東大なのに?」
という一言でした。
別の日には、「おニャン子クラブを知らない」と言ったときにも、ほとんど同じ反応が返ってきたといいます。
世代的に知らなくて当然のはずなのに、なぜか「東大生なら知っていて当然」という空気が生まれる。知識の量や質に対して、妙な万能感が期待されるのです。
Cさんは、こう振り返ります。
「別に全部知ってるわけじゃないし、むしろ勉強以外のことは普通に疎いです。でも、“東大生なのに知らない”って言われると、地味にダメージがあります」
住民票が世帯単位で管理されることを知らなかったときも、似たような経験をしたそうです。
返ってきたのはやはり、「東大生なのに、そんなことも知らないの?」という反応でした。
もちろん、言っている側に強い悪意があるわけではありません。
多くは軽いいじりであり、何気ない冗談のつもりです。
けれど、その一言が何度も積み重なると、「自分は常に試されている」「何を知らないかまで見られている」という感覚が残ります。
できれば「さすが東大」。
できなければ「東大生なのに」。
この二択で見られることの息苦しさは、外から想像される以上に大きいのかもしれません。
東大生であることは、評価されやすさと同時に、失望されやすさも引き受けることなのです。
有名な東大生でも、「考えすぎ」でつまずくことがある
この種のズレは、無名の学生だけに起きるものではありません。
東大卒でQuizKnockの伊沢拓司さんも、運転免許の学科試験に一度落ちたことがあると明かしています。伊沢さんは、もともと「○×問題なら得意だ」と思っていた一方で、実際の免許試験については「クイズ作家的には0点の問題が並んでいる」「論理関係がおかしい」と振り返っています。
つまり、問題を素直に受けるというより、論理的に読み込みすぎたり、クイズ的な解法を当てはめたりした結果、かえって取りこぼしてしまったわけです。
東大的な「考える力」はたしかに強みですが、それがいつでもそのまま有利に働くとは限らない。場面によっては、考えすぎること自体が不利になることもある――その象徴的なエピソードだと言えそうです。
Dさんの話──冗談にできる強さと、冗談で片づけられる弱さ
一方で、肩書きがあるからこそ、人間関係が回しやすくなる場面もあります。
Dさんは、「自分、頭いいので!」という自虐まじりの冗談をよく使うそうです。
普通なら嫌味に聞こえかねないこの言い方も、東大生であることが共有されている場では、ある種の“お約束”として笑いに変わります。
とくに、小学生や中学生と関わる場面では、そのわかりやすさが強みになるそうです。
「頭いいのに鬼ごっこ遅いじゃん!」
「東大生なのに、けん玉できないの?」
そんなふうにいじられるところまで含めて、場が和む。
Dさん自身も、「このいじられ方は、東大生だからこそ成立している」と感じていると言います。
ただし、その“おいしさ”には裏面もあります。
「頭いいんだから、これくらいできるでしょ?」
「東大なんだから、すぐ分かるよね?」
といった具合に、本来は関係のない能力まで当然のように期待されることも少なくありません。
つまり、肩書きが冗談として機能するとき、それは同時に、無茶ぶりや雑な期待を正当化する入口にもなりうるということです。
Dさんの言うように、そこには
冗談になる強さと、
冗談で済まされてしまう弱さ
の両方があります。
東大という肩書きは、武器にも足かせにもなる
ここまでの話を並べてみると、ひとつのことがはっきりしてきます。
東大生であることは、場面によってまったく違う働きをする、ということです。
ある場面では、信用になる。
ある場面では、笑いになる。
そして別の場面では、過剰な期待になり、無意識の偏見になり、息苦しさの原因にもなる。
同じ「東大」という肩書きが、得にもなり、損にもなる。
しかも厄介なのは、その切り替わるタイミングを本人がコントロールできないことです。
自分はただ普段通りにしているだけなのに、相手の受け取り方ひとつで、「優秀な人」になったり、「意識高そうな人」になったり、「何でも知っていて当然の人」になったりする。
だからこそ東大生は、無意識のうちに振る舞いを調整します。
どこで大学名を出すかを考え、どこまで自分を出すかを測り、期待されすぎないように、かといって過小評価もされないように、言葉を選ぶ。
「一応、東大です」と少し照れた言い方をするのも、その微妙なバランス感覚の表れなのかもしれません。
東大という肩書きは、たしかに強い。
けれど、その強さは、持っている本人にとっていつも快適なものとは限らない。
得をすることもある。損をすることもある。
そして多くの場合、その両方はきれいに分かれているのではなく、同じ場面の中に同時に存在しているのです。




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