昨日、巨人軍監督を務めていた阿部慎之助氏が、長女に暴行を振るった容疑で逮捕されました。
姉妹喧嘩を止めようとした阿部氏が長女を投げ飛ばし、それを長女がChatGPTに相談したところ「児童相談所に通報すべき」と回答が出たため、即通報。
その結果、警察沙汰になってしまったのだそうです。
別に家庭内で不仲が続いたわけではなかったようで、長女の弁明の手紙が出たものの、結果として阿部氏は監督を解任されてしまいました。
犯罪沙汰での解任ですから、再就職も難しいでしょう。
阿部氏の娘さんは、ここまでの騒ぎになるとは思っていなかったそうです。
子どもがAIに相談した結果、AIが提供する「正しそうな答え」を鵜呑みにしてしまい、発生した悲しき事件。どうすればこれを防げたのでしょうか。
今回は、AI時代を生きる子どもたちに、大人がどのようなスタンスで接するべきかについて考察します。
AIは平気で嘘をつく
AIは全ての答えを瞬時に導き出しますが、別に全ての答えを知っているからではありません。
ものすごく雑に言うならば、「文字列に対して、どのような返答がより一般的か」を計算し、それらしい答えを瞬時に生成しているに過ぎないのです。
数年前AIに「布施川天馬ってどんな人?」と聞いてみたときのこと。
「布施川天馬は1987年生まれのプロゴルファーで……」とすらすらウソを並びたてられた時の面白さと恐ろしさは忘れられません。
AIは平気でウソをつきますし、我々の状況も考慮してくれません。
ある程度知識や常識が育っていれば、「いくらなんでもおかしい」と直感的に気づき、自らファクトチェックできるでしょう。
しかし、社会経験や前提知識が乏しい子どもたちには難しい。
「AIという賢いコンピュータが言っているのだから、絶対に正しいはずだ」と無批判に鵜呑みにしてしまう危険性は極めて高いのです。

AIが「個人の人生の文脈」を一切理解できないことを考慮できないままで使用してしまうと、今回のような惨事を引き起こしかねません。
父親に家庭内暴力を振るわれた。常識がある大人なら「それはよくない」とわかるはずです。
ただ、その暴力がどの程度の常習性・悪質性があるかはわからない。どのような流れで暴力に至ったのかもわからない。
だから、まず我々は「え、どうしてお父さんからぶたれたの?」と理由や文脈を聞きだそうとするはずです。
ですが、AIはその辺の考慮を一切してくれません。その結果として「児童相談所に通報すべき」と一番あり得そうな答えを即答してしまいます。
その結果として、阿部家の大黒柱は職を失う結果となりました。
もちろん暴力はよくない。これは大前提ですが、一方で、我々には「対話」という手段が残されているはずです。
少なくとも「警察や児童相談所への通報」は、子ども側が取れる最大火力の抵抗手段であり、これを取ったらもはや対話の余地はないでしょう。
果たしてここまでの影響があると分かって通報したのでしょうか。
手紙の文面を見る限りでは、私はここまでの事態になると思っていなかったのではないかとの懸念が拭いきれません。
確かに、AIの答えは「正しい」かもしれない。社会の常識や大人のロジックに照らし合わせれば、非常に理にかなった、非の打ち所がない優等生的なアドバイスです。
しかし、自分の人生には、自分にしかわからない固有の文脈や感情、かけがえのない経験が存在するはず。
AIはそれらを考慮せず、ただ「それらしい常識に寄り添った答え」を弾き出すだけであり、その結果として何が起きるかを全く考慮してくれません。
AIの出す答えたちは、自分の人生とは独立した、冷たい一般論にすぎず、正論を繰り返すだけの無責任なマシンなのです。本当に大切な決断は、任せられません。
親が監督官になる時代
では、「AIは危険だ。子どもの教育に悪影響だから、一切使わせないようにしよう」と遠ざけるのが正解なのでしょうか。
私は、それもまた間違っていると考えています。
インターネットやスマートフォンがそうであったように、AIは今後、社会基盤として不可欠なインフラになるでしょう。
子どもたち世代にとって、AIをツールとして使いこなすスキルは、読み書きや計算と同じくらい必須になるはず。
「危険だから」とむやみに遠ざけると、子どもの発達・成長の機会を奪いかねません。
無菌室で育てられた子どもが、外の世界に出た途端にウイルスに対応できなくなってしまうように、AIを一切知らずに社会に出た子どもは、AIを使いこなす同世代との間に圧倒的な格差を感じることになるでしょう。だからこそ、重要なのは「遠ざけること」ではなく、「安全で正しい使い方を教えること」なのではないでしょうか。
これからは、親には「AIの使い方を教える先導者」の役割が求められるようになるのでしょう。子どもがAIから引き出してきた「正しそうな答え」に対して、その答えがどのような価値を持つか「判断する監督官」として、付き合い方を教える必要があります。

例えば、AIを使って読書感想文を作ってみる。そして、そこで完成形とせず、そのAIの出力結果を「叩き台」として、親子で対話をするのです。
「AIはこういう風にまとめているけれど、あなた自身はこの本を読んでどう感じたの?」 「AIが挙げているこのデータ、本当かどうか一緒に調べて裏を取ってみようか」と、AIの出した答えを鵜呑みにしない習慣をつけるだけでも、大きく未来は異なってくるでしょう。
親子でAIに親しんで
そのためには、親自身の精通が不可欠。 AIがどのような仕組みで動き、どのような弱点を持つかを知らなければ、子どもが持ち帰ってきた「もっともらしい嘘」を見抜くことも、「AIの答え以上の深い洞察」を与えることもできません。
これからの時代は子ども以上に、親世代にこそ勉強や自己研鑽の必要性が高まります。「自分はアナログ人間だから」「AIなんて難しくてわからない」と敬遠している場合ではありません。
保護者の皆様自身が、新技術に興味を持ち、実際に触ってみて、そのメリットとデメリットを肌で感じることが、子どもたちの”予後”を大きく左右します。それに、親が新しい知識を貪欲に吸収し、AIと賢く付き合おうとする姿そのものが、子どもたちにとって最高の生きた教材になるはず。
AIは、決して私たちの思考を奪う敵ではありません。使い方さえ間違えなければ、子どもたちの可能性を無限に広げてくれる強力なパートナーになります。大事なのは「誰でも納得できる正しそうな答え」に甘んじず、「自分だけの納得がいく答え」を追求できるかどうか。
なんでも金と技術で外注できる現代ですが、親子対話の時間だけは全てに優先して確保すべきかのかもしれません。





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