英語を学び、話すことで、運命の歯車がまわる

今回、抹茶カフェをフィリピンで19店舗フランチャイズ展開する手束良和さんにお話を伺いました。英語を勉強する意味は何?と疑問に思ってしまう受験生は多いですが、英語を学ぶことで人生が開けていく人もいるということは、一つの道しるべになるのではないでしょうか?

いざ、フィリピンでフランチャイズ展開しているカフェへ

こちらが手束さんフィリピンでフランチャイズ展開している『GREENDAY MATCHA CAFE』。外観はカフェチェーンとして、統一しています。

シンプルで洗練された店内の様子。

抹茶ドリンクは注文後、ひとつひとつ丁寧に点てていきます。

こちらの飲み物が「Matcha Banana Pudding Yuragi Fukuoka」245ペソ(約650円)。抹茶にバナナと聞くとびっくりしてしまいますが、優しいほのかな香りと甘みがとっても美味♡ そして、クレープは注文都度オレオとチョコを攪拌し、とろけるマンゴーを加えるという「Oreo Mango Crepe」145ペソ(約384円)。 スターバックスを若干下回る価格設定ですが、1日当たり300円で暮らす庶民も多い中、比較的高級なカフェといえます。


「Strawberry Matcha」245ペソ(約650円)。日本の抹茶カフェでもベリー類と合わせるメニューが増えています。苦さと甘さと酸味が、絶妙なハーモニーです♪ 軽食も扱っており、「Takoyaki」99ペソ(約260円)、「Clubsandwich」215ペソ(約570円)。

UAEでミサイルを目視する数奇な人生へ

――手束さんは先日のイランによる攻撃の際、UAEにいらしたと聞きました。

手束さん:2026年3月×日、31歳の僕と婚約者はUAE上空に流れるミサイルを呆然と眺めていました。巨大な轟音、散る火花、迎撃ミサイルにより空中で爆散するイラン側のミサイル。世界史は自分の眼前で激動し、刻々と動いていました。僕と婚約者がフィリピン19店舗の抹茶カフェをフランチャイズ展開、タックスヘブンのUAEへ拠点を移し、そちらでも抹茶カフェを展開させようと計画していた矢先の出来事でした。


※こちらはイメージイラストになります


――すごい人生を歩まれていますね。

そのきっかけは小学生時代にさかのぼるかもしれません。1986年、11歳の僕と姉は大阪市内の児童福祉施設に入りました。シングルマザーの母が子宮頸がんとなり入院して体調を壊し、子供の面倒を見ることができなくなったのです。そこで3年ほど過ごし、学校へ通学できない期間に算数が苦手になってしまったり、一般的なレールから外れるということに関しての抵抗がなくなったり、いろいろと人生に与える影響は大きかったです。


英語へのあこがれとカナダ留学

――お母さまが再婚してからは、普通の中学生の生活になったとか…。

そうなんです。結婚相手も優しい人で生活が落ち着きました。尼崎市内の公立中から尼崎高等学校へ進学。中学時の担任で帰国子女の先生がネイティブの先生と流ちょうに話すのを聞き、“かっこいいなあ”と感じ、漠然と英語を話すことへの憧れがわいたのも、この時期です。

※こちらはイメージイラストになります

 高校時代は英語を熱心に頑張り、関西外国語大学英語学科に合格。いくつかの奨学金を得て、カナダへのターム留学を果たしました。カナダでは好成績を取り、奨学金の一部は返済不要になったので、ありがたかったです。


内定を蹴って、セブ島でホテルスタッフに

――大学卒業時は、英会話学校の営業職に内定していたとか…

家族みんなに反対され、お前には合わないといわれていました。疲れた顔でぐったりと通勤するサラリーマンになるより、海外で英語を使って羽ばたきという漠然とした夢もありましたし。そんな中出かけた卒業旅行でひとつの出会いがあったんです。

――フィリピンに行かれたんですよね。

フィリピン・セブ島にあるモーベンピックホテルという五つ星ホテルに宿泊した際、英語でチェックインしたところ、フロントマネージャーに「英語が話せるなら、ここで日本人スタッフとして働かないか」と誘われたんです。即OKし、日本で3か月ほど働いてお金をある程度ためてから働き始めました。英語が話せたことで、運命が変化した瞬間です。

※こちらはイメージイラストになります

――月給はどれくらいだったんですか。

月4万円で、2万ほど海外留学の奨学金返済に充てていました。そこでは1年ほど働いた記憶があります。海外で働くというのは夢でしたが、現実生活に疲れてしまい、日本へいったん帰宅しました。

生活に疲れて日本へいったん帰国

――そのまま日本で就職したのですか?

「カオサン・ワールド・ホステル」という名の8フロアある大阪のホステルのフロントで働くことになりました。バックパッカー宿がたくさんあるカオサンが名前の由来のホステルで、外国人が多く宿泊していましたね。そこをコロナ禍が終わると同時に退職し、フィリピンに引っ越したんです。

フィリピンで日系動画編集の会社に就職後、アクセンチュアへ転職

――次もホテルのお仕事だったのですか?

日系の動画編集の会社でした。月給はフィリピンベースで4万円です。VISAを申請するという約束が反故にされたので、マニラのアクセンチュアに転職しました。そこでは給料は20万に増加しました。

※こちらはイメージイラストになります

――月収5000円の方もいるフィリピンでは、かなりの高給取りですね。

そうかもしれません(笑)そこではSEと顧客企業をつなぐ業務をしていました。そんな毎日の中、現婚約者と友人経由で運命の出会いをしたんです。

手始めにした、ソフトクリーム屋台の出店

――美しい婚約者さんですよね。

美しいだけでなく、賢いんです(笑)。彼女は日本でいう東大に相当するフィリピン大学卒業。当時は彼女自身がゴルディーというタピオカミルクティーチェーンを50店舗ほどフランチャイズ展開していました。彼女のご両親は150店ほどフィリピンスタイルのフランチャイズかき氷店舗を展開。もともとシーフード屋をしていた彼女のご両親は、UAEに出稼ぎに行って資金を作り、飲食チェーンのオーナーに上り詰めたのです。裕福になっても散財しない人たちで、そういう生き方を僕は尊敬しています。

――彼女と出会い、飲食店経営をしようと考えたのですか。

そうです。アクセンチュアで得た資金を元手に、スグボ・メルカドという人気の屋台街にソフトクリームショップを出店しました。そこで1年ほどうまく利益を出し、次は抹茶ブームが来るだろうから出店しようという話になりました。


『Greenday Matcha Cafe』経営へ

――それが現在フランチャイズ展開する『Greenday Matcha Cafe』ですね。

そうです。最初に抹茶カフェを開こうと思って、農家さんに仕入れさせてもらえないかと打診メールを送りました。しかし、世界的に抹茶消費が上がっている今、全国的な抹茶不足の状況です。約50軒の農家さんに断られながらも、最初に福岡の八女茶の生産者さんがOKを出してくれました。

最初は2店舗の直営店舗から開始。当時のフィリピンは格安ディスカウント店で売っているような質の悪い中国製抹茶のカフェしかなく、「本当の抹茶のおいしさを知ってほしい」という日本人のプライドもありました。

そして、日本人の味覚とフィリピン人の味覚は違いますが、何十回も試作し、どちらもおいしいと感じてくれるように調整していきました。タコ焼きは濃い目のソースも自作、関西人ならではのこだわりで都度作成しています。

手束さんと婚約者のゴールディさんと、試作するスタッフ。

ーーフランチャイズ出店が17店舗とのことですが、申し込みはどのようにして打診されるのですか。

フェイスブックで募集をかけていると、先方か希望してきます。フィリピンではコミュニケーションツールとして一番メジャーなのがフェイスブックで、商売でも重要な位置を占めています。

――フィリピンならではの苦労はありましたか?

レシピやノウハウの流出に注意ですね。具体的な茶園やレシピなどが流出しないよう苦慮しました。実際、屋台街の店舗では旧スタッフが盗んで向かいに偽店舗を設置されてしまったこともあり…。今も農園の名前がわからないようラベルは変えています。

――現在、抹茶ブームの波に乗っていますが、今後の展望などはありますか?

実は婚約者が展開していた50店舗のタピオカミルクティー店も、ブームが下降しだしそうな兆しが見えたので、クローズしました。抹茶もブーム的な部分が大きいので、新たな時流を見据えた作戦を練っています。残念ながらネットでは明かせませんが……

――それは楽しみですね。今後の拠点はどちらに置かれるのですか。

もともとはUAEに生活拠点を完全にうつし、5月に結婚する予定でしたがいろいろと予定がずれてしまっています。人生いろいろなことがありますが、英語力に加え、何とかなるさ精神と行動力の二つが大事だと考えています。

撮影協力店舗:『GREENDAY MATCHA CAFE』Century Plaza店

住所:Century Plaza  Complex Juana Osmena St, Cebu City

電話:+63-921-686-9175