「親の転勤に身を任せていたら、気づいたら早稲田に進学していました。」
淡々とこのように語るのは、早稲田大学政治経済学部に帰国生入試で合格した河合颯太さん(仮名)。幼少期から父親の海外転勤に伴い、イギリスやアメリカでの生活を約7年間経験してきました。
帰国生入試は一般的に倍率が低いことから、”入試の裏技”なんて言われることもあります。
実際に、2023年度早稲田大学の政治経済学部の倍率は約3.7倍で、帰国生入試の倍率は例年2.5倍程度。また、法政大学文学部においても一般入試倍率4.1倍に対し、哲学科の帰国生入試倍率は約2.0倍とかなり低く、帰国生枠で合格しやすい状況。このことから、帰国生入試は基本的に一般入試よりも倍率が低めなことがわかります。
近年よく耳にする「親ガチャ」という言葉。子どもは親や生まれ育った環境を選べないという現実を、運試しのように表現したものです。親の影響で帰国生入試を受験できる権利を得た河合さんは、まるでその“親ガチャ”で特賞を引き当てたかのように見えるかもしれません。
一見、華やかに映る海外経験と一流大学への進学。
しかし本人は、「それだけじゃないんです」と静かに語ります。
ーーー本当に海外駐在は“当たり”だったのか。
海外転勤族の子どもとして生きてきた河合さんが抱えてきた“特権”と“葛藤”とは何だったのか。その歩みを時系列で追いながら、彼のリアルに迫ります。
広島で生まれ、生後二週間でアメリカへ
河合さんは広島で生まれましたが、生後わずか2週間でお父さんの仕事の都合によりアメリカへ。
「記憶はほとんどないんですけど、半年間アメリカにいたらしいです」と笑います。アメリカでは約半年間過ごしたのちに帰国し、そこから小学2年生までは日本で生活していました。
河合さんのお父様は東大理科二類卒の銀行勤め。いわゆる超エリートです。お父様の経歴だけをみるとなんだか教育熱心で厳しそうな家庭でだなと思われる方もいらっしゃると思うのですが、河合さん曰くそうでもなかったそう。
「父も母も教育に関してはあまり干渉しないタイプでした。特に進路に口出しされた覚えもないし、それこそインターナショナルスクールとか英会話に通った経験もないですね。」
日本に帰国後は地元の普通の幼稚園に通います。物心ついたときには既に日本に帰国しており、インターや英会話に通うこともなかったため、幼少期に英語に触れる機会はほとんどなかったそう。
転勤族だったお父さんの影響で、河合さんの生活拠点はその後も変わり続けます。 次に暮らしたのはイギリス。小学2年生から6年生までの4年間をイギリスで過ごすこととなります。
アルファベットすらわからない状態でのイギリス渡航
小学2年生でイギリスに渡航することとなった河合さん。それまで通っていたのは、地元の幼稚園や日本の公立小学校。英語とはまったく無縁の生活で、「当時はアルファベットすらわからなかった」と本人も笑います。
イギリスに渡って最初の半年間は、日本人学校に通っていたそう。名前の通り、日本人の子ども向けに設けられた学校で、カリキュラムは基本的に日本とほぼ同じ。英語の授業はあるものの、「ちょっと英語教育に力を入れているかな?」くらいの印象だったそうです。そのため、英語のスキルが劇的に伸びたわけではなく、半年後にイギリスの現地の小学校に転校したときは、まじで何もわからない状態。英語を話せないことに強いコンプレックスを感じ、「通いたくなさすぎて、お母さんの足にしがみついたり、小屋の陰に隠れたりして必死に抵抗していました。(笑)」と、当時を振り返ります。
しかし、日本人学校とは異なり周りはみんな英語を話す環境だったため、自然と慣れてきたそうです。そんな中、友達作りのきっかけになったのがポケモンカード。
「ある日、『ポケモン知ってる?』ってクラスの子に聞かれて、そこから一気に話が広がって。僕も日本から持ってきてたカードを見せたら、めちゃくちゃ盛り上がったんですよね。」
さらに、学校のアクティビティで「日本の文化を紹介しよう」という企画があり、そこで折り紙を披露する機会も。「得意ってわけじゃなかったけど、折り鶴を折ってみせたら、周りの子が『Wow!』ってリアクションしてくれて。それがきっかけで、クラスメイトと自然に仲良くなれたんです。」
また、イギリスではテニスボールでサッカーをする遊びが流行っていたそうで、遊びを通して現地の友達を作ったと語ります。しかし、イギリスでの生活にも慣れてきた小学6年生の途中で、またもやお父様の転勤によりイギリスを離れ、再び日本に帰国することとなります。

イギリスでの中受対策
「元々小学校6年生で帰国する予定だったので、中学受験の対策をイギリスで行っていました。」
帰国する時期が事前にわかっていたため、河合さんはイギリスにいながらもしっかり日本の中学受験対策をしていたというのだから驚きです。「イギリスで日本の中受対策?」と思う方もいるかもしれません。実は、駐在員家庭の間ではよくある話。実際、早稲田アカデミーや駿台といった日本の有名塾は、海外にも支店を構えていて、帰国子女向けの受験対策を行っています。
河合さんが通っていたのは、早稲田アカデミーのロンドン校。小学6年生のときに日本へ帰国することが決まっていたため、現地にいながら日本の中学受験に向けて準備を進めていたそうです。
「日本で過ごしている子よりも英語が話せるというのはあなたの強みになるから、帰国子女枠で私立の中学校を受けてみたら?」
そんなお母様の一言がきっかけで、深く考えずに受験を決意。当時は本人いわく「流されるまま」だったと言います。
「今思うと、父も母もそこまで教育熱心ってわけじゃなかった。でも、僕が将来困らないように、必要な環境はちゃんと用意してくれていたなって思います。」
早稲田アカデミーに通い始めた当初、国語の偏差値は46。ところが通塾を重ねるうちにぐんぐん上昇し、半年後には偏差値65を記録。特に現代文に強く、模試では校内上位の常連だったといいます。
「日本にいたのは幼稚園から小学校2年生までの短期間だったので、最初は国語が苦手だったんですけど、才能あったみたいで国語の成績ぐんぐんのびていったんですよ。」
しかし、第一志望だった市川中学(偏差値75程度)には惜しくも不合格。
「今でもちょっと悔しいですね。そのとき滑り止めで受けた開智日本橋中学校に通うことになったんですが、結果的にそれがめっちゃ良かったんですよ。」
欠席47回、遅刻141回の中学時代
入学したのは、偏差値60程度のIBコース(MYP)を備えた開智日本橋中学校。英語教育も充実しており、帰国生には過ごしやすい環境だったそうです。
ところが、そんな恵まれた環境の中でも、当時の河合さんは思春期と反抗期の真っ只中。自由な校風も相まって、勉強より遊びを優先する日々に突入します。
「中学3年間で、遅刻141回、欠席47回しました(笑)。でも赤点だけは取らなかったんです。最低限は守って、あとはゲームと遊びとサッカーに全力投球してましたね。」
河合さんのなかで中学生活は直接就活に響くものではないと考えていたため、”とにかく遊びまくる”を意識していたそうです。所属していたサッカー部ではある日、PK練習中にキーパーとの小競り合いから一悶着あり、反省文提出の末に自主退部。
「いやー、あれは若気の至りってやつですね(笑)」
“努力の片鱗”は見せつつも、どこか余裕を持って過ごしていた中学時代。河合さんの“力の抜き加減”が、後の高校・大学選びにも活きてくるのです。
そして、中学3年間と高校1年生の半年間は日本で過ごしていたものの、またもやお父様の転勤でアメリカに渡ることとなります。
高校はアメリカへ!慶応ニューヨークを蹴って現地校進学
高校1年生の途中、河合さんに再び「転機」が訪れます。父親の仕事の都合で、今度はアメリカへ引っ越すことが決定。お次の舞台はニューヨーク。
「小さい頃から転校や引っ越しは慣れてたので、またか~って感じでした。」
アメリカの高校は9月入学が一般的。アメリカでの高校進学のタイミングと重なっていたため、進学先について家族で検討することに。候補に挙がったのが、慶應義塾ニューヨーク学院(通称:慶應NY)でした。この学校、実は日本でも知る人ぞ知る名門で、アメリカ・ニューヨーク州にありながら卒業後は慶應義塾大学へ“内部進学”できるという夢のようなルートが用意されています。海外に住む芸能人や富裕層の家庭が好んで選ぶことが多く、学費も高額。それだけに「セレブな世界」という印象が強い学校でもあります。
「芸能人とかお金持ちの子が多くて、いわゆる“箱入り”な世界なんですよね」
試験を受けて合格したものの、学費の高さと、どこか自分の価値観とは合わない雰囲気に違和感を抱いたと言います。
「うちは特に苦労してたわけじゃないけど、飛び抜けてお金持ちでもない。ああいう“ザ・エリート空間”は、僕には合わないなって思ったんですよ。」
結果、慶應NYへの進学は辞退。選んだのは、ニューヨークのごく普通の公立高校でした。
「日本でいうところの、ふつうの県立高校みたいなイメージです。受験も特にないし、誰でも通えるような感じでしたね」
のんびりとした校風のなか、部活もせず、アルバイトもせず、毎日淡々と過ごしていた高校生活。でも実はその裏で、「帰国子女入試でいかに楽に、スマートに日本の大学に入るか」という戦略が、彼の中にはしっかりとありました。
日本の大学入試を見据えた高校生活
「中学では遊び尽くしたので、そろそろちゃんとやらなきゃなって思ってました」
そう語る河合さんにとって、アメリカの高校生活は“第二のスタート”でした。目的はただひとつ、日本の大学にスマートに合格すること。
「親が銀行勤めだったこともあって、なんとなく経済に興味が湧いてたんですよね。お金の流れとか、世界の動きとか、漠然と“面白そうだな”って」
アメリカの高校には、日本にはあまりない“選択科目”の文化があります。河合さんもその自由度を活かし、マーケティング、簿記、マクロ経済学といった、経済学部の大学進学に直結するような実践的な授業を取りまくっていたそうです。
「こっちの高校って、自分で何を学ぶかを選べるから、サボることもできるし、突き詰めることもできる。でも僕の場合は、“この授業を履修しておけば経済学部に推薦で有利そうだな”っていう完全に戦略的な選び方でした」
受験書類や志望理由書でアピールするための“材料集め”として授業を活用していたのです。
「今思うと、めちゃくちゃ意識高いっぽいけど、根底にあるのは“いかに楽に日本の大学入るか”なんですよ。」
中学時代の省エネモードから一転、受験に向けて必要なピースを淡々と揃えていく。その姿勢は、まさに“効率重視型”河合さんらしいスタイルでした。
その結果、早稲田の政治経済学部に見事合格。
「やっぱり一般入試とか総合型選抜で受験するよりも倍率が低いので帰国生入試は楽ですね。効率よく合格したいなら海外に行くベきだと思います。」
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海外駐在は結局勝ち組か
河合さんのこれまでの歩みは、一見すると“親ガチャ大当たり”に見えるかもしれません。 実際、海外経験を武器に早稲田大学政治経済学部に帰国生入試で合格したという結果だけを見れば、順風満帆な成功ストーリーに映るでしょう。
しかしその裏には、言語の壁や環境の変化に戸惑いながらも、自分で考え、戦略的に道を切り拓いてきた努力と判断がありました。
日本と海外を行き来しながら、なじみのある土地や友人と離れ耐えきる力が、あなたにはありますか?
親の仕事で与えられた環境を、「チャンス」として活かすかどうかは本人次第。その中で河合さんは、“効率的でスマートな選択”を重ねながら、自分なりの進路を見つけてきました。「親の転勤に振り回された」のではなく、「環境を利用して最短ルートを選んだ」彼の姿からは、与えられた条件をどう使いこなすかの大切さが見えてきます。
倍率参照
(https://www.toshin.com/examinee/detail.php?id=153)(https://www.edubal.net/edublog/b20240516/ )(https://passnavi.obunsha.co.jp/univ/3120/bairitsu/)(https://www.edubal.net/edublog/8911362-2/#6)
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