「東京大学理科三類は辞退しました。進学したのは、横浜市立大学医学部です」
周囲から「東大の方が知名度があっていいのでは?」という指摘を受けたときにも、「全くと言っていいほど気にならなかった」と現在学部3年生の吉良さんは語ります。
吉良さんは、伝統医療と現代医療の融合という自身の探究テーマをいかに達成できるかという観点から、受験を経験してきました。
今回は彼女に、なぜ東大ではなく"横市"だったのかを含めてお話しを伺っていきます。
「医師になりたいわけではなかった」きっかけは自身のアトピー
今回お話しを伺った吉良さんは群馬県出身で、インターナショナルスクールに小学生から在籍しています。地元では有名なリベラルな学風で、友達ともアカデミックな内容を自然と議論できるような環境で育ったそう。
「私は将来こういう夢を叶えたい!」と自然と話しているような周囲に恵まれました。彼女自身は、勉強に特に困ったこともなくテスト前に簡単に勉強すれば、学年最上位の成績が取れるようなタイプでした。
そんな吉良さんはそもそも医師になりたいわけではなく、高校生でも将来のことも全て「なんとなく」で考えていたという吉良さん。彼女が初めて自主的に学問というものと向き合ったのは、高校生のときにアトピーを治療するために、インドの伝統療法の医学を受診したことだったという。
辛すぎるアトピーの症状
「アトピーは痒さと息苦しさで、学校を思わず休んでしまうこともあるくらいしんどかったです。どれだけ病院に通っても、 完治するわけではない。 症状を少し抑える程度の治療しかないという絶望感がありました」
「インドの療法を試したときも、最初は完全に半信半疑でした。西洋医学の方が細胞や遺伝子単位で研究が進んでいるし、何百年も前から変わらない医療で治るなら苦労しないと思っていました」
しかし予想とは反して、今までに感じたことのない速度で重いアトピーの症状が改善されたことを感じたそうです。
「こんなに寝起きがすっきりするほど寝られたのは、幼稚園ぶり」と感じるほど体調が改善されたことに驚いたのも束の間、単なる対症療法ではなく、 根本的に人の生活や体質を変えることの重要性を伝統療法から学んだそう。
この出会いがきっかけで、「こうした知識を多くの人に広めたい」という思いが芽生えたことが、現在の医学部に繋がる学問への関心の始まりでした。
研究室に飛び込むものの「医師免許がないと相手にされない」
吉良さんははじめ、医学部への進学は考えておらず、医療方法の普及ということに関心を持っていたそうです。
実際に大学の研究者や、同様の活動をしている民間の団体とコンタクトを取ったものの、上手くいかない日々が続いたそう。
「医学系の大学の研究室で根本的な治療法を調べられていたり、民間で伝統療法を普及しているような団体をネットで探したり。地道にコンタクトを取れる場所を探すことにしていました」と吉良さんは言います。
しかしこの活動はすぐに壁にぶつかってしまいました。MTGを設定したいと頼んでもやんわり断られてしまったり、研究室から「参加できるのは学部3年生以上です」などという反応がほとんどでした。
快く参加の許可をもらえた研究室もあったそうですが「この分野は医学生か、医師免許持ちでないと相手にされない」と、一部の参加者に厳しい言葉をかけられたそうです。
「医師免許がないと、 どれだけ自分の経験を語っても説得力を持たない。 専門的な立場から発信できなければ、 相手にしてもらうこともない」と痛感したそうです。
海外大学と国内大学の決定的な相違
このように医学部を志した当初、 視野に入れていたのは海外大学への進学でした。
研究者の育成機関としての側面が強すぎて、民間での医療貢献をしたいという希望とミスマッチがあったためです。 特にアトピー改善の過程で興味を持ったインドの伝統医療や、 グローバルな医療環境を持つEU圏の医学部を集中的に見ていました。
「 IELTS(アイエルツ)8.0というスコア(=TOEIC換算なら945点以上)を持っていたこともあって、 海外で医療を学ぶのが一番だと思っていました。 特にアトピーの改善に役立つような、伝統医療と現代医療の融合を学べる場所を探していました」
最終的には海外大学も十分に目指せる状態にはなりつつも、高額な学費や卒業までに時間がかかるリスクを踏まえて、進学を断念。「どうしても海外大学!というわけではなかったので、医学を安心して学びやすい環境という点を重視できました」
学べる内容と実践的な医療普及を行えるかという点を重要視して、高校3年生になった段階から国内大学の医学部を探していきました。
大学の知名度よりも、将来の展望にあうか
吉良さんの将来の目標は、 クリニックを開業し、 患者一人ひとりに寄り添った医療を提供することです。
「単に病気を治療するだけではなく、 患者の生活全体を支える医療を提供したい」と語る彼女。 その背景には、 自らがアトピーに苦しんだ経験があるため、 患者の気持ちに寄り添う医療を実現したいという思いがあります。
また、 これまで多くの先生方や友人たちに支えられてきた経験から、「将来は自分も次世代の医療人を育てる立場になりたい」とも考えているそうです。
「単に技術を教えるだけでなく、 患者と向き合う姿勢や、 自ら考える力を持った医療人を育てる」という実践的な医療を志向していました。
そんななかで当初自然と意識したのは東大だったそうです。
「行くならとりあえず、一番優秀な東大」と簡単に考えていたそうで、実際に吉良さんも受験の出願の際は東大も出願しました。
しかし東大は知名度はあるものの、自分の目指すキャリアとのマッチをしているかという観点で、違和感を感じることが増えていったそうです。
東大は研究者育成に特化しすぎている
「東京大学の医学部はPhDを目指す、研究者育成に力を入れている印象が強く、 自分が目指す臨床医としてのキャリアとは少し異なると感じました」
吉良さんが感じていた小さな違和感は受験を通じて、確信に変わっていったそうです。
「東京大学の推薦入試を受験する中で、皆が同じ方向を向いているように感じてしまいました。私はもう少し自由な環境で、 様々なことに挑戦しながら成長したいと思っていたので、 その点でも違和感を覚えました」
吉良さんは東大に違和感はあるものの受験を続け、無事に一次試験の合格を勝ち取ります。残りは共通テストを受けるだけ、という実質的に合格を確保できている状況で、合格を辞退しました。
(東大は一次試験が東大による独自試験で、そこで実質的な合否が決まります)
推薦合格の鍵は、中学時代から培われた「伝える力」
東大を受けた経験を振り返るとき、突破するうえで最も重要だった要素は「伝える力」でした。 この力は、 彼女が夢中になっていたTEDトークから得たものだといいます。
「中学生の頃からTEDトークを見るのが好きで、 自分もいつかこんなふうに人前で堂々と話せるようになりたいと思っていました」と語る彼女は、 TEDトークを通じてプレゼンテーションスキルや自己表現の重要性を学びました。
その結果、 高校時代には海外の人々とのパネルディスカッションを提案し、 自ら企画・運営を行った経験もあるそうです。 「異なる背景を持つ人たちと意見を交わす中で、 自分の視野を広げることができました」と振り返ります。 この経験が推薦入試においても大いに役立ったと考えています。
「自分の考えを一方的に押し付けるのではなく、 相手の意見を受け入れたうえで、 自分の意見を論理的に伝えることが大切でした」
なぜ東大辞退してでも横市を選んだのか
そして最終的に吉良さんが東大を辞退しても受験を続けたいと思ったのは、横浜市立大医学部でした。
横浜市立大学の推薦入試は、 MMI(Multiple Mini Interview)形式という複数の短い面接を通じて、受験者の多角的な能力を評価する形式です。 この形式に対し、 彼女は独自の対策を講じました。
「自分の意見を他者と議論することに慣れていたので、 MMIの形式には自然に対応できました。いつもと同じように話すという自然な気持ちで臨めたので、受験を純粋に楽しめました」
また、 彼女は「海外の人とのパネルディスカッションを学校に提案してもらった経験もあり、 対話や議論を楽しむ姿勢が身についていた」と言います。
その結果、 推薦入試の際に出された「第二のphysicianをどう育成するか」という難しい問いにも、 他の参加者が苦労する中で創造的かつ論理的に回答することができ、 それが評価されたと振り返っています。
資料提出においても、 他の受験者が日本語で作成する中、 彼女はあえて英語で資料を作成し、 独自性をアピールしました。
「自分だけ違う方向性で挑んだことが、 逆に良い評価につながったのかもしれません。自分にあっていると感じた大学の入試で、大学側からも好印象をもらえたことが何よりも嬉しかったです」
「東大を辞退したこと」後悔は全くない
最後に東大を辞退したことに後悔はあるかと聞いたところ「全くない」とのことです。
「東大を辞退したのがもったいない...と思わないで済むように、実践医療を提供するというビジョンを必ず達成します」と語る吉良さんの目に、迷いはありませんでした。




.png&w=3840&q=75)

.png&w=3840&q=75)
.png&w=3840&q=75)








