昨今「探究公害」という言葉がネットを騒がせています。「高校の総合学習・探究学習の時間に行われる高校生の自主的な研究に、大学の研究者が無償労働として付き合わされて疲弊している」。日本の研究力低下が騒がれて久しいですが、それに拍車をかけるようなニュースは、衝撃を走らせました。
実際に、探究学習の”締め”として大学教授など一定の権威を持った研究者に発表を行って権威付けを行うことは少なくありません。
推薦指導の一環として、「学生に大学の教授に共同研究やインタビューをお願いさせる」こと自体は比較的ポピュラーですし、時には大学の先生すら感嘆させるレベルの高い発表がなされることもあります。とはいえ、一定数「どうしてこのレベルで申し込んだの?」と問いたくなるような浅いリサーチで踏み込んでくる学生もいるそう。確かに、本を読んだり、ネットで検索したりすればわかる程度のことを質問されれば、「公害」と呼んで差し支えなさそうです。
現状について、大学教授側はどう感じているのでしょうか?
今回は完全匿名を条件に、某大学の教授Aさん(50代・人文系研究者)が取材に応じてくださいました。「探究公害」のリアルに迫ります。

ひどい場合は「ほぼ研究を丸投げ」
__先生は「探究公害」にあわれたご経験はございますか?
A先生:「公害」かどうかはさておき、高校生や高校の先生方から研究に関するご質問をいただいたことは何度もありますよ。大学の研究室HPに公開されたメールアドレスもありますが、最近だとSNS経由が多いですね。Xとか、Facebookとか。特に、学生にとってはメールよりもSNSのほうが敷居は低いのでしょう。
生徒会活動、NPOなどの課外活動、学校の総合・探究学習が名目として多かったでしょうか。私は、割とそういった自主的な研究活動をしてくれること自体嫌いではありませんし、結構付き合って答えてあげていましたね。
ただ、先生によっては完全スルーされる方もいらっしゃるはず。高校のほうも、ダメでもともとでしょうから、返しているうちに「あの先生は返してくれるらしい」と情報が共有されるのかもしれません。
「高校生の下調べが薄い」なんて問題になっているようですが、そんなことはざらです。研究アドバイザー的な立ち位置でインタビューを受けたり、時には学校に呼ばれたりするわけですが、今の時代調べればいくらでも情報が出てくるはずなのに、全く進捗がないことも結構あって、ひどい場合には「ほぼ丸投げ」。「こんなことなら、私を呼んだ意味がないだろう」と感じた時もあります。
○○学と一口に言っても、細分化された様々な分野があります。そして、ある分野を取り上げたとしても、その分野に対してどのようにアプローチするかによって、大きく研究内容は異なります。
自分がどのアプローチについて調べたいか決まっていないのに、とりあえずでメールを送ると、そういったミスマッチが起こりやすい。現代ならAIを活用して、ざっくり情報をまとめることもできます。もちろんハルシネーションには注意しつつですが、入り口で迷わないように簡単なまとめ調査をお願いしてもいいでしょうね。
ただ、最近はそういった雑なお願いも減ってきました。探究学習が高校に導入されて久しいですが、先生方もだんだんと「どこまで調べればいい」「どうやって調べればいい」などのお作法がわかってきたのではないでしょうか。
お願いしてくる学校は予算をつけていることも多く、大抵謝礼もきっちり支払われますし、「そういう仕事」と割り切れば、問題ありません。

公害呼ばわりは不当?
__今回の報道では「公害」と呼ばれるほど、高校生の探究活動が、研究者の仕事を妨害していると報じられました。実際のところ、どうなのでしょうか?
A先生:そういった動きがあることも、発生することも理解していますが、私個人としては言い過ぎに感じます。
高校生が頑張って調べて、勇気を出して連絡してくれているのだから、行ってあげるのが人情というものでしょう。もちろん、丸投げなケースもあるでしょうが、それこそ「ちょっと調べが甘すぎますよ」と注意してあげればいい。もしかしたら、本当に調べ方も何もわからないのかもしれません。
「こうやって調べればいいですよ」とか「これ以上は自分で頑張りましょうね」とか、そういったアドバイスを投げてあげるだけでも、学生としてはプラスになるはず。そのラインをある程度示すことに意味があります。
正直、今回の「公害」発言については、かなり懐疑的です。大学の先生が言い出したとは思えません。本当に大学の先生から「公害」と呼び始めたのなら、あまりにもひどい話です。
高校の先生方も、別に研究が専門ではありません。探究活動だって迷いながらやっているはず。アカデミックな部分で専門家の手を借りたくなるのは当たり前でしょう。力を貸してあげればいいのに。
それに、本当に忙しい時期なんかは断ればいいじゃないですか。私だって、忙しい時期や余裕がない時期などは申し訳ないけれど断っていましたよ。依頼を受ける立場にあって、受けるかどうかの選択権は先生方にあるわけで、それで受諾しておきながら「探究活動のせいで本業に支障が出ている」と公害呼ばわりするのは、筋が通りません。

公害と呼ばせないために
__なぜ「公害」と呼ばれてしまうのでしょうか?
A先生:ひとつは、高校の先生が丸投げしすぎ。ただ、こちらは近年解消されつつある。もうひとつは大学の先生側が「NO」と言えないこと。自分のスケジュール管理の問題泣きもしますが、大学の方針として断れないケースも想定できます。
それに、研究協力の申し込みが集中しすぎないように調整する機関などがないせいで、高校生人気が高い一部の研究分野や、それで目立った実績を立てていらっしゃる先生に集まりすぎる傾向もあるでしょう。これらの問題が重なった結果、「公害」と呼ばれるに至ったのかもしれません。
ただし、仕組みの不在だけが原因ではありません。先述のように、下調べが甘いと、「○○学教授」の看板に釣られて、自分の想定ややりたいことと全く異なる研究をしている先生に当たってしまうケースも想定されますよね。
「○○学」で雑に検索するとヒットしやすい場合、その先生に集まってしまうことも十分考えられる。ある程度は、学生側・学校側で「自分が調べたいことは何か」「それを専門にしている研究者は誰か」についてを、きっちり調べることで過度な人気集中は防げるでしょう。
まとめ
高校生の探究学習は、高大連携の側面から見ても素晴らしい取り組みです。かつて私自身も「どうして勉強しなくてはいけないのだろう」と考えたことがありますが、大学の先生方との交流によって、その答えの一端が垣間見える可能性が高いためです。
しかし、大学の先生方も本業があり、そのご厚意によって成り立っている部分があることも忘れてはいけません。調べが甘いまま依頼すると、結局そのしわ寄せは大学側へ行くことになります。
「公害」と呼ぶほどの実害が全国的にくまなく出ているかはさておき、実際に困っている先生がいらっしゃるのは事実。迷惑がかかることのないように、「相手の時間をいただくことの大変さ」を確認の上で、依頼を出すよう指導すべきかもしれません。
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