加熱する受験戦争。「毎日10時間勉強」なんて、もはや珍しい話ではありません。

 勉強すること自体は、悪くない。それでも、私には「どうしてここまで勉強しなくてはいけないのか?」と疑問で仕方ない。特に、10歳にも満たない子どもが、先取り学習に躍起になって、ひたすら空調の整った無機質な教室で机の上の紙切れとにらめっこをするような異常事態すら「勉強熱心でえらい」と持て囃す風潮は、ハッキリ言って狂気を感じます。

 このままいけば、私たちは「テストには強いが、何も語れない大人」を量産してしまうのではないでしょうか。答えのある問題には慣れている。けれど、「自分は何をしたいのか」という問いには、極端に弱い。自分から「何かをやりたい!」と希うパッションを追求した経験は、果たして身に着くのでしょうか。

 私たちは「一流大学への入学」を重大に考えすぎています。将来を考える前に偏差値。やりたいことを考える前に合格実績。その結果、子どもたちは人生で最も自由な時間を、受験のための“作業”に使い切ってしまう。

 今回お話を伺う布施川天馬さん(28)は、自らも東京大学を卒業しながら、進学塾漬けになって東大へコマを進める「エリートコース」に異を唱えます。「東大に受かるための人生」がもたらす弊害を考えます。

親が子どもを見くびっている

__先日X(旧Twitter)にて「東大に受かるための人生になっている」と進学塾通いの子どもたちを批判されていましたが、なぜでしょうか?

布施川:率直に「東大に受かるためなら、人生をかけなくていい」と考えているからです。そもそも、私は子どもたちを批判していません。中学受験を勝ち抜いた彼らは、天恵の才能と燃え上がる知的好奇心を持ち合わせた才人。どうせ何をやっても東大くらい受かるんです。

 私が本当に勘弁してほしいと考えているのは、むしろ大人のほうです。数十年前の錆びついた価値観をもとに、子どもの可能性を制限する無知な親と教師たち。自分はガリ勉しないと受からなかったのかもしれませんが、自分のスケールに縛られて、子どももその箱に収めようとするのは、可能性を閉ざすような愚かしい行為だと感じます。

 もっとさかのぼるならば、本当に実力があれば、大学行く必要すらないんですよね。私は小学生から起業して、中一にして月商数百万規模まで成長させ、いまでは宇宙開発を含む3社のCEOを務める中学生を知っていますが、彼もまた高校・大学には進学されないようです。行く必要がありませんからね。



__「良い大学に入れれば子育ても成功」だと考えるのは、至極自然な感覚のように感じますが……。

布施川:すごく自然な発想だと思います。ただ、同時に「弱者の発想」でもある。私も弱者だからよくわかりますが、能力や経歴など文脈がない人間が、社会に認めてもらえる文脈を形成するにあたって、一番当たり障りがないのが「大学」なんですよね。

 かつては子どもが何をやろうとしても、手段がないから実力を証明できなかった。だからこそ、勉強で身を立てるしか方法がなかったのかもしれない。

 でも、現代は環境が大きく異なります。無料の動画教材でプログラミングを学んでウェブサービスを展開したり、外国語を学び無料のチャットツールで自宅に居ながら国際交流を行うこともできる。書き物や動画制作など自己表現したり、大学の教授にアポを取って研究活動に精を出したり、現代っ子の可能性は文字通り無限大なんです。

 こんな状況下で「大学に行かないと将来が……」なんて言っている場合ではないのは、お分かりいただけたのではないでしょうか。無数の選択肢が存在するのに、たったひとつの旧態依然とした価値観を持って、「これが正解!」と定めることの、何と愚かなことか。子どもを舐めるのもいい加減にしてほしい。

 だって、いい大人なら社会人になってから真に要求されるのが「学歴」のようなラベルではなく、専門技能(スキル)とそれを証明するポートフォリオであるとわかるはず。もちろんラベルのもつ副次効果もありますが、結局力があればそんなものどうにでもなる。

 じゃあ、どうして子どもに能力を身に着けさせようとしないのでしょうか?
 私には、不思議でなりません。

__つまり、中高生の内から専門技能を身に着けるべきと考えていらっしゃるのでしょうか?

布施川:というより、「人生で一番時間がある期間なんだから、もっとたくさん色々な活動を試してみるべきなのでは」と考えています。

 例えば、学校が終わるのは16時前後。部活をしても、平日で3〜4時間、土日は8〜10時間、自由に使える時間があるわけです。テスト期間などで3か月程度取られ、長期休みが3~4か月くらいあると仮定すれば、年間で1500~2000時間近く捻出できる。中高一貫校に通うなら、卒業までに1万時間近い自由時間が生まれるんです。

 しかも、この1万時間を「生活以外に使える期間」って、実は中高生が人生で最後なんです。大学生になると、バイト・就活が始まる。一人暮らしなら家事の時間も取られますね。社会人になれば、結婚すれば、子どもが産まれれば、なおさら自由時間は減っていく。

 だからこそ、この1万時間を何に使ったかで、人生の方向性がある程度決まるでしょう。人生の経験値が大きく変わってきますからね。

 問題は、この貴重な時間を、「大学の過去問を解き続けるため」に全部使うのが、本当に最適なのか。

 そもそも、大半の人にとって、大学受験は就職を見据えた時のラベル作りでしょう。何者でもないから、せめて「受験勉強に専念できる真面目さ」と「一定の結果を出せる学習能力」、あるいは「自己管理能力」あたりを見られている。大学は就職予備校ではなくて、研究期間ですから、これ自体がちゃんちゃらおかしい話ではあるのですが。

 とはいえ、事実として、良い大学に入れば、就職で不利になりにくいし、社会的にも評価されやすい。親として「子どもの将来を安定させたい」と思うのは当たり前です。

 重要なのは、「大学受験は実績作りの作業にすぎない」ということ。いやいややりこんでも、別に将来役に立つような場面は多くありません。

 私には「手段が目的化している」ように見えてならない。そもそも過去問引いて傾向を掴んで、後は対策を立てるなんて、いい大人なら誰でもできる単純作業でしょう。

 でも、世のエリートコースは「良い大学に行くため」に、幼少期から中高6年間、ほぼすべての時間を受験勉強に投じることだと言われる。そして大学に入った瞬間、「ここからは自由にやりたいことをやりなさい」。

 これ、冷静に考えるとかなり無理がありますよね。
一番自由に使える時間を、全部“作業”に使わせておいて、
一番時間がなくなってから“自分探し”をしろと言っている。
設計としては逆でしょう。

__大学受験は大変知的能力を試される試みだと感じますが、「作業」なのでしょうか?

布施川:作業です。前例が毎年数千以上出ていて、モデルケースなんていくらでもある上に、過去問もあれば自習教材もそろっており、後はやる気だけあれば、こんなもの誰でも受かるでしょう。大学受験って、本当に親切ですよ。過去問が全部公開されていて、出題傾向も分かる。合格点もだいたい読める。

 だから、百点を取る必要はなくて、「合格最低点+αを安定して取る戦略」を立てればいい。そこまで到達したら、あとは維持するための作業になります。

 というか大人ならこの程度、誰でもやっているし、できることでしょう。塾に頼る価値は、せいぜい計画管理の委託とか、高度に専門的な研究結果の取材とかであって、本当に心の底から「塾に入れれば勉強ができるようになるはず」なんて素朴に信じている方は、そう多くないはず。たかだか受験なら出題範囲も狭く、問われ方もパターンがあるんだから、簡単なもの。

そんな作業に6年もかける? 
それも、能力がないどうしようもない子ならともかく、中学受験で能力を証明した秀才が? 
これはもう、人類史に残る恥ですよ。

 もちろん、本人が受験問題パズルを解くのが趣味で、好きで好きでしょうがないとかなら、素晴らしいと思いますよ。自分でやりたいことをやるのが、人生一番幸福ですから。

 でも、「大人に評価されるから」「親がやれというから」でやっているような子は、正直、休日にリビングでTikTokやリールを眺めている子と、構造的には大きく変わりません。惰性でやっても褒められるか、堕落をとがめられるか、せいぜいその程度の違いしかない。


__一方で、「何か一つに打ち込むこと」自体は肯定していますよね。

布施川:一つのことに本気で没頭する経験は、絶対に必要だと思っています。
 まぁ、それを言うなら勉強もそうでしょうけれど。「東大に受かる人生はダメで、甲子園に行く人生はいいのか?」と聞かれることがありますが、全然話が違う。

 甲子園は、その年齢、その時間にしかできない。それに、大半の子どもはいくら野球をやっても将来にはつながらない。勉強は「将来のため」という報酬がありますが、野球はより純粋な興味や欲求からしか没頭できないでしょう。

 野球に限らず、たいていの部活動は「本当に自分がやりたいこと」じゃないと続きません。朝から晩まで熱中するなんて、正気の沙汰じゃありませんから。でも、その狂気に身を委ねないと見えない境地がある。それを経験している人と、そうでない人では、人生において価値観が合わない。

 没頭する対象が、勉強でもいいんです。ただ、それは外圧ではなく、むしろ内圧であるべきでしょう。内側からカンカンになるまで高まった「もっと○○がしたい」という欲望が、形にならない情動として「毎日朝から晩まで練習する」狂気を生む。それに、せっかくおかしくなれるタイミングで、おかしくならないなんて、損じゃないですか。

__では、理想的な成長の順番は、どうあるべきだと考えますか。

布施川:本来は幼少期〜中高生を方向性を探す時期と据えるべき。
色々なことを試してみて、そのたびに向き不向きを選定する。もちろん、1回や2回ではわからないことだらけでしょうから、少なくとも3か月から半年は続けたほうがいいかもしれません。とはいえ、なにか「これ」と本人が熱中できるものをみつけるまでは、無理にひとつにこだわらず、様々な方向に手を出してみるべきです。

 そして、やりたいことや熱中できることが見つかり次第、没頭期に移行する。ひたすら朝から晩まで、生活とか将来とか、そういった不安定なことを気にせず、一途に目の前の課題と向き合い続けるんです。

 言い換えれば、「何か」が見つかるまでは”ゼネラリスト”のように振舞って、見つかったあとはひたすら”スペシャリスト”として、腕を磨いてスキルを醸成する。受験勉強も「スペシャリスト」への道かもしれませんが、親や先生に言われたからではなく、自分自身で「これのスペシャリストになりたい」と決めることが、重要です。

 なにかひとつ軸が決まれば、そこから派生して色々な事に手を出せるようになります。私自身、中高は1万時間以上を楽器の練習に注いで、もともとは音大志望だったところを、家庭の事情から一般受験に変更せざるを得なくなって、東大進学を決めた。

 勉強なんて高3の夏までやったことがなかったのですが、そこで吹奏楽に熱中したころの計画的な思考術が役に立って、今こうして「東大卒教育ライター」になれたわけです。

 さらに言えば、いまではライターとして年間に数十万文字をコンスタントに書き続ける毎日を送っているわけですが、これもまた、かつて楽器の世界で「いくら上達しても上には上がいる」ことを身をもって知ったことが、役立っている気がします。毎日なにかしら勉強したり書いたりしないと、この仕事は続きませんからね。

 どちらにせよ、親や先生の言いなりになって中高時代を過ごすようでは、その先が思いやられます。どう考えても、親のほうが先に死ぬ可能性が高いのに、いつまで操縦桿を握ってもらうつもりなのか?

 「時期が来たら」と考えているかもしれませんが、いったい、その「時期」はいつやってくるのでしょうか。私は、むしろ今こそが「時期」なのではないかと思います。

まとめ

「今の親は、子どもを舐めすぎている」。

 確かに、昨今では「モンスターペアレント」や「過保護」が問題となっています。親が必要以上に子どもの私生活に干渉し、まるで親が子どもの人生を乗っ取って、「自分が生きたかった人生」をやり直しているかのようにも見える。

 ですが、様々な先進技術に囲まれて育ったデジタルネイティブ世代は、少なくとも今の大人よりもずっと機械や技術に対する抵抗が少ない。これだけでも、相当優秀な人材であることは間違いありません。

 親がやるべきは「これをやりなさい」とカビの生えた”正解”を差し出すことではなく、これからは何が正解になるのか一緒に考えることなのではないでしょうか。少なくとも、人生の経験値は親のほうがはるかに上回っているのですから、きっと彼らの参考になるはずです。