みなさんは「トゥントゥントゥンサフール」をご存じでしょうか? いまネットを中心に子どもたちの間で大流行するキャラクターです。
丸太についた細長い手足、ぎょろぎょろした大きな目玉、手には用途不明のバット……あまりにも”ナンセンス”の塊のような造形ですが、ほとんどの子どもたちが知っているのだとか。

※編集部が生成したイメージ

 これは、アニメやマンガ、ゲームのキャラではありません。「イタリアンブレインロット」と呼ばれる海外発のミームであり、「トゥントゥントゥンサフール」以外にも様々なキャラクターが存在します。「ブレインロット」とは、日本語に直訳すると「脳腐れ」。大人なら誰しもが「あまりずっと夢中になっていてほしくはない」と感じるでしょうし、「脳が腐る」と言われても、直感的に同意いただけるのでは。

 では、なぜ「脳が腐る」のか? なぜ「このキャラに夢中になってはいけない」のか? 
子どもたちが納得いく形で説明できるでしょうか。マンガ・ゲーム・スマホとの付き合い方へ拡張できるこの議論は、常に「感情的なぶつかり合い」や「親の強権を発動した即時アクセス禁止」によって強制終了させられるケースが多いようです。

 しかし、おそらく身に染みてわかっているように、この短絡的かつ直情的な解決手段は、即時性こそ富んでも、持続性はない。すぐに子どもたちは親の目を盗んでアクセスするようになるでしょう。

 「親の思考力」が求められる時代は、すぐそこまで来ています。今後は、「子ガチャ」の要素が薄れて、より一層「親ガチャ」の要素が濃くなっていくはず。AI時代の子育てを左右する親の能力・努力経験の重要性についてお伝えします。

情報の封鎖は間に合わない

 現代の子どもたちは、とにかくスマホ中毒であると言われます。令和7年3月に子ども家庭庁が実施した「令和6年度 青少年のインターネット利用環境実態調査調査結果」によれば、青少年(調査対象は満10歳~満17歳で合計3129名)のインターネット平均利用時間は約5時間2分。0歳から9歳までの低年齢層では約2時間9分という結果に。

 娯楽目的で使っている時間は限られるとはいえど、これは無視できない結果です。毎日5時間もスマホやタブレット、パソコンを見ているならば、特に青少年層の自由時間は大半がインターネットに注がれていることになる。「いったい、何を見ているのだろう」と不安になる親御さんも多いはず。

 20年~30年前の子どもたちにアクセスできるメディアは限られていました。『週刊少年ジャンプ』だったり、毎週水曜日の夕方から始まるアニメだったり、はたまた先週発売したばかりの新作ゲームだったり……これらは、企業の監修や編集が入っているものですから、ある程度は親も安心できたはず。それでもなお、「ゲーム脳」といってゲームやマンガを規制する動きは絶えませんでした。

 いまは違います。ここ数年で急速に発達した生成AI技術を使えば、誰でもお手軽に動画作品やゲーム、小説を作れる時代になりました。玉石混交の混沌とした大コンテンツ時代の中で、急速に子どもたちの心を掴んでいく覇権プロダクトとは何なのか。

 かつて世を席巻した『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』などはもはや見る影もない。アニメなども、趣味が多様化した現代において、「みんなが観ているもの」はない。文脈を理解するにも、労力がかかる。同じ話題についていけなくても、同じような仲間をネットで見つければ、趣味の話ができる。

 そんな中で、「ミーム」が注目を集めるようになりました。おそらく一番人口に膾炙したミームである「猫ミーム」。
「チピチピチャパチャパ」「しゃべる猫と無知な猫」など、一定の中毒性と汎用性がある一場面のみが切り抜かれ、それを適用可能な文脈上で放出して、時に笑いを誘い、時には「あるある」を語る。

 これらの動画は、同じ素材を用いて異なる個人体験を語ったり、オリジナルの会話劇を展開したりと、一見するとほかの動画と同じく見える反面、「特定の状況では特定のキャラクターが登場する」ことで、視聴者の理解へのハードルを大きく下げます。
まるで、手塚治虫がスターシステムを採用したかのように、一定見慣れて親しみを持つようになったキャラたちの右往左往を、下地となる話だけそっくり変えて見られることは、爆発的なヒットへとつながりました。

 子どもたちがトゥントゥントゥンサフールの動画に夢中になるのも、おそらく同じ原理でしょう。見慣れたキャラクター達が七転八倒して繰り広げる人形劇。そして、それらは生成AIを活用した様々な作者によって、無尽蔵に作られ続ける。

「トゥントゥントゥンサフール」自体を禁止する命令とその実力行使が可能であればともかく、現実的には難しいでしょう。我々は、もはや「トゥントゥントゥンサフール」に脳を征服されることを諦め、受け入れなくてはいけません。

 しかし、人類に打つ手が残されていないわけではない。私たちは、たとえ手足をもがれようとも、どんな事物や事象をも下地として吞み込みながら、思考を広げていくことだけは可能だからです。


重要性を増す「思考」

 例えば、「トゥントゥントゥンサフールは、何がモデルになって生み出されたのだろう?」と問を立ててみる。少し調べてみれば、インドネシアなどのラマダン(断食)文化で断食終了を告げる太鼓の音色を表わすオノマトペ「トゥントゥントゥン」と断食前に食べる食事「サフール」が元になっているようだとわかるでしょう。
そして、現地の子ども向けにサフールを啓蒙する音楽や動画が作成された際に、これらに登場するキャラクターたちが生成AIで作られて、Tiktokを中心に拡散が進んだ経緯まで把握できるはず。

 ひとつ問を立てたら、それに対する回答を得られます。そして、その回答に対して、さらに問を立てることができるかもしれません。
「ラマダンってなに?」「なぜ太鼓で断食の終了を告げて回るの?」「どんな人がラマダンに参加するの?」などなど、ひとつの解を得られても、それで学びは終わらないのです。

 どんな物事にも知らない部分や原理が気になる部分はあるはず。興味を持ったことから学びのスパイラルを広げていけば、どんなものでも教材になり得る。

 そして、実際に東大生などを育てた親たちは、何気ない会話の中から、子どもの知的好奇心を刺激しています。
東大教育学部卒のNさんは「自分の聞いたことについて、一緒に考えたくなるような問を立てながら、すべてに答えてくれた」ことが東大を目指し始めるきっかけだったと振り返りました。
「ただ知識を一対一で答えるのではなく、様々な豆知識を紹介したり、理論を解説したり、とにかく楽しそうに話してくれたことが、『知ることの楽しさ』を刺激してくれた」そう。

 

 これは、勉強だけの文脈に限りません。日本トップクラスの大学へ進学する子どもたちは、誰もが「考えること」に対して意欲的であり、息をするように考え込む。
勉強や議論討論の場ではもちろんのこと、遊びの場でも「なんで○○なんだろう?」「○○したらどうなるかな?」と思考を促す発言が飛び交います。

そして、特に日本トップの大学生である東大生たちの多くが好んでやまないのが「ボードゲーム」でした。将棋やチェス、オセロなどもそうですが、「ワードウルフ」「カタン」などの知名度が異常に高い。
ボードゲーム界では非常に有名ではありつつ、筆者の体感では90%以上の学生たちに知られていると思わせられたほど。

彼らは、家や学校でボードゲームを遊びます。自身が3人の子どもを育てた親であり、東大を含む有名大学へと羽ばたかせた経験を持つHさんの家庭では、上述のゲーム以外にも「ワードバスケット」「ニムト」など10種類以上が常備されており、子どもたちの挑戦を常に受けて立っていたのだとか。

親の資質が問われる時代へ

これらは、すべて親が子どもたちの思考を上回り、誘導する能力を持っていたからこそできたことでしょう。親が考えること自体に真摯に向き合ってきて、時には苦しみ、時には遊びながら学び続けてきたからこそ、「知」を遊びに昇華できる。

情報には深度があります。「トゥントゥントゥンサフール」についていくら詳しくなったとしても、試験には出てきませんし、10年後20年後の世界を生き残れるような人材にはなれない。
しかし、「トゥントゥントゥンサフール」を入り口にして、より深いところへ堀進めていく——すなわち「ラマダンとは何か?」「なぜ断食するのか?」などを学ぶきっかけとすれば、それはむしろ子どもたちの学びを助けるきっかけとして機能するようになるはず。

とはいえ、現実的には子どもだけでそんな問いを立てることは不可能です。だからこそ、親の助けが必要になる。子どもたちの無邪気な「脳腐れ」に対して、それらを知的好奇心が刺激されるような体験としてどれだけ昇華できるのかが、これからの子育てを決定づけていくでしょう。

すぐに「親自身が、どのように学びを捉えてきたか」が問われる時代が来ます。「つらいもの」「めんどうくさいもの」「単に覚えていればいいもの」と、ろくろく努力もせず、学び自体を労役と捉えながら生きてきたような方は、たとえ名門大卒の血筋を持っていようとも、子どもの脳はどんどん腐っていくかもしれない。

私は常々「親が勉強していれば、子どもは勉強する」と唱えてきました。これは、「生活習慣の中に勉強が入っていると、子どもがマネするかもしれない」の意味でもありますが、それ以上に、「親が勉強する楽しさを知っていれば、子どもにそれを伝えることも容易である」という意味が大きい。

学びは大変ですが、新しいことを知る努力はとても楽しいものです。問題は、どうすれば「大変」なハードルを超えられるか。そしてその答えもわかっています。強制力では壁を乗り越えられずとも、愛のためなら人は喜んで苦役にすら勤しむのですから。

学べば、好きなものを、もっと好きになれる。そして、その道のりもまた、楽しく示唆に富んでいる。
そう気づかせることができれば、Wi-Fiを解約したり、スクリーンタイムを制限したりしなくても、子どもの地頭は勝手に育っていく。それがあれば、どんな難関大だとしても、恐れるに足りません。

手前味噌ではありますが、私自身、1秒たりとも机に向かって勉強せずとも、マンガやゲームを入り口に学び続けていたため、成績は最上位クラスをキープ、特待生待遇を6年継続し、都合1年半未満の受験勉強で東大に合格しました。これもまた、幼少期にパソコンとゲーム機のおさがりを入手してくれた両親のおかげ。

今後の「親ガチャ」は、遺伝子や収入ではなくて、「親の能力」「親の努力歴」によって語られてくるかもしれません。「楽してコスパよく」と唱えられがちな現代ですが、数十年後にはツケを払うことになるかもしれない。
逆に、学びに対して、常に真摯であり続ければ、受験戦争に身を投じずとも幸せに暮らしていける可能性も。子どもたちの無邪気で強大な好奇心を、適切に導いていける親こそが、次世代の「親ガチャ当たり枠」となるのかもしれませんね。