一つのことには驚くほど集中できるのに、忘れ物が多かったり、段取りが苦手だったりする。そんな子どもの姿に、心当たりを持つ親御さんは少なくないのではないでしょうか。集中力があるのか、ないのか分からない。伸ばすべきなのか、抑えるべきなのか。目の前の子どもを見ながら、どう関わるのが正解なのか迷ってしまう瞬間は、決して珍しいものではありません。
今回話を聞いた粂原さんも、まさにそうした「集中が偏って見える子ども」でした。何かに夢中になると周りが見えなくなり、一つのことに集中するととことんやる。その一方で、日常の細かな管理は、あまり得意ではなかったといいます。
しかし粂原さんの家庭では、その“偏り”を直そうとすることは選ばれませんでした。忘れ物、宿題、習い事、遊び、勉強。日常のあらゆる場面で、「集中できる状態を守る」関わり方が取られていたのです。
本記事では、その考え方が家庭の中でどのように実践されていたのかを、京都大学を主席で卒業し、競技かるたでは名人位を3期にわたって獲得してきた粂原さんに話を聞きました。
一見すると、幼いころから何もかも器用にこなしてきたようにも見える人物です。しかし本人が振り返る幼少期には、忘れ物や段取りといった日常面でのつまずきも多かったといいます。
今回の取材では、そうした意外な一面とともに、その背景で家庭がどのような関わり方をしていたのかを、具体的なエピソードを通して掘り下げていきます。
プロフィール
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お母さんが用意してくれていた「忘れ物をしない日常」
__何かにハマると止まらないタイプだったそうですが、その分、日常生活で困ることはありませんでしたか。
粂原さん:
ありましたね。一番分かりやすかったのは、忘れ物だと思います。
何かに夢中になると、周りのことがすっぽり抜けてしまうタイプだったので、学校から帰ってもランドセルの中身は見ずに、そのまま放り込んで、 「行ってきます」って外に遊びに出ちゃうような感じでした。
それでも、私は忘れ物をすることがほとんどなかったんです。
これ、自分がちゃんとしてた、というよりは、完全に家のおかげなんですけどね(笑)。
私が学校から帰って、そのままランドセルを放り投げて遊びに行った後、あとで母親がそれを開いて、「これ宿題だね」とか、「あ、もうすぐこの教科テストあるね」って言いながら中身を確認してくれていたんです。そして、次の日の時間割を確認して、教科書とかノートを入れ直していました。
だから私は、朝ランドセルを背負って学校に行けば、授業の順番どおりに上から取っていくだけで、必要なものが全部出てくる。
自分で準備したことはほとんどなかったです。
__かなり手厚くサポートされていたんですね。
粂原さん:
でも当時の私は、それが特別なことだとは全然思っていなくて。家では、そういうもの、っていう感覚でした。
だから、小学校のころは、忘れ物をする子を見ると「なんで忘れるんだろう?」って本気で思ってました(笑)。実際は、僕ができていたわけじゃなくて、母が裏で全部整えてくれていただけだったんですよね。
自分が実は管理が苦手だってことにも気づかないまま、勝手に“できる側”に立っていたというか。今思うと、ちょっと恥ずかしいですね。。。

「答え」を教えない宿題の向き合い方
__勉強面でのサポートで特に印象的なことはありますか?
粂原さん:
一番印象深いのは、読書感想文ですね。
読書感想文って、「何を書けばいいかわからない」とか、「正解が見えない」と感じて、手が止まりがちですよね。だから、作文が嫌いになってしまう。
でも、私は作文が好きだったんです。うちでは少し関わり方が違っていたからでした。
夏休みになると課題図書が配られますよね。
母はそれらの中から選んだ何冊かの本を並べて、「どれで書く?」とまず選ばせるところから始めていました。
一冊を選んで読んだあともいきなり書かせるのではなく、「どうだった?」と聞かれて、印象に残った場面や感じたことを、会話の中で言葉にする作業をリードしてくれました。
書き始めたあとも、母が 「ここって、どういう意味で書いたの?」とか、「この気持ちは、どの場面のことかな?」と問いを返しながら、考えを整理する手助けをしてくれた。
質問に答えていくだけで、気が付いたら作文が出来上がっているんですから、苦手意識はありませんでしたね。ただ、一人でやっていたら、書くこと自体を嫌いになってたかもしれません。
母は、方向こそ示しますが、文章をどう書き直すかを決めて、最後まで仕上げるのは、いつも私でした。着かず離れずのいい距離間で親のサポートを受けられたので、私自身も達成感を得ながら、過度に躓くことなく、私の書きたいものが書けました。
__提案が負担になったり、興味のない本を押しつけられることはなかったのでしょうか。
粂原さん:
それはありませんでしたね。高学年になるころには、もう自分で本を選んでいました。
もちろん、小さいころは、まだ自分の好みもはっきりしていなかったので、母が何冊か並べてくれて、「どれにする?」と聞く形でサポートしてくれました。
でも、自分の中で「こういうのが好きだな」とか、「これで書きたい」など好き嫌いが固まってからは、自分で選ぶようになった。
「これで書きなさい」と決められることもなかったですし、基本的には任せてもらっていました。
母のサポートのおかげで、小1とか小2のころから、「うまく書けた」と自信がついたためか、読書感想文を「やらされている」という感じはあまりなかったんです。
もちろん「今はちょっとやりたくないな」と感じることはありましたけど、どこかで「やればできるでしょ」と確信があった。それまでの成功体験があったからこそ、そう信じられたのでしょう。

無理に「続けさせない」ことで残っていったもの
__習い事については、どんな選び方をしていたんですか?
粂原さん:
小さいころから、水泳とか書道とか、絵画教室、英会話、野球、テニス、ローラースケートなど、本当にいろいろやっていました。
でも、どれも「これを続けなさい」って決められて始まったものではありません。
母が地域の教室や活動を見つけてきて、「こんなのあるけど、どう?」と聞いてくる。やってみるかどうかも、続けるかどうかも、基本的には私が決めていました。
個人的に助かったのは「習い事があっても、友達との遊びを優先してよい」と許してくれたこと。「友達と約束がある」と言えば、塾も習い事も休んでOK。遊びを我慢させられることはありませんでした。
もちろん、遊びたい気持ちとぶつかるような習い事は、自然と行かなくなっていきました。
逆に、気づいたら時間を忘れてやっているものもあって、そういうものだけが、結果的に残っていった。そこから、自分の好き嫌いについて、自覚的になれたのかもしれません。
例えば、ゲームにハマると本当に止められなくて、母と一緒に夜中の2時くらいまでずっとやっていたこともありました。教育的にはよくないかもしれませんが(笑)。
あらゆることに対して、母から「もうやめなさい」と言われることはなく、私が納得するまでやらせてもらっていました。
だからこそ、あるところで一気に飽きて、「もういいかな」って自分から離れられた。過度なゲーム中毒にならなかったのは、一度中毒になるまで経験して「卒業」できたからです。
私にとって、何かをやめることは「失敗」ではなく「攻略成功」の証でした。その中で、「これはまだまだ続けたい」と感じるものだけが、今も残っています。
そうして残り続けているもののひとつが、今も熱中している競技かるた。自分の中で適度な距離感を保ちつつ熱中できるライフワークです。

勉強も競技かるたも、同じ「集中の延長線」
__遊びや習い事を優先してらっしゃったとのことですが、勉強がおろそかになる心配はありませんでしたか?
粂原さん:
いえ、勉強は勉強でしっかりやっていましたから、その心配はありませんでした。私たちが、ご飯を食べたりお風呂に入ったりを「義務」ではなく「当然のルーティン」と捉えるように、勉強も「生活の一部」だったからです。
これもまた、母親の影響が大きい。通信制の大学に通っており、自宅で課題や試験勉強に取り組む姿を日常的に目にしていたんです。親も自然とやっている当たり前のことですから、私にとっても勉強を特別な義務とは感じられませんでした。
もちろん、勉強を強制されることもなく、「この時間は絶対に勉強しなさい」と決められることもなかった。 必要なときに向き合って、そのときは集中する。終わったら、遊びや習い事に切り替える。やらされていないので、切り替えも自然でしたね。
先述の競技かるたで、瞬間的に集中する技術が身に着いたのかもしれません。そもそもかなり集中力が必要な競技ですが、一日に何試合も行う日だってあります。
ずっと張りつめていてはもちませんから、細かくオンオフを切り替えるわけですが、この癖が身に着いたことで、勉強とそれ以外のオンオフにも応用できたのかもしれません。
マイクロマネジメントではなくディレクションを
ここまで振り返ってみると、粂原さんの家庭が一貫してやっていたのは、子どもを管理することではありませんでした。
苦手を無理に直すのではなく、集中が削られないように支える。本人の好き嫌いがはっきりするまで、一度任せてみる。方向性だけを整えて、後は様子を見る。
その時々で、子どもが「集中できる状態」を整え続けていただけでした。親はあくまで方向性だけを決めるのであり、関わり方や方法については、子どもが好きに考える。これを通じて、粂原さんは自分が好きなものと嫌いなものをハッキリ分けられるようになりました。
好きなものなら集中できる。集中して取り組めば、どんなものでも、ある程度総合的な生きる力が育まれていく。
親ができるのは、その芽を急いで整え直すことではなく、集中できる状態を守ることなのかもしれません。
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