「学校初の総合型へのチャレンジで、情報が本当に何もなく、すべての対策が手探りでした。入学した後にできた東京の友人の話を聞くと、『本当に同じ日本で対策してたのか?』と疑うくらい環境が違いましたね」
こう語ってくれたのは、山形県の私立高校に通っていた秋山幸大くん。高校2年生の冬に進路について真剣に考え始め、総合型選抜という道を選びました。
「テニスと生徒会を頑張る、地方によくいる”普通”の高校生だったと思います。入試も”普通”に一般受験かなと漠然と考えていて」
少し恥ずかしそうな秋山くんは「普通」に考えていた進路から、学校初の総合型受験にチャレンジすることになります。先輩が今までチャレンジしたことのなかった推薦入試を、なぜ選ぶことにしたのでしょうか。
彼の挑戦の軌跡には、特異な境遇と推薦を選ぶ「納得の理由」がありました。
「校長の息子」という運命
秋山さんが通っていたのは、山形県の私立高校。同校は進学率が約50%で、残りの生徒は就職するという環境でした。
しかし、彼の学校生活には特殊な要素がありました。秋山さんの父親が、他ならぬ高校の校長だったのです。
「自分の父が校長をしてまして」と淡々と語る秋山さん。この事実は、彼の高校生活に少なからぬ影響を与えたそう。特に生徒会長に立候補した際には、周囲からの視線が痛かったといいます。
「本当に印象深いのは、『お前いいよな』みたいな感じで。『校長の息子で何してもうまくいくように、レールがあるよな』みたいな感じで言われたのが結構きつかった」と当時を振り返ります。
確かに、身近に「校長の息子だ」という子がいたら気になってしまうかも...と記者もインタビューしながら思ってしまいました。失礼は承知で「実際父親が校長のメリットはあったのか?成績とか...?」と聞いてみると、
「それは絶対にない。そんなことをしたら大問題になりますからね」と苦笑い。
こういう余計な詮索が、3年間も続くとなると、きつかったこともあるというのも納得です。それでも秋山さんは、自分の挑戦したいという気持ちを大切にし、生徒会長選挙に出馬。
見事当選します。
「選挙みたいなのが一応あって、その中でという感じだったんですけど」と語ります。校長の息子というハンデを背負いながらも、生徒たちの支持を集めたのです。「圧勝でしたね」と選挙結果を振り返る秋山さん。
「そういう子に何か言われたりしなかったのか?ずるいお前、みたいな」という質問に、「言われてはいたと思います。でも選挙の結果が自信になってました」と答えてくれました。自分の立場に対する批判を恐れるのではなく、自分の力で信頼を勝ち取ったことがうかがえます。
このように「校長の息子」というレッテルについて、秋山さんは「関係ないな」と思って突き進んだといいます。「使えるものは使っちゃうしかない、みたいな感じ」と自己分析する彼は、むしろ自分の立場を前向きに捉えていました。周囲の声が耳に入らないわけではなかったものの、「校長の息子」という事実を理由に委縮するのではなく、できることに全力で取り組む姿勢を貫いたのです。
実際、秋山さんは生徒会長だけでなく、テニス部の部長も務めるなど、高校生活を精力的に送りました。
学校初の総合型選抜挑戦者として
そんな秋山さんが通った高校では、総合型選抜(旧AO入試)で大学を目指す生徒はほとんどいませんでした。「自分が地元ではじめて総合型を目指すくらいの感じで」と語る秋山さんは、学校でのパイオニア的役割を担うことになったのです。
「父親から『幸大の経験を指導にも活かしたいから、チャレンジしてみよう』と後押しされたことも大きくて。自分が受験しながら、推薦の対策方法とかも色々後輩に伝えていけたらなという思いでした」
そして地元では総合型の対策ができる塾はもちろんなく、高校2年の1月、秋山さんはオンラインで総合型選抜対策の専門塾に入塾します。
「自分の塾が毎日小論文を書く塾で、結構しんどくて」と当時を振り返ります。部活動や生徒会の仕事と並行しながらの挑戦でした。
やはり興味深いのは、彼の総合型選抜への挑戦が学校全体に影響を与えたこと。「おそらく僕の影響もあって、その年の推薦受験生は最終的に結構増えたので」と秋山さんは語ります。彼の存在が同級生や後輩たちにとってのロールモデルとなっていたのです。
父親である校長も、彼の挑戦を後押しし続けてくれました。
「自分っていう子供を育てていく中で、自分の息子が大学受験にも直面して、大学選びしていく。そんななかで、総合型っていう方が、最近地方では向いてるんじゃないかみたいな感じの話をして学校でもしていました」
「推薦塾に入ったのも、割と早い方ではあったので。地元の受験に対する意識では、相当早い方だったんじゃいかな」と、地域でも先駆的な取り組みだったことがうかがえます。
父親の旗振りもあってか、推薦入試の出願の時期には、学校全体に総合型選抜にチャレンジする生徒がいたそうです。
「多分『一般で勝負するより、総合型の方がメリットあるぞ』みたいな」認識が、教員から生徒へと浸透していったのでしょう」
「唯一の不合格」という苦い経験
そして受験本番。秋山さんは複数の大学の総合型選抜に挑戦しました。
立命館大学文学部、早稲田大学社会科学部、慶應義塾大学文学部、筑波大学人間学群教育学類などです。最終的には、立教大学に進学をすることになります。入試を受ける際には、特に早稲田大学での経験が彼に大きな転機をもたらしました。
「早稲田で、6人入試受けてたんですよ。同じ入試枠で。東北ブロックが6人、このうち5人受かるという状況で落ちたのが僕だけだった」と秋山さんは語ります。
地方枠での選考で、同じブロックの受験生のほとんどが合格するなか、唯一不合格となった彼の心中はかなり複雑だったことでしょう。
「めちゃくちゃ悔しかったんですけど」と率直に思いを吐露する秋山さん。しかし単に悔しいだけでなく、この経験から重要な気づきを得ました。「そのときにハッとして。面接中にも違和感がすごいあったんです」と、面接での手応えに関する内省を語ります。
振り返ってみると、「僕が自分っていうのを知ってもらおうとしすぎて、その大学に入り、入りたい意志を見せることができなかった」とのこと。学びたいことの背景や、どうしてこの学問に興味を持ったのかという自己アピールに終始し、大学への熱意を伝えきれなかったようなのです。
「痛烈な志望理由書を書いてたっていうのもあって、『尖った人間像』っていうのを自分は意識して面接に臨んでいった」という秋山さん。しかし早稲田側は「もっとこう、何ていうんですかね。清々しい感じの、『尖っていない人間像』の学生を求めていた」と秋山さんは感じたそうです。
この経験は単なる挫折ではなく、彼の総合型選抜への理解を深めることになりました。
「早稲田は、面接が良くなかった」と自省しつつも、その後の立教大学の面接では「自分を素直に表現した結果、一番いい反応をしてくれたのが立教だった」と語ります。
「実際に今思えば、立教の分野が一番自分がやりたかったことだったなって思う」という秋山さん。唯一の不合格という挫折が、逆に本当に自分が合うべき大学への道を開いたのかもしれません。
決断の連続が道を開く
秋山さんの大学受験の道のりは、多くの決断の積み重ねでした。
「これって今思うと、結構クレイジーだなっていう決断を、人より多めにしてきた印象」と語る秋山さん。
校長の息子として生徒会長に立候補する決断、学校初の総合型選抜に挑戦する決断、そして唯一の不合格という経験から学び、別の大学で成功を収める決断。「やって後悔した方がいいな」「やらない方が後悔しそうだな」という気持ちで決断してきたといいます。
彼が地方高校から総合型選抜で立教大学現代心理学部心理学科に合格できたのは、こうした決断力があったからこそでしょう。
今は大学でウエイトリフティング部に所属し、スポーツジムでアルバイトをしながら充実した大学生活を送っています。
地方からの推薦入試には再現性がある。
地方高校から総合型選抜で名門大学に合格した経験から、秋山さんは後輩たちにアドバイスを送ります。
「自己理解、自分を知るっていう部分が、本当に多分大事になってきてて。あらゆる選択で、一般入試か推薦入試か選ぶっていう点以外でも、自分がどういう人間かっていうのを詳しく知った上で選択できるようにしてほしい」と語る秋山さん。
「特に地方出身者にとっては、育ってきた環境こそがチャンスになる。まだ誰もチャレンジしたことがないからと言って、恐れないでほしい」とエールを送ります。
彼の経験は、「校長の息子」という特殊な立場、「学校初の総合型選抜挑戦者」という先駆者性、そして「唯一の不合格者」という挫折と克服の物語でした。
大学進学率約50%の地方高校から、立教大学への道を切り開いた秋山幸大さん。彼の軌跡は、環境や背景に関わらず、自分に合った挑戦を選ぶことの重要性を教えてくれます。
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