いま、学校の先生が「カスハラ」に悩んでいることをご存じですか?
カスハラは「カスタマーハラスメント」の略称で、もともとは接客業の現場で使われてきましたが、近年「学校での被害」が増えてきたそうです。先生が、保護者とのかかわりの中で苦しみ続けている。
もちろん、 多くの保護者は、子どものことを思う気持ちから学校に相談や要望を伝えているはず。それでもなぜ、学校現場で「カスハラ」という言葉が使われるようになってしまったのでしょうか。
今回は、実際に小学校教師として現場に立つ佐々木さん(仮名)と伊集院さん(仮名)に話を聞きました。学校ではいま、何が起きているのか。現場に響く生の声をお届けします。
プロフィール

公立小学校の教師 20代、30代
佐々木さん、伊集院さん(仮名)
時間外労働が日常になる学校現場
―― 学校現場では、一番大変に感じる部分はどこでしょうか。
佐々木:とにかく、朝から晩まで「自分の時間」が全くないことでしょうか。
まず、教師という仕事には、いわゆる「営業時間」がありません。一応定時として定められているものはありますが、実際には時間外労働が日常的にあります。
たとえば、朝の登校前の時間帯なんかは大変です。我々教師も児童も、学校によって「朝の8時(7時)○○分から」と決められた時間に着けばいいはずなのですが、それがほとんど守られていないのが実態なんです。
朝の8時に登校義務があるとしましょう。それで8時につくと、子どもたちは既に校門の前で待っているじゃないですか。そうすると、門の前で騒いだり、遊んだり、喧嘩したりし始める子も出てくる。
朝から家の近くで大騒ぎとなると、学校近隣のご家庭からすぐにクレームが入ります。それに、学校前の交通量によっては、不注意で事故にあうかもしれない。そうならないためにも、私たちは子どもたちよりも早く登校して、学校を開けています。
問題は、何時に来ればいいか。8時登校なら7時50分でいいのかと言われれば、そうではない。朝早くから学校に来ている子もいるからです。
特に、最近は、共働き家庭が増えたからでしょうか、7時半などには既に登校している子もちらほら出てきている。きっと、親が家を出る時間に、子どもも一緒に出されているのでしょうけれど、そうなると我々教師はさらに早くから出なければなりません。
以前、開門時間を見直そうとした事例もありますが、生活のリズムに大きく影響するという理由で、保護者側から強い反発が出たケースもあります。

ただ、こうした早朝対応は労働時間としてはほとんど扱われません。正確には、終業時刻からの残業はつきますが、始業時刻より前の「早業」は、申請項目にないのです。だから、どれだけ早く出勤しても勤務としてカウントされることはなく、我々教師のサービスで回っているに等しい状況です。
伊集院:ただ、残業や「早業」が予想外の負担かと言われれば、そうではありません。
正直、日中は子どもたちを見るので手いっぱいで、書類仕事などを進めようとしても、なかなか捗らない。なので、私たち教師は、事務仕事をするなら子どもがいない早朝もしくは夜などがある程度前提になっているからです。
しかし、それを差し引いても、最近はかなり厳しい残業を強いられています。下校後の面倒も、我々がみるようになったからです。
「放課後に、家に帰るまでの道すがら、ランドセルを放り出して公園に遊びに行った」なんて思い出を持っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。ただ、昔は「どこかで遊んでいるのだろう」で済んだ問題が、現代では「家に帰ってこない」と心配される方の割合が増えているようです。
心配なのは悪いことではありませんが、問題は、ご家庭から学校へ「そろそろ帰ってくるはずなのに、まだ帰宅していない。学校で探してくれないか」と連絡が入るケース。
もちろん、我々も何か事件に巻き込まれていないかと心配ですし、仕事を放り出して、時には職員総出で街中を駆け巡ります。ただ、大体は近所の公園や友人宅で遊んでいる。
「何もなくてよかった」とはいえ、その間の仕事はすべてストップしているわけです。
それ以外にも、学校と併設している学童から「○○君の普段の様子について」と問い合わせが入ることもありますし、「○○公園で騒いでいる子どもがいる」とだけ通報が入れば、走って現場に駆け付けます。
「友達と小石を蹴りながら帰る」なんて親世代なら「あるある」ですが、もし物や人に当たれば、もちろん学校にクレームが来る。学校側も、児童を特定してご連絡を入れるわけですが、そうすると、今度は「うちの子に限ってそんな!」と学校に逆切れしてくるパターンもしばしば。

子どもだけではなく、親御さんの対応も難しくなりました。保護者様が面談をご希望される場合もありますが、もちろん働いていらっしゃる方も多いですから、「仕事が終わった18時から」などと指定を受けます。
ですが、18時は我々教師の終業時刻を大きく回っていることがほとんど。ナチュラルに「残業してくれ」と言われているに等しいのですが、相手の事情もあるから、なかなか「15時台にしてくれ」などとは言えない。
それに、ようやく面談が始まっても、内容が整理されていることは稀で、大体は子育てや家庭、家族関係の悩みから入って、「20分の面談」のはずが「1時間の愚痴大会」に変わっていることも珍しくない。
私たちの書類仕事などは、これらが終わってからとなります。1時間や2時間で終わる量だとしても、19時から始めれば、終わるのは21時など。家から離れた学校に勤務することもざらですから、帰って遅めの夕食を取り、少し休んだら、もう23時や24時になっているのが当たり前なんです。
私が新人教師の時は、月の残業時間が多いことを冗談交じりに語り合っていました。
「正当なクレーム」と「カスハラ」の境界
――でも学校なんだから、生徒の面倒を見てほしいという保護者の思いは、間違っていない気もします。
佐々木:正直に言えば、その気持ちは分かります。
「学校は子どもの教育現場なんだし、先生は教育のプロなんだから、お願いすればきちんと対応してくれるだろう」と思われるのも、自然だと思うんです。
ただ、頼っていただくのは嬉しい反面、「学校はあくまで教育機関であって、子どもを預かるための場所ではない」ともお伝えしたい。もちろん、責任を放棄しているわけではなく、「学校と家庭には、それぞれに担うべき役割がある」ということです。
教師の仕事って、どうしても「授業」だけに見られがちなんですけど、実際はそれだけではありません。
トラブル対応だったり、学校によっては生き物を育てていることもあるのでその世話、また校内での役割分担もある。それに加えて、教育委員会からの文書も、少ない日でも数件、多いときは1日に5〜6件、ほぼ毎日のように届きます。

正直、それら一つ一つが軽い仕事というわけではなくて、内容を読み込んで、判断して、対応して、記録を残す、という作業を積み重ねながら、日々の業務を回しています。
体感としては、子どもと直接向き合っている時間が4割くらいで、残りの6割は、外からは見えにくい書類作業や調整業務です。
子どもに大きなトラブルがなくても、「今日は何もなかったから楽だった」という日が、ほとんどない。それくらい、常に何かに追われている感覚があります。
伊集院:あと、これは本当にしんどいなと感じていることなんですけど、一度こちらが対応してしまうと、それが前例になってしまうんですよね。
たとえば、学童のトラブルや、保護者の方からの個別相談。一回「分かりました」と引き受けると、それがその場限りじゃなくて、次からもずっと続いていく。
「前の先生はやってくれたのに」って言われることもありますし、場合によっては「今年の先生はハズレ」と受け取られる言葉を向けられたこともあります。
佐々木:最近は「先生ガチャ」なんて言葉もありますよね。担任が当たりか外れか、みたいな見られ方をしてしまうのは、正直つらいです。
それに、ここ数年で特に感じるのは、先生の仕事ぶりだけじゃなくて、その人のバックグラウンドまで見られるようになったな、ということです。
学歴や年代など、教師の枠を超えた個人の背景まで含めて評価・判断されていると感じる場面もあります。
たとえば、35歳くらいで、落ち着いていて、正規雇用で、学歴もあって、子育て経験もある女性の先生だったら、最初から信頼してもらえることも多いのかもしれません。
でも、そんな条件に全部当てはまる先生って、正直ほとんどいないですよね。実際には、若手の先生だったり、まだ子どもがいない先生のほうが多い。
そうすると、「先生は子どもがいないのに、何が分かるんですか」って言われてしまうこともあります。
仕事の内容というより、「この人を信頼していいかどうか」を、経歴や立場で判断されている感覚があって。信頼してもらえればトラブルは減るんですけど、そうじゃない場合は、きつい言い方で言われたり見下されているように感じたりする。
それが積み重なると、仕事をしているというよりも、ずっと人として評価され続けている感じになってしまってそれが1番苦しいですよね。
現実と理想のギャップ
__「教師は大変」「教職はブラック」なんて言われ始めてから数年が経過しましたが、「大変」の内容が、教育に関する取り組み以外にあるとご存じだったのでしょうか?
伊集院:まったく、むしろ「教えて育てることは大変だけれど、やりがいがあるから、頑張ろう!」と熱意に溢れていました。
ですが、実際に我々が毎日こなしているのは保護者の家庭環境の整備であったり、地域住民との折衝であったり、教育に付随することばかり。そのせいで、授業研究など、やりたかったはずの「教育」が後回しになっているのが現状です。
もともと教師になろうと思ったきっかけは、「勉強している」って意識しなくても、自然といろんな知識が入ってくる、そういう授業がしたかったからなんです。
それに、子ども同士の関係性もそうですし、クラス全体の空気みたいな学校でしか作れない人間関係って、やっぱりあると思っていて。
そういうものを大事にしたクラスづくりがしたくて、教師になりました。

でも、最近の保護者と先生の関係を見ていると、どこか「発注先と受注先」みたいな、一方通行の関係になってしまっているな、と感じることが多いです。
本来は、先生と保護者が協力して、二人三脚で子どもたちの未来をつくっていく、そういう関係が理想だと思うんですけど、現実はなかなかそうはいかない。
学力面一つ取っても、差はかなり大きいです。塾に通っている子と、学校の授業だけで勉強している子では、正直、スタートラインが違うと感じることもあります。
例えば三年生で、英会話に通って英語をどんどん先取りしている子がいる一方で、足し算や引き算がまだ不安な子もいる。同じクラスの中で、学力の幅がかなり広い状態なんです。
そうなると、「みんなが楽しい授業」を作らなきゃいけない一方で、受け取る側の理解度はバラバラ。そのギャップをどう埋めるか、毎回すごく悩みます。
本当は、そのためにもっと授業準備に時間をかけたい。 一人ひとりにどう届くかを考えて、教材を工夫したり、進め方を考えたりしたいんです。
でも、現実にはそこまでの時間を取るのが難しい。結果として、授業準備はどうしても勤務時間の外に回ってしまって、残業が増えていく。そういう苦しい状況が、ずっと続いているなと感じています。
学校が本当に保護者にお願いしたいこと
__「学校に相談」が気軽な選択肢になりすぎているのでしょうか?
佐々木:誤解してほしくないんですけど、学校として「相談してほしくない」と思っているわけでは、まったくないんです。
たとえば、勉強の教え方とか、学習面の相談は大歓迎です。「今つまずいているところはどこか」「どう声をかけたらいいか」そういう話なら、学校として一緒に考えることができます。
現状をどう改善していくか、という話もできますし、中学・高校、その先を見据えて「今はこういう時期ですね」と整理することもできます。
ただ、そこでどうしても線を引かないといけないのが、将来設計を“決め切る”ことなんです。
中学・高校・その後の進路については、不確定要素が多すぎます。ここで「この道がいい」「こうなる」と決めつけるのは、正直よくない。 それを「先生が言ったから」と妄信されてしまうのも、すごく怖いんです。
佐々木:それから、しつけに近い部分についても、学校の仕事ではない、というラインはあります。
たとえば、食事のマナー。犬食いをしてしまう子や、箸がうまく使えない子、トイレの使い方や、おむつの使用といった生活面での支援が必要な子も増えているんです。
性別や年齢、発達の段階によって事情が違うのは分かります。でも、「うちの子をどうにかしてください」という形で、すべて学校に委ねられてしまうと、やっぱり無理があります。
最近は、核家族化や共働きで、家庭側に余裕がなくなっているのも、背景としてあると思います。だからこそ、学校に頼りたくなる気持ちも理解はできます。
ただ、その延長で出てくるお願いの中には、正直、学校では対応しきれないものも増えています。
「習い事があるから宿題を減らしてほしい」「受験生だから宿題をなくしてほしい」「出席義務をなくしてほしい」「受験組は休みがちになるから、リモートで授業を受けさせてほしい」
コロナ禍でリモート授業の仕組みができたことで、「需要があるなら、つないでもらえるはず」という前提が残ってしまっている面もあります。でも、全員に対してそれをやり続けるのは、現実的ではありません。
伊集院:それと、地味なんですけど、忘れ物の問題もあります。
図工や書写のセット、筆箱や消しゴム。「今日は忘れちゃいました」と言われると、授業が進まなくなってしまうこともあるんです。
こちらで貸すこともありますけど、実は教師が自費で買った私物だったり。
何度も続くと、正直、金銭的負担にもなってしまうんです。

宿題についてはいろいろ意見があると思いますが、少なくとも、忘れ物は家庭でカバーしてほしい。道具がないと、授業そのものが成立しなくなってしまいます。
―― 最後に、教師の立場から、ご家庭に「これだけはお願いしたい」と思っていることがあれば教えてください。
伊集院:まず一つ目は、連絡帳を、親子の会話のきっかけに使ってほしいということですね。私は、連絡帳にできるだけ「今日ここを頑張っていました」とか、「こういうところが良かったです」とか、短くても一言書くようにしています。
特に男の子は、家に帰っても学校の話をあまりしないことが多いんです。「今日どうだった?」と聞いても、「別に」「わからない」で終わってしまう。
だからこそ、「先生、こんなこと書いてくれてるよ」って、連絡帳を軸に親子で話してもらえると、それだけで全然違います。
そのときに、あまり強い言葉で評価したり、否定したりしないでほしい。
「それはダメでしょ」とか、「最低だね」と決めつけるよりも、「そうなんだ」「いろんな人がいるよね」って、一度受け止めてもらえると、子どもは安心します。
学校って、本当にいろんな子が集まる場所なので、「いろんな人と付き合えるようになろうね」っていう話を、家庭でもしてもらえるとありがたいですね。
伊集院:最近は、家庭での会話自体が減っているな、と感じることも正直あります。
「お父さん今日は仕事?」って聞いても、「わからない」
「今日は学童?」って聞いても、「わからない」。小さい子ほど、予定や記憶があいまいになることも多いです。だからこそ、「今日は病院があるから早退します」みたいな予定も、連絡帳に書いてもらえると本当に助かります。
連絡帳が廃止されている地域も増えていますし、親が先生に直接伝えるツール自体が、どんどん減ってきている。だからこそ、報連相は大事にしたいです。
佐々木:もう一つ、ぜひお願いしたいのが、子どもへの声のかけ方です。
例えば家に帰ってきてから、「今日、嫌なことあった?」って聞くと、子どもは親の期待を感じ取り、無理に嫌なことを探したり、場合によっては心配されたいという気持ちから、事実とは異なる形で話が膨らんでしまうケースもあります。
それよりも、「今日、何が楽しかった?」って聞いてあげてほしい。
この聞き方一つで、親子で共有する「学校のイメージ」は、本当に大きく変わります。
楽しかったことをベースに話していれば、「学校=楽しい」になる。本当にすごく嫌なことがあったときは、子どもから言ってきてくれます。なので聞き方をぜひポジティブにしてみてほしいです。

佐々木:あとは、学校からのお手紙やお知らせを見てほしいです。
学校では、年間予定表や月ごとのスケジュール、「これが必要です」という案内も、必ず事前に出しています。それでも、「急に言われても困ります」と言われてしまうことがある。
最近は、紙だけじゃなくて、アプリでお知らせしている自治体も多いです。「親に届いていない」というケースは、以前より確実に減っている。
だからこそ、事務的な部分は、家庭でしっかり見ていただけると助かります。
まとめ
今回、現場の教師たちの声を通して強く感じたのは、「互いに協力してつくる教育環境」が求められていること。
家庭と学校が少しずつ役割を分け合い、情報を共有し合う。
どちらかがすべてを背負うのではなく、「ここまでは家庭で」「ここからは学校で」と線を引きながら支え合うことが、結果的に子どもにとって安心できる学びの環境につながっていくはずです。
教師の負担を減らすことは、教師のためだけではありません。
授業に向き合う余白を取り戻すことは、子どもたちの学びの質を守ることでもあります。
二人三脚のような関係に立ち戻ることが、いまの学校には必要なのかもしれません。
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