2021年、TSMC(台湾積体電路製造:世界最大の半導体受託製造企業)が日本への工場建設を正式に決め、拠点として熊本県・菊陽町が選ばれたというニュースは、日本中を驚かせた。

半導体は「現代文明の米」とも呼ばれ、スマートフォン・自動車・医療機器・ロボット・AI……あらゆる産業の根幹を担う存在だ。その製造拠点が熊本にできるということは、日本の産業構造にとっても、九州の未来にとっても、極めて大きな意味がある。

そんな中で、熊本県立大学は“日本初”ともいえる「半導体学部」を創設しようとしている。

2027年度の開設を目指し、産業界・自治体・大学の力を結集して設計が進むこの新学部は、一体どのような構想なのか。
そして、なぜ熊本なのか

今回、半導体学部創設の中心で指揮を執る 熊本県立大学理事長・黒田氏 に、これまでのキャリア、産業の変化、熊本の可能性、そして未来の高校生に伝えたいことを伺った。

■ 東芝の黄金期、慶應での教育、そして日本の半導体停滞

ーーーまず、黒田さんのご経歴を教えてください。

黒田氏「私は1982年に東芝へ入社し、約20年間、半導体の研究開発に携わってきました。当時の日本は、世界中の研究者が行列をつくってでも見学に来るほどの“半導体大国”でした。まさに黄金期です。

40代になって慶應義塾大学へ移り、今度は約20年間、大学で半導体教育に携わりました。

しかしちょうどその頃は、日本の半導体産業が世界的に後れを取り始めていった時期です。優秀な学生がいても、必ずしもその才能を伸ばす産業構造を作れない——そんな忸怩たる思いがありました。

2019 年から、東京大学大学院工学系研究科で教授として活動し、国全体で半導体戦略が動き出す流れを間近で見ました。その中で、“大学として産業を支える新しい組織が必要ではないか”という議論が生まれ、熊本から招聘を受けることになりました。」

■ なぜ熊本だったのか:TSMC誘致と「半導体戦略拠点」としての重責

ーーー熊本への招聘の背景としては、やはり半導体学部の構想が大きかったのでしょうか。

黒田氏「そうですね。ご存知の通り、熊本は今、日本の半導体戦略において“最重要拠点”です。TSMCの工場誘致があり、日本の産業基盤が再構築されようとしています。

そうした状況の中で、この地域で産業を支える大学機関がどうあるべきか……そこに関心が集まっていたのです。

当時の蒲島知事(現在は木村知事)から『熊本県立大学の理事長として、この地域の産業を下支えする仕組みを一緒に作ってほしい』と依頼を受け、議論を重ねた結果、“半導体学部”という構想に辿り着きました。

そして、2027年度の開設に向けて動き出した、という流れです。」

■ 半導体学部とは何か:AI × コンピュータ × 半導体を横断的に学ぶ場

ーーー新しい半導体学部は、どのような組織になるのでしょうか?

黒田氏
「2027年度に開設予定で、初年度の学生数は60名程度を考えています。教員は16名程度を予定しており、すでに世界的権威の研究者にも声を掛けていて、参加の了承をいただいている方もいます。

最大の特徴は、『AI × コンピュータ × 半導体を横断的に学ぶ』という点です。

従来、半導体を学ぶには理工学部や情報学部に入るのが一般的でした。しかし私たちが目指すのは、“半導体そのものを作る人材”だけではありません。

・半導体を使って社会課題を解決できる人材

・AGI(汎用人工知能)時代にデータと技術を統合して考える人材

・技術・ビジネス・社会の境界線で価値を生むゼネラリスト

ただ半導体を作るだけではなく、そういった半導体を使ってどう課題解決を行っていくのかを思考する人材を育てたいと考えています。だからこそ、横断型なんです。」

■ 「半導体の世紀」と呼ばれる未来:AGIが社会を変える

ーーーやはり、半導体について学ぶニーズは大きいのでしょうか。

黒田氏「変化のスピードは想像以上です。例えば、2030年には、AGI(汎用人工知能)が社会実装される可能性が高いと言われています。

AGIとは、人間のように幅広い知的タスクを理解・学習・実行できるAIで、まだ開発段階ではあるものの、すでに世界のテック企業は年間15兆円規模の投資をしています。

AGIが浸透すると、自動運転、医療、製造、物流、金融、行政……あらゆる領域で“人間の判断”が自動化されていきます。そのときに必要なのは、ただ半導体を作ることができる技術者ではなく、

「AGIが扱う膨大なデータを理解する力」
「課題を定義し、解決策を提示する力」
「社会課題を“技術で置き換える”発想」

です。

例えば、日本の渋滞による経済損失は年間12兆円と言われます。これをAGIと半導体の力で最適化できるかもしれない。

しかし“渋滞は課題である”と発見し、解決の方向性を示すのは人間です。このような課題発見やAGIを使う指示出し・意思決定などは、人間がいないと成立しない。こうした時代が到来した時に必要となる人材を育成するのが、半導体学部の役割だと考えています。」

■ スペシャリストではなく「ゼネラリスト」を育てる学部

ーーーなるほど。半導体学部では“技術を活用する発想”を育てるのですね。

黒田氏「その通りです。あえて誤解を恐れずに言うのであれば、これからの時代は、専門性を極めるスペシャリストよりも、技術と社会をつなげるゼネラリストが必要だと考えています。

社会課題の発見、AIの活用、半導体の理解、経済・倫理……幅広い知識を統合する人材が必要だと思います。文系・理系という枠で考えるのではなく、次の時代に必要な人材を育成していきたいと思っています。

カリキュラムは2026年の春頃に発表予定ですが、既存の大学で行っているようなもの以外の横断的なカリキュラムを充実させたいと考えています。」

■ なぜ熊本なのか:電力・水・産業集積が揃う日本屈指の土地

ーーーでは、なぜ“熊本県”なのでしょうか?もちろん半導体製造の拠点となっているという理由が強いとは思いつつ、そもそもなぜ熊本が半導体製造の拠点として適切なのかという面も含めて教えていただきたいです。

黒田氏
「理由は大きく3つ。

まず、①膨大な電力が必要であること。半導体製造には莫大な電力が必要です。熊本は再生可能エネルギーの比率が高く、地政学的に安定している地域でもあります。

次に、②世界有数の“水資源を有する地域”であること。洗浄工程が全体の30%を占める半導体製造では大量の水が必要です。阿蘇の火山活動で生まれた地下水盆のおかげで、熊本は日本屈指の豊かな水資源を持っています。

最後に、③歴史ある『シリコンアイランド九州』の中心であること。九州はかつて“世界の半分の半導体を日本が作っていた時代”を支えた地域です。装置メーカー、部材、ガス、物流など、産業集積が揃っています。熊本はその“ど真ん中”で、物流面でも産業面でも、非常に優れた土地なんです。」

ーーーなるほど。熊本県は、空港も含め、インフラも整っていますもんね。では、なぜこのタイミングでの学部設立なのでしょうか?

黒田氏「理由は明確で、日本が今、歴史的な産業転換点にいるからです。石炭の世紀・石油の世紀。そして次は 半導体の世紀 です。

明治の近代化で九州大学がつくられ、産業を支えたように、今の日本にも同じことが必要です。日本政府は何兆円もの投資を半導体に行っており、これは産業政策であると同時に安全保障政策でもあります。

その中心に位置づけられた熊本に、“日本の未来を支える人材育成機関”をつくるのは必然だと言えると思います。」

■ 熊本県立大学は、なぜ「地元学生」にこだわるのか

ーーー熊本県立大学としては、どのような学生に来てほしいのでしょうか?

黒田氏「全国から学生が来てくれるのはもちろん大歓迎です。しかし、特に『地元の熊本・九州の学生に選んでほしい』と考えています。」

―――それは意外なお言葉です、理由を聞いてもいいでしょうか。

黒田氏「理由はシンプルで、地域で育った人材が、地域で働くほうが持続性が高いからです。

半導体の工場は熊本に多いわけですが、現在多くの技術者は熊本県外から来ています。ですが、熊本県外・海外から技術者を呼ぼうとしても、家族同伴で来るハードルが高い。そうなると単身赴任ですが、それでも長期的に働き続けるのが難しいですよね。

だからこそ、『地域に住み、地域で学び、地域から世界に挑む』という流れをつくる必要があると考えています。熊本出身の、家族も熊本にいる人に、ぜひ半導体を学んでもらいたいのです。」

ーーーなるほど。そう考えると、九州には優秀な学生が多いですよね。

黒田氏
「本当にそう思います。九州の高校生は勤勉で、理系科目にも強い子が多い。そして地元への愛着が強いです。

熊本県外でも、例えば鹿児島の学生も、新幹線で40〜50分で熊本に来られる。地元に近い環境で最先端の技術を学び、世界企業で働けるというのは、大きな魅力だと思います。」

■ 実は「女性に向いている」半導体の仕事

ーーー半導体学部は、男性が多くなるのでしょうか?

黒田氏
「昔の半導体業界を鑑みるとそういう心配もあるかもしれませんが、今は全く違います。工場の多くの工程はロボットが担当し、人間はデータ分析やAI制御・セキュリティ管理など、より知的な業務が中心です。

そして、熊本県立大学は女子大の歴史もあり、現在でも女性比率が高い。女性が活躍する土壌がもともとあるのです。半導体業界は、むしろ“女性に開かれた産業”だといえると思いますし、半導体学部もそうありたいと思っています。」

■ 高校生の反応:文系でも行けますか?

ーーー高校での講演会の反応はいかがですか?

黒田氏「非常に前向きな反応が多いです。最近行った学校では、“文系では入れませんか? ”という質問をいただきました。

これに対して自分は、そんなことはない、と答えています。まだ入試形態が定まっていない中ではありますが、バリバリの理系じゃないとダメ、ということにはしたくないと言う思いがあります。

先ほどもお話しした通り、半導体学部は、スペシャリストではなく、ゼネラリストを育てる学部です。 社会課題を発見し、AI・半導体・コンピュータを使って解決する。そのために必要なのは、“好奇心”だと考えています。

美しいものを美しいと思える感性、面白いと思ったら飛び込んでいける力。そうしたものは、文系・理系という枠に縛られるものではないですよね。これからの時代は、文理を超えて横断的に学ぶ人が価値を生み出します。」

■ 高校生へのメッセージ——「半導体を選べる時代」が来た

ーーー最後に、高校生へメッセージをお願いします。

黒田氏
「半導体は、社会のすべての産業に入り込んでいます。自動車、医療、金融、エンタメ……あらゆる分野の“頭脳”です。つまり、この時代をつくるのは“半導体を扱える人材”です。

医者 か理学部か工学部かなど、いろんな魅力的な職業が存在していて、進路に迷っている人もいると思います。が、その中で、『半導体という新しい領域を選べる時代になった』という事実を知ってほしいのです。

熊本から世界へ。地域に根ざしながら、世界を変えるチャンスがあります。CPUでもGPUでも、AIでも産業課題でも、“面白い”と思うものがひとつでもあるなら、ぜひ飛び込んでください。新しい半導体学部は、そんな人を待っています。」

まとめ

TSMCの進出で一気に世界の注目が集まった熊本。その中心に誕生しようとしている熊本県立大学「半導体学部」は、単なる理系学部の新設ではありません。半導体・AI・AGIという次世代の基盤技術を用いて、社会課題を発見し、解決へと導く“新しいタイプの人材”を地域から育てる試みです。

黒田理事長が語るように、半導体はもはや特定の産業の技術ではなく、自動車、医療、金融、エンタメなど、あらゆる分野の「頭脳」となる存在です。だからこそ文理の垣根を越えて、好奇心を原動力に学べる場が必要とされています。

豊富な水資源、電力、産業集積を兼ね備える熊本は、世界でも数少ない“半導体に最適化された土地”。ここに大学と産業が連携した新たな教育拠点が生まれることは、九州の未来だけでなく、日本の産業構造そのものを変える可能性を秘めています。

「半導体の世紀」を担うのは、これから進路を選ぶ若い世代です。熊本から世界へ。新しい技術と社会の交点に飛び込むチャンスが、ここから始まろうとしています。