「日本の勉強は、詰め込み教育すぎる」

 ということはよく批判されることです。漢字のテストや英単語のテストなど、反復練習が多く、宿題も多い。そんな日本の教育を批判する人は多いです。

 では逆に、日本以外の国ではどんな入試が行われていて、どんな能力を問うものが多いのでしょうか?

 日本の入試のメリット・デメリットについて相対化して考えるためには、世界の他の国で行われている入試について知ることが欠かせません。他の国における入試問題・入試制度は、日本と比べてどう異なっているのでしょうか? 

 今回の記事では、中国、アメリカ、インドの大学の入試問題・入試制度を比較しつつ、世界の経済大国がどのような学生を求め、教育制度を設けているのかをご紹介していきます。

 

①    中国の入試制度

 

 中国には「高考」という、日本でいう共通テストのようなものが存在しています。

  これは毎年6月に行われる一斉入試あり、中国では大学ごとの個別入試を導入している大学が少ないため、この試験のみで入学する大学が決定してしまうことが一般的です。

 試験科目は文系、理系で分かれており、文系の生徒は「国語」、「数学」、「外国語」、「思想政治」、「歴史」、「地理」の6科目、理系の生徒は「国語」、「数学」、「外国語」、「物理学」、「化学」、「生物学」の6科目を受験するようになっています。

 また、入試制度として特殊なのは中国の各省ごとに大学における合格者の枠数が決まっているということ、そして省ごとに入試問題が異なるということです。このため、都心部の省と田舎の省では入試の最低点が異なるということもよくあることだそうです。

 実際の高考の問題を見てみると、「記述式の問題もある共通テスト」という印象でした。(リンク)

 問題数と時間の長さが凄まじく、例えば「国語」(もちろん中国語です)は試験時間が150分あり、それでも解き終わらないほどの問題が出題されます。難易度としては、前半は基礎レベルの内容ながら後半になるにつれかなり難しい問題が出題され、全体としてはかなりハードで体力を使う内容となっています。

 科目の組み合わせや配点は地域(省・自治体)によっても異なるそうですが、一流大学に合格するためには七割以上は最低でも取らないといけないという感覚のようです。 

 中国の入試制度・問題は、あまり日本のものと違いがないように感じられました。各省ごとに枠数が決められているのは、経済格差の大きい中国においてはある意味で公平な制度と言えるのかもしれません。

 ただ、この厳しい競争から逃れるという観点からオーストラリアなどの他国へ進学する生徒も増えているようです。

 また、中国でも面接を含めた新しい入試制度を導入しようとする動きもあるそうですが、割合としてはまだそこまで高くないそうです。

 以上をまとめると、中国の入試制度、問題はあまり日本と大きな差はないように感じます。

 

②インドの入試制度

 

 では次に人口大国インドの入試制度を紹介します。

 

 インドにも、「第十二学年修了試験」という共通テストのようなものが存在し、これが大学入試の点数評価に直結します。 

 加えて、アメリカの人物評価的な要素もあり、各学校での内部評価もこの試験に配点されています。具体的には「定期試験のような内部試験」「出席」「探求型課題」「課外活動」です。

 さらに、理系分野の専門に進みたい学生には個別の入試が与えられます。

 例えばインド工科大学に進学したい生徒にはJEE(Advanced)という試験の受験が必須です。

 インドにはカースト制度による差別や地域の経済格差などが存在します。そのため、アメリカの入試制度のように「アファーマティブアクション」が認められています。

 例えば、農村部の貧困地域で育った受験者がいた場合、都心部の学生より若干学力に劣ったとしても入学できる可能性があるということです。

 実際にJEE advancedの試験をのぞいてみると、流石に世界の数学大国のインドの最高峰入試問題といったところか、凄まじい難易度の問題ばかりでした。(リンク)

 インドの入試問題自体は、日本や中国のものと難易度や履修の幅、言語的な違いはあれども大きくは違わないように感じました。

 ただし、内部評価が配点に加えられる点、カーストによるアファーマティブアクションがある点においてはアメリカの入試形態と少し似ているように感じます。

 

③アメリカの入試制度

 

 最後にアメリカの入試制度についてお話ししていきます。

 

 アメリカの入試において重要な要素は三つあり、それは、「共通試験」「エッセイ」「学校での内部評価」の三つです。

 この中で、特にエッセイと内部評価が重視される傾向にあります。

 「共通試験」はSATと呼ばれる英語と数学の試験がありますが、難易度としてはそこまで高くない上に、何度でも受験可能です。そのため近年では、このテストの提出を不要としている大学も出てきています。

 「エッセイ」では共通エッセイが一つ、そして各学校の提示するエッセイ課題などがあります。

 これらのエッセイ課題は日本ではあまり問われないような一風変わった問題が提示され、生徒の自己哲学の深さを測る内容となっています。 

 例えば、ハーバード大学の提示したエッセイ課題の一つには下記のようなものがあります。

”Top 3 things your roommates might like to know about you.(150 words) “

(あなたについてルームメイトが知っておくと喜ぶかもしれないことを3つ教えてください。)

 (引用)

 こんな質問は、日本ではAO入試だったとしてもまず聞かれないでしょう。こうしたエッセイ課題を通じて自分の個性、特殊性、バックグラウンドを大学に対してアピールする必要があるのです。  

 アメリカの大学はインド同様、多様性を確保するために個人のバックグラウンド、人種などを元に入学を決めている傾向があります。 

 また、例えば親がその大学出身の学生だったり、寄付金が多かったりすることで入学が許可されやすくなる傾向などもあります。その意味でアメリカ入試の公平性には一定の疑問が投げかけられています。

 以上を見ると、アメリカの大学では試験の点数という定量化されたものではなく、個人の個性や人間性を強く重視していることがわかりますね。

まとめ

 いかがだったでしょうか?

 各国の入試問題には近代教育発展の流れや人口、文化的背景などが強く残っています。例えば、人口のけたが違う中国やインドで、個人を重視するアメリカの入試形態を模倣するのは若干無理があるように感じます。 したがって、勉強する意味というのは国によっても異なるように感じます。

 日本では勉強嫌いの子供が勉強なんて役に立たないということをいう光景を目にすることがあります。しかし、インドや中国のように人口が多い国では、成功へのハングリー精神が強く、勉強は身分や格差を乗り越えて、人口の多さに埋もれず社会で成功するための強力な武器であり、それを疑う人間などほとんどいないことでしょう。

 そう考えたとき、日本において勉強する意味とはなんでしょうか?

 この問いに明確な答えはありません。みなさん自身が、自らの経験の中で独自に考え出していくべきものであると言えるでしょう。