みなさんの「1年で最も大変な時期」はいつですか? 教育や受験の最前線に携わる私にとって、それは間違いなく1月から3月にかけての入試シーズンです。取材に次ぐ取材で、ベッドでゆっくり眠る余裕もありません。

受験生本人が人生の大きな分岐点に立ち、必死に試験用紙に向き合っているのは言うまでもありませんが、実はその背後で、保護者のみなさんもまた、別の意味での過酷な「戦い」に身を投じています。 受験費用や学費の工面のために、目を白黒させながら資金繰りに奔走するのです。

画像はイメージです。生成AIを使用しています。

子どもにどうにか合格を掴んでもらいたい。親が子どもの成功を無下にしてしまうようなことは、絶対にあってはならない。そんな親心に付け込んだ卑劣なシステムが運用されていることをご存じでしょうか。

それが「入学料(入学金)」。どれだけ優秀な成績で入試をパスしていようとも、この入学料を期日までに先んじて振り込まなければ、合格自体が取り消されてしまうのです。

どうして、進学するか確定しない段階で、数十万円もの大金を支払わせた上に、「一度納入された入学金はいかなる理由があっても返金しない」とする姿勢は、あまりにも理不尽と言わざるを得ません。なぜこのような仕組みがあるのか調べていきます。

「"行かない滑り止め"に20万」がザラ

大学受験においてはリスクヘッジが重要。第一志望の一本勝負なんて論外で、普通は第二・第三志望あたりを含む2~5校程度を受験するのが普通です。おおよそ入試日程は難易度順に並ぶ傾向があり、第一志望のほうが後ろに来やすい。そこで、入学金支払期日の問題が出てくるのです。

滑り止めを確保しておきたいけれども、そのためには入学金を用意しなくてはいけない。これを振り込まないと、たとえ試験に合格しても入学できないのです。さらに、支払期日が定められており、その日までに手続きしないと、合格は取り消しとなって、入学資格を失ってしまいます。

例えば、本命の試験が数日後に迫っているとしましょう。実力的には五分五分で、受かるかどうかはやってみなければ分からない。そんな中、すでに合格を勝ち取っている第三志望の大学から、入学金の振り込み期日が明日までに迫っていると告げられる。

正直、志望度は高くありません。それでも「もし第一志望や第二志望に落ちてしまったら」を考えれば、安全圏を確保したい。だからこそ、ほぼ無駄だと知りつつも、20万もの大金を振り込んでしまうのです。受験界の「掛け捨て保険」と呼ぶべき制度ですが、それにしてはあまりにも金額が大きすぎると感じるのは、私だけではないでしょう。

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私が最も問題視しているのは、明らかに親の資金力で直接的な差がつくため。経済的に余裕のない家庭であれば、「確実に行ける1校しか手続きできない」のに、裕福な家庭は滑り止めを確保したうえで悠々と本番に臨める。

試験会場でのプレッシャーも段違いです。経済的に恵まれていない子どもたちのハンデとして、学習機会の損失などがよく挙げられますが、「失敗=即就職」の重圧などは、あまり語られてこなかったように感じます。

私自身も経済的に困窮した家庭から東大を目指しました。私の場合は、「追い詰められた方が楽しい」と気を持ちなおせるタイプだったので、状況が悪化しなかったものの、本番に弱い気質の方がいかに「入学金」の名のもとに涙をのんできたかは想像に難くない。

せめて、この入学金が一回あたり3万円とか5万円といった、実際の事務手続きにかかる最低限の実費程度にならないものでしょうか。進学が完全に確定した段階で、残りの施設費や授業料を納めるシステムに移行すれば、これほど多くの家庭が理不尽な出費に頭を抱え、涙を流すことはなくなるはずです。

動き始めた社会

この「入学金問題」は、長年教育界の「変えられない不都合な常識」として半ば諦められながら放置されてきました。しかし、ついにこの歪な現状にメスが入ったのです。

日経新聞が報じた記事では、公立大学のトップランナーである「東京都立大学」において、入学を辞退した受験生に対しても、納入された入学金を返金する方針が明かされました。ようやく、「入学金」の名を騙る搾取構造を、大学側から取りやめるようになったのでした。

本来「一度振り込まれた入学金はいかなる理由があっても返さない」が常識であり、過去には最高裁判所の判例でも返還を認めないとされてきました。ですが、今回ようやく都立大学が、入学辞退者への入学金返金へと踏み切った。今後の大学入試市場全体に大きな影響をもたらすのは間違いありません。

この背景には、やはり近年の急激な物価高や、子育て世代の経済的負担の増大、そして「教育格差」に対する世間の厳しい批評の目線があります。「行きもしない大学に、ただ席を確保するためだけに20万円を毟り取られるのはおかしい」という保護者たちの真っ当な違和感に、ようやく教育行政や大学側が耳を傾け始めた証左だと言えるでしょう。

私立大学が、経営方針として「入学金を返さない」とするのは、極論を言えば勝手です。そういうスタイルで商売をすると決めたのならば、部外者に口出しをする権利はありません。しかし、公立の大学ですらも「入学しないのに入学金を返さない」とされていたのは、明らかに公的機関として責任を欠くと感じます。

近年では大学側もお金がなくて大変だとはよく聞きますが、国公立大学の経営難のしわ寄せを受験者側に喰らわせるのは、果たして公の称号を背負う大学として、ふさわしいものなのでしょうか。甚だ疑問であると言わざるを得ません。

誰しもがフェアにキャリアを築ける未来へ

都立大の一手は、確実の今後の大学受験現場へ波紋を広げていくでしょう。しかし、これが日本全国の大学に広く波及し、この歪な構造が完全に解消されるまでには、まだまだ高い壁が存在します。

特に私立大学においては、少子化によって学生の確保が年々難しくなり、大学経営が厳しさを増す中で、この「入学辞退者が残していった未返還の入学金」が、一種の貴重な財源として機能してしまっているという、構造的な闇もあります。

大学側の「経営の安定」という言い分も、組織の存続という点だけを見れば理解できなくはありません。しかし、大学という最高の教育・研究機関が、本来最も寄り添い、守るべき受験生たちの家庭の経済的犠牲の上に立って自らの経営を成り立たせているのだとしたら、それこそ大きな本末転倒ではないでしょうか。

お金がない家庭の子どもは、最初から選択肢を狭められ、勝負の土俵に上がることすら躊躇わされる。そんな理不尽な矛盾が、これからの時代にも通用し続けるべきではありません。都立大の改革をひとつの大きなキッカケとして、高等教育機関全体が、「合格取り消し」を盾にした「掛け捨て入学金システム」の是非を、今こそ本気で問い直すべきです。

すべての受験生が、親の財布の厚みに怯えることなく、自らが積み上げてきた「本人の能力」だけでフェアに未来を切り拓いていける。そんな当たり前で、健やかな教育社会が到来する日は来るのでしょうか。