今回は、桜蔭学園 桜蔭中学校・高等学校でトップクラスの成績を取り、東大文1に現役合格し、卒業後麻雀プロになった新倉和花さんに取材をしました。

 新倉さんは、東大法学部に進学後、うつ病になり、卒業後はロースクールに進学するも、中退して麻雀プロになったという異色の経歴の持ち主です。

 新倉さんの人生や、親御さんとの関わりについて、本記事では紹介していきます。

負けず嫌いな子供だった新倉さん

 新倉さんは小さい頃、とにかく負けず嫌いな子供だったとのこと。

 新倉さん「あらゆるゲームを勝つまでやりたがりました。相手の手抜きも許さなかったので、何度も大人に挑んでは、負けたら『もう一回!』と言っていました。」

 勉強はもともと得意だったものの、親御さんが特別に教育熱心だったということではなく、地元の中学校に進学する予定だったそうです。しかし、小学三年生の時にたまたま受けた日能研のオープン模試で好成績を収めたところから転機が訪れました。

 新倉さん「日能研という塾の方から『ぜひうちに来てみませんか?』とお声掛け頂いて、体験授業に参加したんです。そうしたら、塾での勉強がすごく楽しくて。教室の真剣な空気が刺激的だったし、知識が体系化されて教えられることに感動して、親に頼んで日能研に通わせてもらいました」

 彼女は塾で勉強の楽しさに触れて、のめり込むようになっていったそうです。親御さんは相変わらず偏差値や成績をあまり重視しておらず、勉強についてとやかく言われたことは一度もなかったそうですが、それが逆にのびのび勉強できることに繋がったのか、日能研ではトップクラスの成績を取るようになったとのこと。そして塾の先生に「この成績なら桜蔭中学を目指しましょう」と説明を受けて、その通りの進路を選ぶことになりました。そこにはなんの違和感もなかったそうです。

 晴れて桜蔭中学に合格した彼女は、「一番シンプルなパンフレットだったから」という理由で鉄緑会に通い、そこでも優秀な成績をおさめたといいます。

 当時の夢は、法律家になることだったとのこと。

 新倉さん「小学校の図書館で読んだ『裁判のひみつ』という学研まんがの影響で、当時から法曹の道に進むことを目指していました。ドラマ『HERO』も好きでした。高校の文理選択でも、私は数学が得意だったので先生方には理系だと思われていたようですが、法律家になりたかったので迷いなく文系に進みました」

東大に難なく現役合格。しかし……。

 桜蔭での成績はトップクラス。東大模試でも全国クラスの成績を残し、そのまま、難なく東大の文科一類に現役合格することになります。

 しかし、ここまで順風満帆だった彼女の人生は、東大に入ってから少しずつ変化することになります。

 新倉さん「東大に入学した後は、小中高と同じように塾を探しました。大手の司法試験予備校に入塾して、時間の融通も利くだろうとオンライン受講のコースを選択したんです。でもそれが、大きな間違いでした。」

 新倉さん「東大に入ったら、周りは司法試験を受ける人ばかりではなくって。それまでは周りもみんな勉強していたので『自分もやろう』という気になっていたのですが、大学に入ったらそんなことはなくて、周りが他の活動をしているなかで自分だけが黙々と勉強することに耐性がなかったんですよね。」

 勉強でつまずいたことが人生の中で一度もなかった彼女は、夢を叶えるはずの司法試験の勉強で初めて苦労することになりました。

 新倉さん「ゼミの活動やアルバイトなど、大学での他の活動が楽しかったこともあって、せっかく入塾したのに法律の勉強を全然しなくなってしまいました。受講すべき講義の動画が毎週9時間ずつ溜まっていって、テキストが毎月段ボールで送られてくるのですが、それが未開封のまま部屋の隅に積み上がっていって。雪だるま式に『負債』が溜まっていく光景に心が追い詰められて、とっても辛かったのに、私は見て見ぬふりを続けました。」


2年間引きこもりに。

 そして彼女は大学2年生の5月、司法試験の予備試験に落ちてしまいます。それが、20年近い人生の中で初めて、試験と名の付くもので不合格となった経験だったのだそうです。

 勉強不足は明らかで、結果はわかっていたはずなのに、不合格となったことに彼女は信じ難いほどのショックを受けたとのこと。そして、同じ時期に父親が末期がんの宣告を受けたことが重なり、大きな絶望を感じたのだと言います。

 結局彼女は、このときの大きな挫折が引き金となって、2年以上も部屋に引きこもることになります。

 新倉さん「もう、正直に言って、何もできませんでした。勉強しようにも文字が頭に入らなくて、何をしていても涙が止まらず、一日の大半を横になって2年ほど過ごしていました。卒業を控えた4年生の夏頃になって、卒業単位数が足りているのか一人では判断できず、大学の学生相談室に聞きに行ったんです。そこで相談員の人がすごく心配してくださったんですよ。なぜかというと、自分が話しながらずっと泣いていたからで。自分にとってはいつものことだったのですが、相談員さんがその場ですぐスクールカウンセラーさんに繋いでくれて、今度はその方に『早急にメンタルクリニックに行ってきて』と言われて。言われた通りにメンタルクリニックに行ったらすぐにうつ病だと診断されて、治療を受けることができました。それまで2年も塞ぎ込んでいたのに、まさか自分がうつ病だなんて思ってもいなかったんですよね。」 

 しかし、普通に考えて大学2年生で司法試験に合格する人はほとんどいないはずです。お父様の件もあるとはいえ、彼女は何がそんなにショックだったのでしょうか。

 新倉さん「傲慢な言い方ですが、挫折知らずの学生時代だったので、『自分の人生は何をやってもうまくいく』と無条件で思い込んでいたんですよね。それが通用しなかった時に、世界の前提が崩れたというか、『ああ、もうGAME OVERだな』って感じてしまったんです。自分の人生の価値は『失敗しないで進んでいくこと』にあると思っていたので、『一度でも失敗した人生』に耐えられなかった、といいますか。」

 彼女にとってはこれが初めての「失敗」で、失敗との向き合い方がわらなかった、ということなのかもしれません。

 彼女への今回のインタビューで僕が印象的だと感じたのは、「人生をRTAのように感じていた」という言葉でした。

 新倉さん「RTAっていうゲームプレイがあるんです。ゲームスタートからクリアまでの時間を競う、Real Time Attack(=リアルタイムアタック)。あれって、一度でも失敗すると理論上の最速ゴールには辿り着けないから、その時点でもうリセットするしかないんですよ。私は、私の思い描く「理想の人生」に一度失敗した時点で、もう全部終わりだと思っていたんですよね。」

麻雀との出会いと、卒業

 そんな彼女が部屋に引きこもっていた間、彼女の救いになったのが、麻雀だったそうです。

 新倉さん「塞ぎ込むようになってから強い音や光に過敏になってしまい、好きだった映画も、音楽も、野球中継も、全く触れられなくなってしまって。それでも唯一ずっと観ていられたのが、麻雀の放送対局でした。麻雀の中継では手牌だけが淡々と映されていて予測不可能な刺激がほとんどなく、対局の様子を眺めている間は現実の嫌なことを忘れられました」

 彼女は立ち直れないまま大学卒業の時期を迎え、ロースクールを受験することになります。就活をしていないから社会に出ることもできず、モラトリアムの時間を伸ばすためやむなくの選択だったそうだそうです。

 法律の勉強を全くしていなかったにもかかわらず、早稲田のロースクールに合格。でもそこには知り合いがほとんどおらず、勉強にもついていけなかったのだと言います。そんな時にお父様が亡くなって、ますます『自分は何をしているんだろう』と感じるようになったそうです。

 そんな中で、彼女に転機が訪れます。ある日の講義が終わったあと、大学院近くの雀荘に逃げ込むように立ち寄ったのだそうです。

 新倉さん「もともとは亡くなった父に麻雀を教わって、家族で卓を囲んでいたんですけど、お店でお客さんと打つのはその日が初めてでした。雀荘には、ずっと広い世界がありました。雀荘で出会う人たちは、自分とは全然違う経歴、全然違う価値観の人たちばかりで、引きこもっていた私にも、麻雀を通じてたくさんの仲間ができました。麻雀は私に、勝負事の面白さ、勝つために試行錯誤する楽しさを思い出させてくれました。人生に熱が戻るような、そんな感覚でした」

 逃げた先に、居場所があった。彼女は麻雀にのめり込み、法曹の道を手放しました。周囲からの反対もあったそうですが、ロースクールを辞め、麻雀プロになる選択をしたのだそうです。

 新倉さん「麻雀では、勝負を降りるのも戦略のうちです。今の局で負けても、次の局で挽回すればいいから。麻雀も人生もトータル勝負で、『法曹の道に進めなくても、そこで私の人生が終わるわけではない』と思えるようになりました。そこでようやく、閉塞していた現状から『降りる』という選択をすることができるようになったんです」

一番感謝を伝えたいのは、母親

 自分の本当にやりたかったことを見つけて、麻雀プロとして毎日を楽しく過ごしている新倉さん。彼女は、ここまでの過去を振り返って、母親に対して大きな感謝をしていると言います。

 新倉さん「私が塞ぎ込んでいる間も変わらず普通に接してくれて、ありのままの私を肯定してくれたから、負い目を感じずゆっくり立ち直ることができたと思います。引きこもりなのに『パパの話し相手になってくれて助かるわ』なんて冗談めかして言ってくれて、進路についても『弁護士にならなくてもいいし、大学を辞めてもいい。1年や2年休んだっていいじゃない。あなたのやりたいようにやりなさい』と言ってくれたんですよね。麻雀プロになると伝えた時も、応援してくれました」

 親御さんとしては、せっかく東大に入ったのだからと、子供にはそれらしい進路を期待してしまうものでしょう。しかしそれでも、親御さんがいい意味で期待しないでくれたのが嬉しかったのだと言います。

 新倉さん「成績優秀なお子さんであればあるほど、知らず知らずのうちに、親御さんがその先も期待してしまう傾向があるように思います。それでも私は、期待通りにならなくても、親は変わらず私を愛してくれると確信できたから、しっかり自分の気持ちと向き合って進路を選択することができました」

 難関高校や難関大学に合格した学生は、非常に親から期待されやすい傾向にあると思います。

 しかし、子供がもし親の期待から外れた道を進んだとしても、「期待外れ」な我が子のことを応援する親御さんであれば、彼女のように深い絶望からも立ち直れるのかもしれません。ぜひ参考にしてみてください。