「御三家への合格は正直まぐれ。6年間ずっと『本当に入らなければ良かった』って思ってました。」
インタビューの冒頭からこう切り出したのは、名前を聞けば誰でも分かる東京屈指の名門女子校を卒業したばかりの大西優香さん(仮名)だ。彼女の率直すぎる言葉に、思わず聞き返してしまう。本当に偏差値70超の超難関校に「入らなければ良かった」のか。
「私、あの女子校で下から数えて10番以内の成績でした。6年間ずっとです」
優香さんは淡々とした口調で続ける。朝から晩まで勉強漬けだという同級生たちの中で、彼女は「底辺」に甘んじていたというのだ。通常、こうした進学校で「底辺」と言われる生徒でも、一般的な公立高校では上位に位置することが多い。しかし優香さんの場合は違った。
「100点満点のテストで、数学で5点取ったり。高校になったら『なんとか20点は確保しろ』って担任から言われるくらいでした。
全国模試の偏差値も50を切ることがあって、仮に普通の学校でも、勉強できない扱いだったと思います」
定期テストで一桁台の成績...。それは東大や早慶に毎年何十人も合格者を出す名門校では、ほとんど考えられない事態である。しかも一度や二度ではなく、中学・高校の6年間にわたってその状態が続いたという。
通常なら退学か転校を余儀なくされるレベルだが、大西さんはなぜか卒業まで「生き延びた」。
さらに驚くべきことに、この「落ちこぼれ」の彼女は、難関私立・関関同立の上位学部に推薦入試で合格を果たしている。偏差値60前後の学部に、学校の成績が「どん底」だった生徒が合格できたのは、いかなる理由があったのか。
彼女の語る「深海魚」と呼ばれる名門校の底辺層の実態からは、現代の教育システムが内包する限界が見えてくる。優香さんの6年間の「深海」生活とその生き残り戦略に迫った。
教育熱心な家で「泣きながらバイオリン」
大西さんの教育歴は3歳から始まっていた。幼い頃から始めたバイオリンの練習は苦痛そのものだったという。
「3歳からバイオリンやってて、お母さんが結構厳しかったんです。毎日練習が嫌で泣いてました」
親の教育方針は早い段階から詰め込み式。幼稚園の頃には、小学校の算数をすでに先取りしていたというから驚きだ。
「中学受験で使う、算数の小学校1年生から3年生とかのやつを、小学校に入る前、幼稚園の段階でゴリゴリやらされてました」
バイオリンは中学受験を理由に6年生の春まで続けた。だが、彼女自身はこれらの習い事に熱心だったわけではない。むしろ「嫌々ながらやることはやっていた」と振り返る。家庭での教育はかなり厳しく、現在とは大きく違っていたと語る。
「幼稚園は何か変な幼稚園というか...勉強しましょうみたいな幼稚園に通ってました。公文は通ったことないですけど、なんか勉強はしといた方がいいんじゃないみたいな...そういう感じですね」
幼少期から続いたこの「やらされる」感覚は、後の学校生活に大きな影響を与えることになる。
中学受験は「友達が始めたから」
多くの受験生が親の強い勧めや将来設計のために中学受験に挑む中、大西さんの動機は意外にもシンプルだった。
「中学受験をやりたいって思ったきっかけは、小学校2年生から仲良かった子がやるって言って先に入ったから私も同じ塾でやりたいみたいな...というよりかは、自分から言い出した感じです」
通っていた公立小学校では約3分の2の生徒が中学受験をするような環境だった。学校での成績は良好で、周囲からは「優香ちゃんは賢いよね」と言われるほど。だが、その自信は塾に入った途端に崩れることになる。
「SAPIXに入ったら、やっぱり2番目のクラスにいて、α1(トップクラス)に1回しか行ったことないんですよ。一番上には1回しか行ったことがなくて、でも3番目に落ちたときはもう『やめろやめろ、やめろ』って言われてました」
塾での競争は厳しかったが、大西さんは意外にも塾そのものは嫌いではなかった。
「塾は楽しかったんですよ。勉強が面白いっていうよりかは、先生がみんな面白いんですよ。だから、やめたくはなくて」
授業後の「質問教室」では積極的に質問し、教えてもらっていたという。勉強自体よりも、教える人との関係性に重きを置いていた様子が伺える。
中学受験直前でも「勉強時間ほぼ0」
中学受験の真実は、誰もが驚く内容だった。一般的に受験直前は1日10時間以上勉強するのが当たり前とされる中、大西さんの実態は驚くべきものだった。
「小学校6年生の受験直前の時期に、自由登校が始まってすごく時間があったんです。そのときは数日間行って、そのあと休んだんですよ。でもなぜか勉強してなくて...本当に1日1時間も勉強してなかった」
両親は共働きで忙しく、本人も「さすがに事件」と表現するほど勉強をしていなかった実態があった。にもかかわらず、彼女は第一志望の女子御三家の一角に合格。しかし、これは本人も「まぐれ」と認識している。
「勉強をサボっていたのもあって、受験してすぐのタイミングでレベルが下の中学に落ちたんです。それでめちゃくちゃ怒られてしまって。受験直前で、10時間ぐらいやってる子もいるようなタイミングなのに、本当に全然やってなくて。だから受かったのもちょっとまぐれみたいな」
「文字通りの優等生」たちの中での居場所のなさ
大西さんが選んだのは、多くの受験生が憧れる名門御三家だった。しかし、その選択を振り返って彼女は後悔の念を隠さない。
「入学してよかったなって思いますか?」という質問に対し、「いや思わないです」と即答した。
その理由は、学校の雰囲気と自分の性格の不一致にあった。
「結局、中学受験の上位層なので、本当に文字通り優等生みたいな感じなんですよ。話す友達はいるけど、小学校でもいい意味でも浮いてるような子が多いというか...。
学校の最寄り駅には複数の高校があり人も多いんですが、私の学校の生徒はすぐにわかるんですよ、雰囲気で。本当に優等生が多いので」
このような環境は、自分のような「いろいろ興味が広がっちゃうタイプ」とは合わなかったという。当時を振り返り、彼女は学校の仲間たちとの関係性について、「すごく良かったわけではない」と言い切る。
「別に他の人が何してても何でもいいかなみたいな感じ。いい意味でも悪い意味でも興味ないけれど、馴染めていたわけでもなかった」
こうした学校環境での疎外感は、彼女の学習意欲にも大きく影響したことは想像に難くない。
英語20点、数学5点—教師も驚愕の点数の連続
中学入学後、大西さんの成績は急降下した。
「英語が43点で補習になりました。初回から補習に引っかかっちゃったんです。数学も引っかかってた気がします」
この状況は一時的なものではなく、数年間続いた。そして高校1年生の時には、衝撃的な点数を取った。
「数学で5点取って呼び出されて怒られました。(高校1年の)1学期の学年末で英語20切って、最後の時間に親と学年主任と担任と面談をしました」
女子御三家のような進学校では、このような低い点数は異例中の異例だ。学校側も対応に苦慮したことが伺える。
「高校になったら『20点切るとやばいからね』みたいなことを言われ続けました」
彼女は自分自身を「深海魚」と表現する。これは成績が学校内で最下層にいることを意味する新語だという。
「新学校に入って成績がずっと下から上がって怖くてずっと下にいるみたいなことを深海魚っていうらしくて...ずっと成績も下の下にずっといて海溝の深いとこにいるから深海にいる深海魚みたいな」
しかし、驚くべきことに彼女はこの状況にあまり悩んでいなかったという。「別に勉強をしないといけないという気持ちも起きない。やる気がずっと起きない」という心境だったそうだ。
朝テスト、補習、再追試の連続に逃げ回る日々
さらに彼女の通った学校では定期試験だけでなく、朝のテストも行われていた。特に英語のテストは厳しく、合格ラインは80点。それを下回ると補習の対象となった。
「朝テスト自体にも補習がついてた。朝テストに落ちると再追試っていう再々追試みたいなのがあって、それに落ちると、何か補習か、なんか大量に英単語を書いてくれみたいなパワーでの課題が出てくるんですよね。私は毎回引っかかってました」
これらの補習が積み重なるうちに、大西さんは「面倒くさくなっちゃう」気持ちに襲われた。しかし、それでも勉強を完全に放棄することはなかった。
「面倒くさくなるけど、かといって面倒くさくなることをやめようみたいなことも思わなくて」
友人たちは再試験で合格していく中、彼女だけが延々と補習の連続だった。周囲ももはや彼女を責めることはなく、「20点だけは切るなよ」と最低限の目標を示すようになっていったという。
こうした状況について、大西さんは「勉強への意識自体は短期的に上がったけど、成績はなかなか上がらなかった」と振り返る。彼女のテスト勉強のパターンも極めて特徴的だった。
「テスト2週間前になって、ちょっと焦り出して、ちょっとやって...テスト1週間前になって時間割が出て焦ってやるんですよ。で調子がいいときは放課後もやるんですけど、調子が悪いときはやらず、『まだ大丈夫、大丈夫』と後回しにし続けて...
テスト始まる1日前に焦り出して『やばい』ってなってやるんですよ。でも夜眠くなって、朝起きて早く起きればいいかと思うんですよ。そしたら起きれなくて、バス乗る間に必死になりながらやって20点超えるかなみたいな」
こうした学習習慣は6年間ほとんど変わらなかったという。しかし、そんな彼女にも学習に意欲を覚えるようなタイミングもあった。
政治経済・原発開発...気になることはトコトン
大西さんの特徴は、興味を持ったことには徹底的に取り組む集中力だった。とりわけ政治経済の授業に惹かれ、それだけは良い成績を収めていた。
「中三のときに政治経済だけめっちゃいい点数とってたんですよ。ずっと」
さらに高校時代の「探究活動」では、原子力発電をテーマに選んだ。これは彼女にとって新たな転機となった。
「課外活動のルーズリーフみたいなのがあって、何やるかみたいなので、一番面白そうっていうか、一番自分じゃ経験できなさそうみたいな感じだったんで『それいいんじゃない』みたいなこと思って、まず原子力発電を選びました」
この活動を通じて、彼女は重要な気づきを得た。
「一番最初の学びで言うと、正しい知識っていうか、思い込みってすごい乖離するんだなって思って。だから結局何か物に対して抱いてイメージっていうのは、実際のものとは乖離してるから」
他にも探究活動では、学校の予算でギターを購入するという行動力を発揮したことも。
「ギターを弾いてる時間が欲しくて、総合の時間にはそれっぽい研究をでっち上げて学校のお金でギターを買ってもらって。その後の時間に何か本室に引きこもって2時間ずっとギターに触ってるみたいなことをしてました。もちろん研究のテーマ自体にも取り組みましたが(笑)」
興味を持ったことには飛びつき、集中力を発揮する一方で、興味のないことには一切手を出さない。このアンバランスさが、彼女の「深海魚」としての学校生活の背景にあった。
一般入試では絶対に受からないと悟った決断
また高校2年の秋頃、大西さんは大きな決断を下す。それは推薦入試に挑戦するというものだった。
「お母さんに推薦の方がいいんじゃないかと高2の秋頃に言われて、『推薦がいいよね、早く決まるし』と思いながら、始めました」
この決断の背景には、現実的な自己分析があった。彼女は自分の学力では一般入試で合格できる可能性が低いと判断していた。
「実際成績も本当に低くて...最終的にはよく合格できたよねと、感謝してもしきれないですね」
推薦入試を選んだ理由をより具体的に聞くと、彼女は成績を今から上げるのは不可能だと考えていたようだ。「逃げ」ではなく「戦略的撤退」と言えるだろう。自分の強みを生かし、弱みを隠す最適な方法を選んだ。
大学入試に向けて、彼女は原子力発電についての探究活動を推薦入試のアピールポイントとした。これが功を奏し、第一希望の学部からの合格通知を手にすることになる。
「成績や評定平均とかって今から頑張ったところで変えられるわけじゃない。無理なものは無理なので、今から挑戦できる実績や英語学習に力を割こうと考えたんです」
「よく関関同立が取ってくれた」—本人も驚く合格
推薦入試では第一志望のほかにも複数校を受験したという大西さん。結果は明暗を分けた。
「ほとんどが書類落ち。日本女子大も書類落ち、中央が1次合格で2次落ちですね。成績の悪さが響いたんだと思います。
そんななかで合格させてくれたと思います。冷静に考えて、成績がこんなに低いのに、『学びたいという熱量』だけでよく取ってくれたよねと」
この合格の裏には、彼女の独自の強みがあった。それは「原子力発電」をテーマにした探究活動だ。福島の復興が進む地域で、活動を行い災害医療や復興の現状などについてレポートとしてまとめたという。
彼女はこの活動について、「正直そんなに原子力発電の現実とイメージの乖離をなくすような、すごい活動をしたいかと言われるとそんなことない」と本音を漏らすが、入試においては効果的なアピールポイントになった。何よりも、普通の勉強と違い、自主的に課外活動には取り組んだという。一般入試では測れない力を見出す大学側の視点も、ここには垣間見える。
私が受けた教育環境「悪いとは思わない」
これまでの経験を振り返り、大西さんは自分の経験した教育について独自の見解を持っている。
「教育環境自体が悪かったわけではないんです、もちろん」と彼女は言う。落ちこぼれることになってしまった教育に対する彼女の考え方は、意外にも肯定的だ。
「優等生のタイプだったら、高校受験の際に内申点が必要でも苦にはならないじゃないですか。私にはそれは無理なので。
だったら中学受験で(塾に)行くのが一番いいと思います。その意味では中高一貫校に入ったのは、コスパが良かった」
彼女は努力できることも一種の才能だと考えている。「勉強のモチベーションがそもそも元からなくて、ほっといても勉強するタイプじゃなかった」と自己分析する彼女にとって、周囲に合わせた努力は苦痛でしかなかった。深海魚になってしまったことも、自分の努力ができない性格ゆえだと分析している。
進学校での学習についていけない後輩へのアドバイスとして、彼女は具体的にこう語る。
「3年生の1学期までは頑張るべき。成績に関わるから。課外活動はやっておいた方が良い。英語は結局必要になるのでやっておくべき」
これは彼女自身の痛切な経験に基づいたものだろう。興味のないことに無理に取り組むよりも、自分の興味を見つけて突き進む方が結果的に実りがあるという教訓だ。
「やりたいことをやるのが、一番いいと思いますよ」
この言葉には、6年間の「深海魚」生活を通じて得た、彼女なりの哲学が感じられた。
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