みなさんは「時は金なり」ということわざを聞いたことがあるでしょうか?
我々は、気を抜けばつい毎日の1秒1秒をダラダラと過ごしてしまいがち。
ですが、時間がなければお金を稼ぐにしても、楽しむにしても休むにしても、何も成り立たない。
「だからこそ、時間はお金と同じくらい重要ですよ」と自堕落に過ごすさまを諫める言葉です。
私たちは毎日の時間を切り売りすることで報酬を得て、それを糧としながら生きています。お金がないと衣食住がそろわないのですから、仕方ありません。
その「対価を得るために時間や労力を切り売りすること」を「仕事」と呼ぶわけですが、一口に仕事と言ってもピンキリなわけです。

高収入な働き口に就くために、子どもたちは朝から晩まで受験戦争に精を出します。
「ユースフル労働統計」によれば、最終学歴が中卒と大卒では、生涯年収に8,000万円も差がついてしまうのですから、それはもちろん勉強したほうがいいのでしょう。
ただし、お金を稼いだからと言って、人生が幸せになるかはわからない。
お金は様々な活動の原資ですから、あるに越したことはないでしょうが、お金を得るために幸せを犠牲にしては本末転倒なのです。
昨今「体験格差」と呼ばれる問題が論じられています。人によって、子ども時代の経験値や活動量・幅に違いがありすぎる。
小学生の頃から毎年海外旅行に出かけていた中学生と、旅行どころか町内から一歩も出ないで過ごしていた中学生では、同世代と言えども全く見識が異なる可能性があるのです。
これまで、体験格差を生み出すのは「資金力の差」だと思われてきました。
確かに、お金がなければ旅行する余裕も生まれません。筆者自身も貧困世帯出身なので、よくわかります。
いっぽうで、出身家庭が裕福でも、必ずしも体験格差に直面しないわけではありません。
極論をいえば、お金があっても、周りの大人に欠けているものがあれば、子どもは格差に悩まされる可能性があるのです。
令和の受験親を悩ませる「体験格差」の正体と、それを振り払う方法を考察します。
体験は「カネ」では買えない
先日、連休中にある温泉施設へ遊びに行った時のこと。
館内着でゲームをしたり、友人と語らったり、グルメに舌鼓をうったり……そんな団らんの中で、ひときわ異彩を放つ子どもがいました。
周囲には目もくれず、ひたすら机に向かって計算ドリルを解いていたのです。
入館料が4,000円近くもする施設でしたから、その子一人で来たとは考えにくい。
おそらく、家族旅行や家族の休日を使って訪れたのでしょう。

そうして貴重な時間を使ってやってきた温泉で、わざわざやることが「お勉強」。
私はあまりの衝撃に二度見してしまいました。
温泉施設でしかできないこと、家族旅行でしかできないこと、いくらでもあるでしょう。
それにも関わらず、どこでだってできる「計算ドリルのお勉強」に、貴重な休日の時間を費やしている。
もしかすると、その子本人が望んだのかもしれないし、家庭のルールとして決まっているのかもしれない。
「家庭で決まっているならばいいだろう」と思われるかもしれませんが、私にはどうしても肯定できません。
勉強程度、いつでもどこでもできるような活動を、「今しかない」瞬間に当て込むのは、あまりにも見識が狭いとしか感じられないのです。
もしかしたら、いつでもできるからこそ、「置いていかれる恐怖」に襲われているのかもしれません。
特に中学受験を筆頭として日本の受験市場は年々熱気を増しており、もはや3か年どころか4か年5か年以上の計画で受験を検討する家庭もある有り様。
そんな中で「一日休んだら置いていかれる」と感じるのも、無理はありません。
リッチならそれなりの戦場を
ただ、だからこそ時流に乗るべきだと私は感じるのです。
ここ数年、推薦・総合型選抜の入試利用者割合が年々増加傾向にあります。
今となっては、一般入試(ペーパーテスト)を利用して大学に入る人は少数派。
参考書やYouTube上の無料授業、安価な映像授業サービスなども充実しており、ある程度の思考力があれば、たとえ東大レベルといえど、受験のために塾に通う必要性は薄れてきました。
つまり、貧乏人でも最適化された知識や方法論などにアクセスできれば、いくらでも挽回できるようになったのです。
そして、推薦・総合型選抜では、紙の上のお勉強以上に、幅広い体験や見識の深さが問われます。
こうした「体験」の多くは、そもそもお金がなければ手が届きません。海外留学も、地方視察も、全国区の大会に出場するのも、何をするにも元手がいる。
だからこそ、推薦・総合型選抜は「拝金主義」「経済格差を助長する」など批判を受けることもあります。
ただ、これはリッチな入試システムに参入できない人々の意見であり、逆に言えば、「推薦・総合型選抜には、貧乏人が入ってこられない」ともいえる。
そして、日本の平均年収やそこらでは「推薦・総合型」を戦い抜けるようなリッチな体験には手が届きません。
お金があるのならば、貧乏人には参加できない推薦・総合型選抜の市場で戦ったほうが、ライバルの数は減るでしょう。
総合型の枠も、今後どんどん拡大していくことが予想されます。
そうなれば、やがて「うちは教育投資をする余裕があるから、総合型で戦ったほうが得だよね」となる未来が来るかもしれません。
そう聞くと「貧乏人は排斥されるべきなのか」と思われるかもしれませんが、本来ならば戦う未来が待っていた教育投資戦士たちがペーパーテスト市場から抜けていけば、結果として一般入試側も得をするはず。
もちろん推薦・総合型選抜の利点である「一般入試との両立」があるでしょうが、そこについては貧困層出身者も同じく申し込めます。
お金がないから体験ができないのはもっともですが、学校行事や地元公的機関主催の留学・就業体験プログラムなどに絞れば、意外と安価に多くの経験を積めるかもしれません。
とはいえ、やはりお金をかけたほうが、よりリッチで、より手間が少ないままで、入試準備の体験に望めます。
どの戦場で戦うべきか見極めて
一般入試でも推薦・総合型でもお金があったほうがいいに違いはない。
ただ、塾にガンガン課金して子どもに勉強させるよりも、その投資費用を旅行や課外活動などの体験につぎ込んで戦った方が、総合的な勝率は高くなるように思うのです。
勉強の内容は、安価に代替が可能である一方で、「体験」には安価な代替手段がほぼ存在しないのですから。
だからこそ、お金があるなら、塾なんかよりも様々な体験プログラムに顔を出すべきですし、訪れた先でちまちまドリルを解くよりも、その場でしか感じられない光景、空気、音声などを体に刻み込みつつ思考を巡らせるほうが、よっぽど教育効果が高いのではないでしょうか。
時間の使い道は人それぞれ。
だからこそ、その使い方によって結果には大きな差が出ます。

あくまでお金はこの差異を減らす・増やすように倍率を掛けるための道具でしかなく、お金をかけたから勝てるわけでは決してない。
少なくとも、ある程度勉強を積み上げた方ならば、塾がどれほど有用で、どの程度の効力しか発揮しないかご存じなはず。
とはいえ、子どものうちからこの事実に気付けというのは酷であり、親や周りの大人が率先してその手引きをしてあげるべきでしょう。
そういう意味では、現代の受験戦争において最も重要なのは「親の資金力」ではなく「親がどれほど勉強し続けているか」なのかもしれません。





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