「面接ガチャ」という言葉を聞いたことはありますか?
就職活動、大学入試、英語資格試験、教習所の技能検定まで、私たちはあらゆる場面で「面接」に遭遇します。
昨今では、推薦・総合型選抜の割合が過半数を突破し、以前よりも多くの方が面接対策に精を出されているのではないでしょうか。一緒に仕事や研究をする同志を募る。医療行為や運転など、人命にかかわる行為に関する免許を発行する。
そういった際に、機械的に採点されるテストの点数だけではなく、どのような人間か確かめるために面接を挟むことは一般的でしょう。とはいえ、「圧迫面接」という言葉が存在するように、しばしば面接官側と受験者側との力関係の不均衡が指摘されるのもまた事実。
「面接は公平である」とは、お世辞にも言えないような現状が許されてもいいのでしょうか。
今回は、大学入試にて圧迫面接の被害にあったHさん(10代・女性)の証言を基に、理不尽がまかり通っている大学入試面接現場の様子を伺い、その改善案を考えていきます。

面接で落ちたのは実力か、それとも“ガチャ”のせいか?
今回取材に応じてくれたHさん(女性・10代)は、自他ともに認める「面接が得意な受験生」。人と話すことが好きで、自分の考えを言語化する力にも長けていたそう。
もともと、都内に位置する偏差値70程度の進学校に在籍していたHさん。毎年東大・京大に安定して合格者を輩出し、学年の半分近くが安定して早慶に進学する魔境ですが、そこで彼女は評定平均4.4を保っていました。
これは5を上限とする学校内での評価値であり、「校内でどれほど高い順位を取れたか」に左右されます。
極端なことを言えば、偏差値50程度の学校で平均4.5を取れた生徒がいても、偏差値70の学校では4.5を取れる保証はありません。
逆に、高偏差値帯の学校で落ちこぼれた生徒が、低い偏差値の学校では平均4.5以上をたたき出すことも十分想定できる。
彼女の場合は、校内上位5%~10%には入っていたと推計され、公称偏差値70に恥じない実力を持っていたと思われます。
もちろん、総合型選抜の勝率を大きく上昇させると囁かれる英検準一級も取得していましたし、あるNPOに所属しつつ、独自に研究活動も行っていました。
研究自体もかなり力が入っており、某大学の教授にアポを取り、その研究の成果を発表した際には、「高校生で、ここまで研究を完成させるのはすごいよ! 大人の前で発表してもいいくらいのレベルだ!」と大絶賛されたのだそう。
彼女を見ていた推薦塾のコーチも「間違いなく君ならどこでも合格できる」と早々に太鼓判を押すほど。
実際に、彼女は第二志望として、第一志望よりも人気で、倍率も10倍以上と高いMARCHの某学部を受験しましたが、こちらにはしっかり合格しています。
第一志望の大学も名門でしたが、こちらの志望倍率は5倍を切っており、誰もが彼女の勝利を確信していたのです。
しかし、彼女は第一志望の総合型選抜で不合格となってしまいました。彼女の偏差値帯から言えば、推薦どころか一般受験でも合格が十分見える学校であり、実力不足では決してなかったでしょう。
そう、彼女は「この先生はハズレ」と囁かれるほど、パワハラ・毒舌・圧迫面接で有名な教授に当たってしまったのです。

圧迫すぎる面接
彼女の志望学科の面接は朗らかな雰囲気で有名。アイスブレイクで「緊張してる?安心して怖いこと聞かないから!」と優しい言葉をかけてくれたり、「今日のランチは何食べたの?」などと聞かれることも珍しくなく、同大学の中でも有数のカジュアルな面接が展開される予定でした。
彼女ももちろんそのつもりでいましたが、実際に入室直後飛んできた質問は、
「なぜこの学部を志望したの?」
「君の志望理由書を何度読んでも、ここと結びつく理由がわからないんだけど?」
この瞬間、先輩から「受かったら、私の後輩だね! 受験頑張ってね。でも、○○先生はモラハラ・パワハラで有名で、とにかく言葉がきついから、何を言われても真に受けちゃいけないよ」とアドバイスを受けた瞬間が脳裏をよぎりました。
これは、”ハズレ”を引いたかもしれない。
しかし、動揺を見せないように笑顔を崩さず、志望理由書に書かれた内容を基にした回答を、快活な様子で答えます。事前に積み重ねた面接練習の成果か、動揺が表に出ることもなく、「普段通りの自分」で対応できたそう。
それもそのはず、午前中に行われた小論文のテストは自分史上トップクラスの出来栄えだったのです。「あとは得意の面接だけ走り切れば完走できる」……そう考えた矢先のアクシデントでした。
しかし、教授の猛攻は止まりません。
「本読んでる?」と聞かれたので、いくつか書籍名を挙げると「へぇ、ほぼ読んでないってことだね」と一蹴。その本のうちには、実際に某有名メディアの最前線で活躍するプロデューサーから「メディアをやるなら読んだ方がいい」とお墨付きを受けた一冊も入っていました。

挙げ句の果てには、「君の他の志望校教えてよ」と言われたので、素直に答えます。ですが、その返事は、
「あ〜〜〜。君のやりたいこと、今あげたどの大学に行っても叶えられないよ。志望するところミスってるんじゃない? 僕は〇〇大学の◻︎◻︎教授と知り合いだけど、彼はその専攻じゃないよ。彼はそんなこと研究していない」
という惨憺たるもの。ちなみに、この方の挙げた「◻︎◻︎教授」こそ、Hさんの研究を絶賛してくれた先生でした。
彼女の研究こそ面接の場では見せていなかったものの、そのエッセンスをふんだんに盛り込んだ志望理由を見ていたはず。それにも関わらず、面接官の先生は「こんな研究はやっていない」と歯牙にもかけなかったのです。
自分の研究を見てもらい、お世話になっていた教授のことすらも全否定する異次元の圧迫面接。別の受験者が笑顔で出ていく中、試験後にどっと疲れた様子で1人出ていくHさんが感じたのは、「やり切った達成感」ではなく、「圧迫からの開放感」でした。
世の中はガチャだらけでいいのか?
先述の通り、この事件の後、Hさんは第一志望よりも倍率が高い大学の推薦入試に合格しています。その大学の面接では、同じ試験官が全受験者を担当しており、少なくとも受験者同士の公平性は担保されていました。
一方で、第一志望は受験者によって面接官が異なっていました。受験番号が違えば、別の面接官にあたっていた可能性も高いのです。
もし申し込みのタイミングが少し違っていれば、もし受験番号が一つずれていれば、別の試験官に当たっていたかもしれない。合格を掴み取っていたかもしれない。
推薦・総合型選抜では、面接がつきものです。しかしながら、面接には「面接官によって、結果が大きく左右される」大きな構造的欠陥があります。
「評価の基準が同じでも、評価する人によって結果が変わる」
これは、公平性の担保が重視される大学入試面接では、非常に致命的ではないでしょうか。

とはいえ、これまでこの事実からは目が背けられてきました。
なぜなら、不合格者の声はともすれば「僻み」や「言い訳」として受け取られてしまうから。受験生と教授とのあいだには、絶対的な力関係が存在します。
だからこそ、評価する側についても、その在り方を見直す視点を用意すべきではないでしょうか。
例えば、面接官の様子を確かめて試験本部に報告する「逆面接官」を受験生の中にこっそり忍ばせる。
その事実だけで面接官が横柄な態度を取りすぎることは減るでしょうし、適切な面接官が人材を見極めることは、受験生にとってだけでなく、大学側にとっても大切な機会を逃さないことにつながるはずです。
はじまりこそ、たしかにたった一人の違和感にすぎなかった「圧迫面接」への疑問。
ですが、これは決して個人の問題にとどまらず、入試制度全体の課題へとつながっているのかもしれません。
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