みなさんは、「今の大学入試は、昔よりずっと簡単になった」と思い込んでいませんか? 親世代が経験した1980〜90年代の受験戦争に比べれば、今は「大学全入時代」であり、どこかしらの大学には必ず入れる。だから、うちの子も普通に勉強して、一般入試でそこそこの大学に入ってくれればいい……。
もしそんな風に考えているなら、その認識は今すぐ改めるべきです。それは、現代の大学受験が、親世代の常識が一切通用しない、全く別のゲームへと変貌を遂げているため。
先日、日経新聞にて「河合塾の高卒生向けコースが3月時点で満員となり募集停止になった」と報じられました。
大学「年内入試」受験生奪い合い 一般選抜が狭き門に、浪人生続出
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD139XZ0T10C26A4000000/
少子化で受験者数も減っているのに、なぜ予備校がパンクするのでしょうか。それは、一般入試が「努力すれば報われる場所」から「ごく一部の学力エリートだけが椅子を奪い合う修羅場」へと激変しているから。今後の受験で重要になる「戦う場所を選ぶ意義」について考察します。
先祖返りする「一般入試」の地獄
大学入学者における「推薦・総合型選抜」の割合は既に過半数を占めます。かつて「裏口」「少数派」と揶揄された入試方式が、堂々たるメインストリームに躍り出たのです。
これは単なる「入試方式の多様化」ではなく、受験生を「学力に秀でた者(一般入試)」と「学力以外に秀でた者(推薦・総合型)」に明確に切り分ける、残酷な分断が始まったとみるべきでしょう。
これまでは学力が若干見劣りしても、それを補って余りある魅力がある人物を得るために、多少入試を簡単にせざるを得ませんでした。それが、推薦・総合型入試でカバーできるようになったのですから、一般入試では学力に特化した人材を確保すればよくなった。今後の入試は、どんどん難化の一途をたどるはず。
そのうえ、推薦枠が拡大しても、全体枠はそれほど増えません。一般入試の定員数は極端に絞られますから、難化に加えて座席数も少なくなる。倍率は跳ね上がり、難易度インフレが起きるでしょう。
情報に鋭敏な富裕層は早々に見切りをつけて、推薦・総合型選抜での戦いに移るでしょう。ただ、推薦・総合型も合格率100%ではありませんから、これによって減ったライバル数よりも、推薦・総合型で食われる座席数の方が多いと予想できます。
その結果、かつては合格できていた「そこそこの学力」を持つ中間~下位層たちがはじき出されます。でも、周りの大人は「おかしい。あと1年で受かる」としかアドバイスができず、浪人コースへコマを進めていく。もはやゲームのルール自体が根底から覆っているというのに。
今後の一般入試は、一部のトップ層だけが血で血を洗う、地獄の受験戦争へ「先祖返り」していく可能性が高い。普通の子どもが高3の夏から頑張って一般入試でMARCHや日東駒専に滑り込む、というここ20年ほどの「ゆるい勝ちパターン」は、もはや通用しなくなっていくでしょう。
大学進学の意義
我々はさらに一歩踏み込んだ根本的な問いを立てる時期に来ているのかもしれません。つまり、「大学全入」のスローガンが産み出した「学部程度は出ておかなければ一人前ではない」とでもいうような、危うい幻想の存在可能性について検討する必要があります。
そもそも、これからの時代に「無理をしてまで大学に行く」必要は、本当にあるのでしょうか。「とりあえず大学くらいは出ておきなさい」。親が呪文のように唱えるこの言葉の裏には、「大卒」という肩書が安定した生涯年収を約束してくれた昭和・平成の成功体験があります。
しかし、現代では学歴がどれほどの価値を持つでしょうか。「東大までの人」と冷笑する人々が出てきて久しいですが、確かに東京大学を出ていようが仕事の出来ない人はたくさんいますし、高校も出ていないのに営業トークがビックリするほどうまい人も存在します。結局存在割合の話ではありますが、大前提として「大学に入るための能力は、業務上必要な能力と別の部分を参照する」ことは察しておいた方がいいでしょう。
東大ですら学費値上げの波が押し寄せる昨今、私立大学に4年間通えば数百万円の出費は免れない。たかだか受験を勝ち抜くことを目的として貴重な青春をお勉強なんかに捧げ、入った後はただ目的もなく4年間を過ごす大学生の、なんと多いことか。いったい、どれほどの投資価値があるでしょうか。
学力一つをとっても、現代はAIが東大の入試問題を解き、一般的な事務作業やレポート作成を数秒でこなすようになってしまいました。単に「大卒」であるだけなら、中途半端な知識や事務処理能力は、真っ先にAIに代替されるでしょう。
そのような時代に求められるのは、「偏差値」ではなく「その人にしか生み出せない価値」や「強烈な熱中体験」なはず。勉強への熱中が「価値観」の確立に役立ったならいいでしょうが、そうでないならば、目も当てられないほど悲惨な今後が待っています。
大学受験のパラダイムシフトによって、我々は「教育の目的」を再度考えなくてはならなくなりました。学力エリートの戦場に無理やり子どもを引きずり出す前に、一度家族で時間を取って、子どもの適性と未来をフラットな目線から再検討する。それこそが、これからの時代を生き抜くための、親の最も重要な「見識」であり、親が子どもにしてあげられる唯一にして最大の「教育投資」なのではないでしょうか。





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