子育てに正解はない。だからこそ、誰もが互いの教育ルートを批評し、賛美し、貶める。自身の受けてきた教育が正解だと信じる親は、かつて自らが受けた教育と同じものを子にも施そうとするし、十分な教育が受けられなかったと感じる親は、「理想の教育ルート」の判断を有識者や憧れの他者にゆだねようとする。

 ともすれば宗教に近い教育論だが、切っても切れない関係にあるのがカネの話だ。一流の学校に行かせようとすれば、やはり一流の塾予備校に通わせたり、一流の家庭教師をつけたりする必要が出てくる。だからこそ、一流の学校にいざ行かんと中学受験に端を発する受験戦争は苛烈化するのだろう。

 最近では、参加するだけで数百万が飛ぶ割に、得られるリターンが考えるほど大きくないと明らかになって来た。それでも受験業界に詳しい「じゅそうけん」こと伊藤滉一郎氏は「中学受験の経験は参加すべき」と説く。その真意に迫る。

○エリートコースを決めるのは「高校選び」

__中学受験、高校受験、大学受験と様々な選択肢がありますが、どこに力を入れるべきでしょうか?

伊藤:前提として、一流大学に行きたいのであれば、一流の高校に行くべきです。都内で中学受験がヒートアップしているのは、「いい高校=一流の進学実績を持つ高校」の多くが、ほとんど中高一貫の私立校だから。つまり、「いい大学に行くために、いい高校に行けるチケット」を手にするために戦っているわけです。

 中学受験は発達度合いに左右されますし、なにより最低でも3年と300万円からの膨大な時間・資金が必要になる。一方で高校受験では、かけても100万ちょっとと比較的安価であり、1年ちょっとで対策が可能な代わりに内申点が必要になる。

 ただ、よく内申点で悪く言われがちな高校入試ですが、悪いことばかりではありません。中学受験は純粋にテストの点数で殴り合う必要がありますが、高校受験ならある程度は内申点でブーストが効くからです。しかも東大が何人も出るような高校でも、中学入試より難易度が低い問題が出るケースも多いんです。特に、公立高校の受験だと、基礎的な問題がたくさん出るので、比較的マシ。日比谷とか、東大に数十人も送り込むような超ハイレベルトップ校だと厳しいかもしれませんが、早慶とか地方国公立がボリューム層の学校なら、だいたい1年ちょっと勉強すれば足ります。

 確かに、実技科目で難がついたり、関心や意欲など評価者の主観に左右される点を考慮すれば、手放しで喜べる制度でもありませんが、「めちゃくちゃ勉強が得意!」みたいなタイプじゃないなら、高校受験を考えたほうが結果が出やすいかもしれません。逆に、人づきあいとか、目上の人(特に先生)との距離感がわからないような子なら、純粋にテストの点数だけで結果を出せる中学受験が向いているでしょうね。

○「中学受験を無駄にする張本人」の正体は

__ただ、中学受験だと相当お金がかかるのでは?

伊藤:そうですね、最低でも300万はかかります。高校受験ならせいぜい100~200万もあれば足りますから、ここが大きな差でしょうね。

 そもそも中学受験をしても、そこまで偏差値が伸びるかと言われれば、どうやらそうでもないみたいなんですよ。せいぜい大学受験における偏差値が3ポイント伸びるかどうかといったところのようで、目指す大学群・学部帯がひとつ上に上がるかどうかといったところ。3年と300万を投資しても、別に東大京大や早慶が確約されるわけではなく、「中学受験組の中央値はMARCH」なんて噂もまことしやかに囁かれています。

 それでも、中学受験の経験自体は無駄にならないでしょう。ミソは、受験の結果ではなく、過程に着目すること。中学入学までの期間で、ある程度まとまった時間を勉強に充てる習慣ができること自体が、大変な意味を含んでいます。もちろん、受験に頼らず勉強するようなお子さんなら、参入の必要はありません。ただ、勉強自体が好きでもなければ、どうしても途中でだらけてしまうもの。それでいうと、今の中間層までが参加している中学受験現場は、受験結果にさえ目を瞑れば、上中下それぞれのレベルに分かれて戦える、ちょうどいいトレーニング場と見なせます。模試である程度の偏差値を出すことだけを目標にして、勉強を習慣化できれば、続く高校・大学受験でも一定の結果が見込めるでしょうね。

__でしたら、「中学受験はみなやるべき」という結論になるのでは……?

伊藤:ただし、ここに欲が絡んでくると話は別です。最初は腕試し程度で始めた受験でも、模試で偏差値55とかを記録した途端に「もうちょっと頑張ったら、上位難関校を狙えるのでは?」と欲をかいてしまうケースがあります。そうなると、もう地獄のボリュゾ直通コースであり、親子関係の悪化や子どものストレス増大など、悪い結果につながっていってしまう。

 別の記事でもお話しましたが、中学受験に参入する際には、明確な軸が必要です。「環境が良い学校に行ってもらうため」「地元の公立校に行けない理由があるから」などの理由があり、「こんな学校に行きたい」と志望校選びの理由が偏差値以外でも明白で、さらに投じた資金額なんて、塾をサボっているのでもなければ、何百万飛ぼうが、痛くもかゆくもない。そんな条件がそろって、初めて中学受験を勧められます。

 「勉強の習慣化にちょうどいいから」と始めるのは大賛成です。しかし、どんなに成績が良くても成績自体には口出ししない。間違っても「今の勉強習慣で偏差値が50なんだから、家庭学習をあと○時間増やせば、もう一ランク上に上がれるのかも」と勝手に皮算用して、子どもを追い込まない。簡単なことを上から目線で言っているようですが、これがどうにも難しいんです。だから、「ボリュゾ」を検索するだけで無数の怨嗟の声が渦巻く地獄の一丁目を垣間見ることができる。なんといっても怖いのは、人の欲望といったところでしょうか。

○まとめ

 受験は、登山に似ている。努力しても上がれない。道のりを振り返っても、今から引き返す勇気もない。できることは、半ばあきらめに至りつつ、現状を維持し続けることだけ。足搔いて遭難となるのが最悪の展開だが、受験の場合は遅れを取り戻さんと始めるダブルスクール・家庭教師・転塾などが当てはまるだろうか。気分でルートを変えたり、目標を設定しないままふらふらと迷い込んだりすると、大抵ろくな結果に終わらない。滑落しても命を落とさないだけ、受験のほうがマシかもしれないが。

 逆に言えば、安全な登山法からトレースすれば、「中学受験山」を乗り切れるだろう。すなわち、事前のルート確認や目標の確認、入念な下調べによる登山中の安全確保、そして「やばい」と感じたら一目散に引き返す潔さだ。受験は、人間にあるべき謙虚さを試してくれる、「心の試金石」なのかもしれない。