「1日30分しか勉強してはいけない、というルールがあったんです。最初は嬉しかったんですが、実はこれ非常に巧妙なルールで...」
こう語るのは、高校に通わず通信制高校から東大合格、マッキンゼーを経て教育事業を立ち上げた神田直樹氏。
誰もが“努力で何とかしよう”とする中、神田さんは「工夫しなければいけない状況」から逆算し、独学を仕組み化していったという。
その背景には、幼少期からの独特な「30分勉強ルール」と既存の学校制度への根本的な疑問があった。

「30分以上、勉強してはいけない」─異色の家庭環境
─神田さんのご経歴を簡単にお伺いできますか。
神田:はい、現在「ヨミサマ。」という、東大生による個別指導サービスの代表をやっています。経歴としては、高校時代は通信制高校に在籍しながら一人で勉強し、東大の文科一類から法学部に進学、その後マッキンゼーを経て起業しました。
いわゆる、典型的なエリートコースを歩んだ後に、1年足らずでマッキンゼーを辞めて今の会社を立ち上げたという感じです。
─どこを切り取っても興味深い経歴ですね。時系列順にお伺いしたいのですが、まず幼少期の家庭環境から教えてください。
神田:すごく自由な家庭でした。勉強した記憶がほぼないんです。小学生時代は学校が終わったらスイミングスクールと書道をやって、週2回程度。あとは基本的に友達と公園で野球をして過ごしていました。
─勉強はしていなかったんですか?
神田:実は、うちには「勉強制限」があったんです。普通は「一日1時間は勉強しよう」という下限の制限だと思うんですが、逆で「一日30分より長く勉強しちゃいけない」というルールがありました。小中学生の時はずっとそれで生きていた。10分でもいいから、別にやらなくてもいいんです。
─30分制限!それは珍しいですね。
神田:最初はめっちゃ嬉しかったんですが、これって結構巧妙なルールだったなと今では思います。中学生になってテストが1週間後にあるとすると、残り3時間程度しか合計勉強時間がない。何もできないわけです。
でもそれゆえに、めちゃめちゃ工夫しないといけなくなった。今でも、30分で全科目の全範囲を毎日やるというのが理想形だと思っているんですが、その土壌を作ったのが30分制限でした。1週間前に見たことを忘れてしまうので、なるべく30分で1周回さないといけない状況を作る必要があったんです。
─ご両親はどのような方だったのでしょうか?
神田:父は私立大学の講師で、研究よりも教育に興味が強いタイプ。民法、特にドイツの民法が専門です。母は専業主婦。両親ともにかなりおしゃべりで、家庭は常に言葉のシャワーが降り注いでいました。
特徴的だったのは、親が僕をほとんど子供扱いしなかったこと。語彙を簡単にしたり赤ちゃん言葉を使ったりしない。自動車のことも2歳、3歳から「自動車」と呼ばせていました。両親同士のアカデミックな会話を聞いて育ったので、子供っぽい喋り方というのを知らないんです。
ドイツの日本人学校で感じた息苦しさ
─中学時代はドイツにいらっしゃったんですよね。
神田:12歳から19歳までドイツのミュンヘンにいました。日本人学校に通っていたので、生活自体は日本とあまり変わりませんでしたが。
─日本人学校はどのような環境でしたか?
神田:絵に描いたようなエリートな子が多かったですね。海外赴任をするような家庭の子供たちなので、父親が大手メーカーの幹部といった感じ。僕の学年は11人、中学校全体で25人という少人数でした。
不良がめちゃめちゃ珍しい環境でした。普通の中学校だと多少ずれてる子もいると思うんですが、本当に25人の中で1人いるかいないか。10年に1人程度です。
─神田さん自身は学校生活をエンジョイしていたんですか?
神田:学校は結構好きでした。開校初の二期連続生徒会長をやったり、部活もバスケから陸上に移ったりとエンジョイしていた。今の自分から見ても眩しいくらい青春っぽい中学生活でした。
ただ、授業だけがダメだったんです。一日30分で自学自習が完結しているのに、なぜ7〜8時間もインプットを受けなければいけないのか。圧倒的に密度が低いと感じていました。
─先生方との関係はいかがでしたか?
神田:これが悲劇的だったと思うんです。日本人学校に来る先生って、実は特殊なんですよ。海外の日本人学校への赴任先は選べないので、どこに派遣されるか分からないという制度があるんです。もしかしたら危険な地域に赴任するかもしれない、と覚悟をして日本人学校の先生になるんですね。
そんな先生方なので、教育への意識がすごく高くなるという傾向があります。日本では不良中学生と向き合っていた熱血タイプが多い。
でも海外では不良がとても少ないので、振り上げた拳の下ろし先がなくて、僕みたいな勉強において授業や先生のやり方などについていきたくない自由なタイプに対して、妙に厳しくなっていくんです。
「高校に行く必要がない」─戦略的判断
─そこから高校進学を断念されるわけですが、どのような経緯だったのでしょうか?
神田:最初は普通に日本の高校に行こうと思っていました。東京なら日比谷、関西なら白陵といった感じで準備もしていました。でも途中で「絶対に通信制高校の方が楽しいじゃん」ということに気づいちゃったんです。
決定的だったのは、中3で東大の過去問をやってみた時です。高校に行く必要が一切なく、むしろ行くことは遠回りだなと感じました。
─具体的にはどのような点でそう思われたのですか?
神田:例えば外国語です。僕は東大をドイツ語で受けたんですが、英語と比べて圧倒的に簡単なんです。英語は25ページくらいある冊子でリスニングもありますが、ドイツ語は7ページ程度でリスニングなし。レベルも英検2級程度です。
普通の学校に通うと英語の授業が入ってくるし、ドイツ語は全部独学でやらなければいけない。日本史も、東大の日本史は暗記ではなく思考力を問う問題なのに、普通の学校だとセンター試験対応で暗記中心になってしまう。
高校のカリキュラムは東大合格のために最適化されていないと感じたんです。
─思考の枠外を考える力が身についていたんですね。
神田:みんなが「東大に合格する確率を最大化する学校はどこか」と考える時、僕は「東大に合格するために何をすればいいか」という、より手前の問いを考えていました。そこに「学校に行く・行かない」の分岐があることに気づけたのが良かったと思います。
これも30分勉強ルールが作った思考法だと思います。普通のやり方では無理なので、常に思考の枠外を考える癖がついていました。
ゲーム廃人からの復活─偏差値45の衝撃
─しかし高校1年生時代は、相当ゲームにハマっていたそうですね。
神田:(笑)そうなんです。当時一番ハマっていたのは「クラッシュオブクラン」というスマホゲームで、一日13時間くらいやっていました。しかも社会人限定クランに入っていて、中高生だと治安が悪すぎるので。
みんな「なんでこいつは社会人なのに、こんなに時間があるんだ」と思っていたでしょうね。
─ご両親は何もおっしゃらなかったんですか?
神田:今思うと非常に怖いんですが、何も言ってこなかった。本人の意思を尊重しようという強いポリシーがあったようです。
─そこからどうやって抜け出したのですか?
神田:高1の12月に一時帰国して駿台模試を受けたら、偏差値45になっていました。以前は70くらいあったはずなのに、まさかそんな数字を取るとは思わなくて、びっくりしました。
その瞬間、自分のことを信じるのをやめたんです。「人間はやる気で続けるものじゃない。人間を続けさせるのはプログラミング・仕組み化に他ならない」というスローガンが立ちました。
─そこから一日11時間勉強されるようになったとか。
神田:急に勉強ができるようになりました。とはいえ、ゲームも一日4時間くらいはやっていましたし、アイドルにハマって追っかけもしていました。意外と充実していたんです。
学校に通っていないと、一日11時間勉強してもフリータイムは結構あるんですよね。人間は大体16時間活動しているので、当時の体感としては意外と暇でした。
ほかにも地域の野球クラブに所属したり、ドイツで複数のコミュニティを持ちながら生活を続けていました。
─その時期に編み出された独自の勉強法について教えてください。
神田:決定的だったのは「国語」に徹底的にフォーカスしたことです。普通は数学や英語から手をつけがちですが、僕は全科目の成績を上げるために国語を鍛えることにしました。
これは30分勉強ルールの延長線上にある発想で、限られた時間で最大の効果を得るには何が最も効率的かを考えた結果です。国語力を高めることで、他の科目の文章理解力も向上し、結果的に全科目の成績が上がるという仮説を立てました。
─具体的にはどのような国語の勉強をされたのですか?
神田:まず「読む」という行為を徹底的に分析しました。4か月、ほかの勉強を一旦わきに置いて、徹底的に読書をしたんです。結果的にはこれが大正解で、4か月の期間を開けた後は、全く勉強していなかった理数科目なども含めて全ての科目で点数が向上しました。
従来の「たくさん問題を解けば伸びる」という考え方ではなく、読解のプロセス自体を言語化して、再現可能な技術として身につけることに注力しました。これが後に僕の著書のメソッドにもなっています。
─浪人期間はメンタル的にはいかがでしたか?
神田:東大に落ちた時は正直ショックでした。でも「高校生活を犠牲にして東大を目指した以上、絶対に諦めるわけにはいかない」という強い意志がありました。東大に行けるかどうかは生死に関わるくらいの問題だと本気で思っていたんです。
やる気だけでは続かないことを学んだので、感情に左右されない「仕組み」に徹底的に頼りました。毎日同じ時間に起きて、同じルーティンで勉強する。これを機械的に繰り返すことで、メンタルの浮き沈みに関係なく勉強を継続できました。
─そして2年目の東大受験はいかがでしたか?
神田:結果的に343点で合格しました。ほぼトップ合格に近い成績でした。特にドイツ語選択が功を奏したと思います。英語と比べて圧倒的に簡単で、みんなが英語で苦戦している間に、僕はドイツ語で確実に点を稼ぐことができました。
国語も、浪人期間中に徹底的に鍛えた結果、安定して得点できるようになっていました。従来は「センスが必要」と言われがちな科目ですが、実際は技術とプロセスの問題だということを証明できたと思います。
詳しくはこの本で解説しているので、ぜひ受験生の参考になったら嬉しいですね。
教育への想い─「1人で学ぶ」をカジュアルに
─その後、東大法学部からマッキンゼーを経て、教育事業で起業をされていますよね。現在の事業にはどのような想いがありますか?
神田:「1人で学ぶ」をよりカジュアルな選択肢にしたいんです。部活をやらないくらいカジュアルな選択になるといいなと思っています。
実際、通信制高校に通う人の数はかなり増えていて、去年はN高が7人の東大合格者を出しました。もう一流の進学校レベルです。このルートがもっとポピュラーになってほしいですね。
─今回の著書で特に伝えたいメッセージは?
神田:勉強時間を制限することです。頭が良くなるためには勉強時間で解決しようとしてはいけなくて、創意工夫を持てる状況を作ることが一番大切です。
多くの人は時間を増やして問題を解決しようとしますが、高校受験は中学受験の3倍、大学受験は高校受験の3倍の量が必要になります。いずれ絶対に限界が来るんです。
なるべく落ち着いた時間に一度エンジンを作り直す時間を持たないと、時間で解決する方法はいつか破綻します。「待てない者には未来なし」とすら思っています。

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