「先生に竹刀で叩かれる? いや、今だったら即アウトですよね」
「SNSで教員を特定? むしろ、それが普通です」

 時代が変われば、「学校の常識」もまた大きく変わっていきます。昭和対令和。校則、教師との距離感、クラスの空気、SNSの存在感──そのすべてが、かつてとはまったく異なる顔を見せています。

 今回は、令和時代に高校生活を送った複数の学生にインタビューを実施し、学校生活における“価値観の大転換”をひもときました。過去と現在を比較することで見えてくる、「教育現場の変化」と「生徒のリアル」を追いました。

 

令和の学校生活──コロナ禍で生まれた新しい日常

 令和の高校生活を語るうえで、コロナ禍は欠かせない出来事です。突然のオンライン授業の導入により、「教室で授業を受ける」という日常は一変しました。学校から「ハイブリッド形式で授業を実施します」との連絡が届いたとき、生徒よりもむしろ保護者や教員のほうが、戸惑いや不安を抱えていたのではないでしょうか。

「Zoom授業で先生がミュートのまま、45分間ずっとひとりで話し続けていたことがあります(笑)」
「上の服だけ制服で、下はパジャマのまま受けてました」

 そんなあるあるが複数寄せられました。インタビューに応じた現役世代の多くが「1年以上オンライン授業を経験した」と語る一方で、「オンライン授業自体がなかった」という声もあり、地域や学校によって対応に大きな差があったことが浮き彫りになりました。

 筆者の学校でも、生徒たちは比較的早くZoom授業に順応しましたが、教員側は「入室許可の操作」や「カメラ越しでの指導」に慣れるまでに時間がかかっていました。
 また、Zoom授業中にカメラをオフにして居眠りをしたり、裏で別の課題に取り組んだり、クラスLINEで面白い画像を共有して笑いをこらえる──そうした行動は、かつて“私語”と呼ばれていたものが、形を変えて現れたとも言えます。

 生徒たちの遊び心も進化していました。教師のSNSを探し出して写真を保存し、それをZoomの背景に設定して全員で待機するという、いたずらのような連携プレイも行われていました。さらには「教室でUber Eatsを頼んだ」「先生と一緒にSwitchで遊んだ」などの証言もあり、かつてとは違う「新しい距離感」が生まれていたことがわかります。まさに、令和らしい生徒文化の象徴的なエピソードと言えるでしょう。

 

昭和世代の『昔の常識』を令和世代にぶつけてみた

「授業中に話していたら先生に竹刀で叩かれた」「掃除をサボったらバケツを持って立たされた」「黒板消しで顔を挟まれた」──そんな昭和のしつけエピソードに対して、令和の学生たちは一様に驚きと拒否感を示します。

「笑っちゃうけど、今やったら即アウトですよね」
「僕なら訴えます。親も一緒に動くと思います」
「バケツって、意味あります?時間のムダですよ」

 実際、インタビューに応じてくれた現役世代のほとんどは「バケツ罰はありえない」と答えました。一方で、「どちらとも言えない」「指導の意図があるなら理解できる」といった柔らかい声や、「掃除をサボったなら、頑張っている子の代わりに数日手伝わせたほうがよっぽど意味がある」と指摘する声もありました。

 現代の学校では、反省文の提出や先生との対話を通じて、生徒自身に考えさせる“内省型の指導”が主流です。かつてのように体罰や一方的な叱責で従わせるのではなく、「どうしてそうしたのか?」と問いかけ、生徒の内面に働きかけるスタイルへと移行しています。

ある生徒はこう語ります。

「昔は怒鳴って殴るのが“教育”とされていた時代もあったけど、今は“なぜ?”と対話してくれる先生が多いと思う」

 「しつけ」という言葉の意味自体が、時代とともに変化しています。昭和で「教育」として正当化されていたブラック校則や体罰も、令和の感覚ではもはや「信じられない話」です。アンケートやインタビューからも、当時の“当たり前”に対する疑問や違和感が多く寄せられました。

 価値観は時代によって変わります。かつて正当とされた行為が、今では通用しないどころか、処罰の対象になることさえあります。生徒たちの率直な声は、教育における「過去」と「現在」のギャップを鮮やかに映し出していました。

 

SNS時代の人間関係──スクショは当たり前

 「部室裏に集合な」──そんなセリフは、筆者の母世代にとって、喧嘩や告白の場面で使われるドキドキする言葉だったそうです。異性に部室裏へ呼び出された場合は、告白の可能性が高く、身だしなみを整えて臨むこともあったと言います。それに比べて現代では、喧嘩も告白もSNS上で済まされてしまう時代になりました。

 SNSが当たり前となった現代では、誰もが簡単に他人を「排除」できる環境にあります。グループからの除名、愚痴の投稿、写真の拡散なども日常的に行われており、こうした仕打ちを受けた経験もアンケートによると「SNSが原因でトラブルになったことがある」生徒が多数派。その多くが、LINEグループでの排除や、投稿のスクショ、陰口の拡散などの「目に見えにくい暴力」でした。

「部活合宿で寝てる間にスマホを勝手に触られ、女子全員にLINEが送信されてた。通信量も使い切られていて、ショックでした」
「自分の変な写真が勝手にスクショされて、他クラスまで拡散された」

さらに注目すべきは、「スクショ文化」です。

「LINEの悪口をスクショして、トラブルに備えて保管している」
「疑われたとき、先生に提出するために証拠を集める」

 スクショは、もはや自衛力として日常の一部になっています。一方で、「スクショされることを前提とした関係性」が人間関係をギスギスさせ、自由で開かれたはずのSNSが、不信と監視の場へと変わりつつある現実も浮かび上がってきました。実際にSNSに文章や写真を投稿する際には、スクショされる可能性を意識して、閲覧範囲を制限したり、投稿自体を控えたりする人もいます。また、LINEでは「送信取り消し」機能を活用し、チャット上に残ってほしくない発言を削除する行動も見られます。

立場逆転の時代──先生を辞めさせる生徒たち

 かつては「先生は絶対」とされていた価値観も、いまや過去のものになりつつあります。アンケートでは、「生徒の声で先生が辞めた話を知っている」と答えた方も。

「カップラーメンの汁をかけられて授業崩壊」
「論破されたり笑われたりして、メンタルをやられて辞めた」
「保護者のクレームで退職したと聞いた」

さらに、インタビューに応じてくれた方の全員が、「先生の立場は昔より弱くなっている」と実感していました。自由記述では、こんな声も寄せられています。

「なんでもハラスメントにされるから、先生が常に顔色をうかがっている」
「注意するだけでパワハラと騒がれる。今の教師はインフルエンサーみたいに監視されている存在」

 かつて教師は、生徒を喜ばせる存在ではなく、「将来のために厳しく接する役割」を担っていました。しかし現在では、その役割を果たそうとするほど、生徒や保護者からの反発にさらされてしまうという矛盾した状況に置かれています。

 また、SNSの普及により、教師の言動はいつでも切り取られ、拡散・監視されるリスクにさらされるようになりました。

「先生って、今はずっと監視されている存在だと思う」
「発言を誇張されてチクられたり、SNSに書かれたりするリスクがあるから、すごく気を遣っている」

 生徒の声を尊重することと、教育の軸を保つこと──。そのバランスをどのように取るかは、これからの学校現場にとって避けて通れない問いです。「たった一度の失敗を大げさに取りざたされる」など、現代の先生には、特有の悩みがあるのかもしれません。

変わるべき価値観と、変えてはいけない本質

 昭和では当たり前だった「しつけ」「指導」が、令和では通用しない──。そんな価値観の転換は、社会の変化とともに自然に起きてきたものです。体罰の禁止、生徒の声の尊重、SNSによる関係性の変化。どれも時代の流れを反映したものだと言えるでしょう。

 一方で、「何も言えない先生」「スクショで監視される日常」など、教育の現場には新たな課題も生まれています。変化を受け入れることと、本質を見失わないこと。大切なのは、そのバランスを私たち自身が考え続けることなのかもしれません。