「東大に入れば幸せになれる」という神話の終わり
「東大に合格しさえすれば、人生のすべてがうまくいく」――。
そう信じて、毎日12時間以上の勉強を続けてきた高校生時代の自分を、僕は今でもよく覚えています。「合格」というゴールテープを切れば、その先には輝かしい未来が、誰からも認められる人生が、約束されている。そう思い込んでいました。
ところが、実際に東大に入ってみると、僕の周りには「合格したのに、なぜか幸せそうではない人たち」が驚くほど多くいました。常に何かに追い立てられているような顔をして、次のレース、その次のレースへと走り続けている。立ち止まることを許されない人たち――それが、僕が東大で出会った同級生たちの姿でした。
中学・高校で常にトップを取り続けてきた人が、大学に入った途端に心の調子を崩していく。一流企業に就職した人が、入社数か月で休職してしまう。「学歴」というカードを手にしたはずなのに、なぜか幸せから遠ざかっていく――。こうした逆説的な現象が、いま日本中で、いや世界中で、深刻な社会問題として浮かび上がっています。
そして、この問題を真正面から論じた一冊の本が、いま世界中で大きな反響を呼んでいます。
『Never Enough』が暴いた「達成文化」の毒
アメリカでは、2023年にジャーナリストのジェニファー・ブレヘニー・ウォレス氏が『Never Enough: When Achievement Culture Becomes Toxic(=「いくらやっても足りない――達成文化が有害になるとき」)』という本を出版し、ニューヨーク・タイムズのベストセラーとなって大きな反響を呼びました。同書は2024年12月に、早川書房から『「ほどほど」にできない子どもたち 達成中毒』(信藤玲子訳)というタイトルで邦訳も刊行されており、日本でもいま静かに注目を集めつつあります。
ウォレス氏が同書で取り上げているのは、まさに「常にトップを取り続けてきた子どもたち」が抱える、深刻なメンタルヘルスの問題です。彼女は本書を執筆するにあたって、全米の親6,500人以上に大規模なアンケート調査を行い、さらに専門家・教育者・子どもたちに直接インタビューを重ねました。そこから浮かび上がってきたのが、「トキシック・アチーブメント・カルチャー(有害な達成文化)」という概念です。
「いくら成功しても、まだ足りない」「次の目標に進まなければならない」――そういった圧力が、子どもたちを慢性的な不安と抑うつへと追い込んでいる。ウォレス氏が指摘するのは、こうした圧力が、もはや個別の家庭やお受験ママの問題ではなく、社会全体に蔓延する「文化」になってしまっている、という点です。
「リスク集団」に分類された優等生たち
アメリカ心理学会(APA)の機関誌『Monitor on Psychology』(2024年10月号)でも、この問題は大きく取り上げられています。同誌によれば、アリゾナ州立大学のスニヤ・ルーサー教授らの長年の研究によって、「学業成績が極めて高い学校に通う生徒たち」は、アメリカの政策レポートで正式に「リスク集団(at-risk group)」として分類されるようになりました。
「リスク集団」という言葉は、もともと貧困家庭の子どもやマイノリティの若者など、明らかに不利な環境に置かれた人々を指すために使われてきた専門用語です。それと同じカテゴリーに、いま「トップ校に通うエリートの卵たち」が入れられているのです。
ルーサー教授の研究によれば、彼らが不安障害・うつ病・薬物乱用に陥る割合は、一般的な同世代の平均と比べて2〜6倍にもなる、というのです。「トップ校に通っている」という、一見すれば誇らしい属性が、メンタルヘルス上はむしろリスク要因として警戒されている――。これは僕たち日本人にとってもなかなか衝撃的な事実ではないでしょうか。
実際、アイビーリーグの一角を占めるハーバード大学の学生健康調査でも、近年は学生の22%がうつ症状を、23%が不安症状を報告しているという数字が明らかにされています(『Harvard Crimson』2025年9月報道)。ボストン大学の調査では、アメリカの大学キャンパス全体で不安が110%増、うつが135%増という増加傾向も指摘されています。
「アメリカ人の若者が病んでいる」というだけの話ではありません。最も成績の良い、最も将来有望と見られている子どもたちこそが、最も病んでいる――これがウォレス氏の突きつける現実なのです。
なぜ「いくらやっても足りない」のか
ウォレス氏が著書の中で繰り返し述べているのは、「子ども自身が悪いわけでも、親が悪いわけでもなく、社会全体が『いくらやっても足りない』というメッセージを発し続けている」ということです。
テストの点が上がれば「次は順位を上げよう」、順位が上がれば「次はもっと上の学校を狙おう」、学校に入れば「次は学内で1番を取ろう」、卒業すれば「もっといい会社へ」、就職すれば「もっと年収を」――終わりのないアップグレード要求が、子どもの心を静かに削っていきます。
ここで重要なのは、ウォレス氏が「親を悪者にしていない」という点です。むしろ彼女は、現代の親たちもまた、被害者であると論じています。経済的格差が広がり、中流階級から転落するリスクが高まった社会では、親は子どもの将来を案じるあまり、「少しでもいい学校に」「少しでもいい成績に」と、無意識のうちに圧力をかけてしまう。けれどその圧力は、親が悪意で発しているのではなく、社会全体が親に対してかけている圧力の「中継地点」にすぎないのです。
ウォレス氏は本書の中で、現代の達成文化を「終わりのないトンネル」に例えています。これまでなら、「いい大学に入る」という明確なゴールがあれば、子どもは全力でそこまで走ることができました。終わりが見えているからこそ、人は全力疾走できるのです。しかし現代の達成文化には、その終着駅がありません。学内試験で1番を取れば終わりなのか、卒業すれば終わりなのか、就職して年収が上がれば終わりなのか――どこをゴールに設定しても、その先にまた次のレースが待っている。トンネルの出口だと思っていた光が、実は次のトンネルの入り口にすぎなかった、ということが、無限に続いていく。
「いくらやっても足りない(Never Enough)」というタイトルは、まさにこの感覚を言い当てた言葉なのです。
処方箋としての「mattering」
では、ウォレス氏はこの問題に対して、どのような処方箋を提示しているのでしょうか。
彼女が同書を通じて最も強く訴えているのが、「mattering(マタリング)」という概念です。これは社会学者のモリス・ローゼンバーグらが提唱した心理学の概念で、「自分は他者にとって意味のある存在だ、自分という存在が誰かにとって価値あるものとして認められている、と感じられること」を意味します。
ウォレス氏は、「成果(achievement)」ではなく「マタリング(mattering)」こそが、子どもたちのメンタルヘルスを守る決定的な要因だと論じます。つまり、「テストで何点を取ったから愛される」「いい大学に入ったから認められる」のではなく、「あなたという存在そのものが、私にとってかけがえのないものだ」と、周囲から伝えられること――それが、達成文化の有害な側面を中和する鍵になる、という主張です。
この概念は、シンプルなようでいて、現代社会では驚くほど実践しにくいものでもあります。なぜなら、多くの親、多くの教師、多くの大人が、無意識のうちに「成果に対して」子どもを評価してしまうからです。「100点取ってすごいね」「○○大学に入って偉いね」――こうした言葉は、一見すると褒め言葉ですが、裏返せば「成果を出さなければ偉くない」というメッセージにもなり得ます。
ウォレス氏が提案するのは、「成果ではなく存在を承認する」というシンプルな転換です。子どもが帰ってきた時に、テストの点数を聞く前に、「今日、家に帰ってきてくれて嬉しい」と伝えること。失敗したときに、原因を分析する前に、「あなたがいてくれることが、私にとって何より大切」と伝えること。こうした小さな積み重ねが、子どもの中に「自分は条件付きで愛されているのではない」という感覚を育て、結果として「成果が出せなくても、自分は自分でいていい」という、トンネルから抜け出すための地図を与えてくれるのです。
日本の私たちは、何を読み取るべきか
『Never Enough』はアメリカの本ですが、その内容は、日本の私たちにとってもまったく他人事ではありません。むしろ、ある意味では日本のほうがより深刻だ、と言うこともできます。
アメリカでは、「達成」は基本的に「自分のため」「自分が選んだ道で輝くため」のものとして語られます。ところが日本では、「達成」はしばしば「親のため」「先生のため」「世間体のため」のものとして子どもに与えられがちです。「いい大学に入って、親を安心させなさい」「先生の顔に泥を塗らないように」「世間に出て恥ずかしくない人間になりなさい」――こうした言葉のシャワーを浴び続けた子どもたちは、自分が何を望んでいるのかを考える前に、「期待に応える自分」を作り上げることに全エネルギーを注いでしまいます。
その結果、東大という最高峰に到達した瞬間、彼らはふと立ち止まって気づくのです。「あれ、私が望んでいたのは、本当にこれだったんだろうか?」と。けれど、その問いに答えるための「自分」が、彼らの中にはもう残っていない。一番を取り続けるためのエンジンだけが、空回りしているのです。
近年、教育系の有識者の間では「東大出身者にかぎって、一流企業に就職してもなじめずに早期退職したり、うつ病で休職するなど、卒業後に幸福度が大きく下がる傾向がある」という指摘もあります。「東大卒」というラベルが、社会に出てからもむしろ重荷として彼らを苦しめている、というのです。
これは、日本版の「Never Enough」が、まさに今、進行していることを示しているのではないでしょうか。
「1番以外の運転方法」を身につけられるか
『Never Enough』が私たちに突きつけているのは、究極的にはこういう問いです。
「あなたは、成果を出していない自分のことも、愛することができますか?」
この問いは、保護者であれば「成果を出していない自分の子供のことも、愛することができますか?」となると思います。達成文化の中で育ってきた優等生たちは、「成果を出している自分」だけを愛する方法を覚えてきました。けれど、人生のどこかで、必ず「成果が出せない時期」がやってきます。その時に、自分を見捨てずにいられるかどうか――それが、トンネルから抜け出せるかどうかの分かれ道なのです。




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