世帯年収300万家庭、親は2人とも夜逃げ経験者。そんな中から、親が消費者金融で借金をしながら週3でバイトして東大に合格した人がいます。それが、布施川天馬さんです。今回は、彼の合格体験についてご自身の言葉で語っていただきます。

なぜ東大を目指したのか?

 私が東大を目指したのは、「人生を切りひらくため」。東京大学に進学することで手に入る「東大生」の肩書と、「東大ブランド」による圧倒的な就活アドバンテージを求めてのことでした。実際には振るうことのなく終わりましたが、この剣を手に入れたことが、私の人生にとって大きな転機となったことは間違いありません。

 私は東京都足立区の、世帯年収300万円台の家庭に生まれました。父は正社員として朝から晩まで、土日も平日も区別なく毎日働いていましたが、私が生まれたころには既に勤め先の経営は傾いており、給料なんてまともにもらえない「ある時払い」。ひどい時には、休みなしで一カ月働いた対価が数万円、なんてときもあったそうです。家計を支えたのはフルタイムのパートタイムで働いていた母ですが、それでも月収10~20万が関の山。もちろん家計は火の車で、経済的な理由から、大学の学費は自腹が確定。奨学金をフルに借りれば私立進学も可能でしたが、社会人1年目から500万以上の借金なんて背負いたくありません。そのため、進学先は「家から通える範囲の国立」に絞られました。

東大を目指したのは、単純にそれしか選択肢がなかったから

 東京の東側には「ちょうどいい国立」がありません。

 東京大学があるだけで、それ以外の大学は選択肢には入りませんでした。お茶の水女子大学は女子大ですし、東京都立大学や一橋大学は西側であまりにも遠すぎる。

 必然的に、私の進学先は東大一本に絞られました。「高卒就職or東大進学」のまさに背水の陣ただ、当時の私の偏差値は進研模試で58程度でしたから、逃げ道がなかったほうが良い方向に働いた部分もあります。

 私が通っていた学校は、中学受験の滑り止めで入った中高一貫校の共栄学園という私立校。ここは、東大進学者が皆無で、私を除いて歴代に2人しかいません。私立校に通えたのは、私が特待生待遇を受けていたからです。成績優秀と認められると、学費や施設費など諸々の支払いが免除される仕組みが、私を救いました。ただ、当時の私は勉強の目標がなく、ずっと部活漬けの生活を送っていたので、特待生を維持できる程度の勉強しかしていません。そして、私にとってそれは、「定期テスト前日の2時間程度の復習」のみで十分足りるものでした。

 そのため、中学1年生から高校3年生の6月に部活を引退するまで、自宅学習時間はゼロ。小テストの直前の休み時間に範囲を見直すことなどはありましたが、私は結局高校を卒業するまで、一度も自宅の学習机に向かったことはありませんでした。それでも常に学年5位以内、模試は毎回1位。評定平均も8.5を割ったことはなく、勉強そっちのけで学生生活を謳歌することができました。

何が一番大変だったか

 そこから東大受験となったのですから、大変です。とりあえずで高3の夏に受けた東大冠模試は、数学で80点中3点を取るなど壊滅的な不出来に。もちろんE判定で、現役での東大合格は絶望的でした。

 それでもどうせ受験するならお金を稼げる大学に行きたかったので、受験勉強を開始。まずは各教科の基礎を固め治すところから始めました。英語は文法と精読を、数学は『青チャート』による公式を、国語は古典文法を、それぞれ夏休みの間に取り組みます。もちろん勉強なんてめんどくさかったのですが、「やらないと人生詰み」だと思っていたのですから、やらない道はありません。退屈な文法は無心で3周回して定着させ、数学や英語精読など思考が問われる科目では、3分考えてわからなかったら先生に聞く手法を取りました。「自分の中に存在しない考え方」の閃きを待つよりも、既にその考え方を知っている人に教えてもらってインストールしたほうが、早く済むからです。

とにかく時間がない

 当時の私には、とにかく時間がありませんでした。何よりも、時間が最上の価値を持っていて、どんな手段を使ってでも、少ない時間で最大の成果を得る方法を常に探していた。この考え方が、結果的に「わからなかったら人に聞く」ことへの抵抗感を減らし、また「自分がわかっているか否か」をメタ的に認知させました。

 当時は平日4~5時間、学校のない日は10~12時間くらい勉強したでしょう。ただ、その年の10月になってから、状況が一変します。母の乳がんが見つかったのです。折しも、父が、経営難に陥った勤め先を見限って退職し、独立の準備を始めようとした、ちょうどその瞬間のことでした。

受験期に、母親ががんに……

 父は日銭を稼ぎながらビジネスを立ち上げるために東西を奔走。母はがんの検査や手術のために入院。祖父母も体調が芳しくなく、また遠方住まいなので頼れない。となれば、家事や母の付き添いができるのは、私しかいません。そのため、受験生ながら毎日ご飯を作ったり、洗濯や掃除をしたりと家を守る仕事をこなしました。もちろん、勉強時間は減ります。

 結果として、その年の受験は落ちました。東大だけではなく、明治、早稲田、慶應まで受けて、全落ち。ただ、夏は3点だった数学が本番では40点近くを取れるなど、たった半年でかなり成長できた実感もあった。箸にも棒にもかからないところから、不合格者ランクC(東大志望者で上から300番以内)にいけたのですから、「あと1年あればいける」と確信しました。そこで、父に頼んだところ、借金をして私の受験費用を捻出してくれました。一年前は想像だにしなかった、浪人生活が始まります。

週3フルタイムバイトの日々

 浪人中は、甘えてばかりいられないので、勉強はもちろん、週3日フルタイムのアルバイトをこなしました。当時の私は「東大は国立大学トップで学費も安いんだから、苦学生も多いだろう。それなら、アルバイトくらい当たり前だ」と考えていましたが、どうやら実際の東大生たちはそんなことが考えられないようでした。さらに、母の闘病はまだ続いており、たった500メートルの道のりを行くのに1時間もかかってしまう母の付き添いで、片道に数時間もかけて、毎週病院への送り迎えをしていました。使うのはもちろん公共交通機関。車なんて持っていませんでしたし、お金がないので、タクシーも使えなかったのです。

悪いことばかりではなかった?

 ただ、悪いことだけではありません。確かにアルバイトや看病は私の時間を削りましたが、「勉強ばかりしている人たちと戦うのだから、少しでも効率の良い方法で」と、私の思考を常に追い立ててくれました。何も考えずに机に向かっているだけの人とは、明らかに一線を画したレベルへ私を押し上げてくれた。たまに、「勉強ができないから部活をやめる」なんて人もいますが、大変もったいないように感じます。「部活を両立するためにはどうすればいい?」を考えて、脳みそを鍛える機会を、自ら手放しているからです。

 「時間がない」と嘆きたくなる気持ちはわかります。ただ、それは全人類共通です。考えるべきは、「同じ時間を生きた同世代の学生でも、同じ大学を志望して、受かる人と落ちる人がいる」事実。これを「才能の差」と一言で片づけるのは簡単で、諦めもつきますが、そんなことをいくらやっても、幸せにはつながりません。むしろ、「アイツにできて、俺にできないはずがない」と、差を生み出す根源を探る方が、自分のレベルアップにもつながって、より幸せな生活に近づけるのではないでしょうか。

 私の主観では、ほとんどの勉強を1年目に終えていたので、浪人時は十分すぎるほど長い準備期間をもらえて、合格できないほうがおかしいくらいでした。

 結果は、東大文科三類、早稲田文学部、文化構想学部、慶應文学部に合格することができました。

「決して自分は超人ではない」

 「進研模試60前後から1年半で東大合格」というと、超人じみたものを感じられるかもしれませんが、そうではありません。しっかり道を選んで、最速で最短を進めば、結果も最速で出てくる。そのためには、勉強はともかく、常に頭を働かせて、脳みその基礎トレーニングをしておく必要があります。「なんで?」「どうして?」と思った時や、「ああしたい」「こうしたい」と感じた時に、その感情をすぐに諦めず、ごみ箱に捨てず、解決するまでじっくり取り組み続けることが、今からでもできる勉強法です。大学という大きなチェックポイントを万全の態勢で通過するためにも、中学からでも、高1からでもよいので、脳みその準備だけはやっておくとよいと思います。