「どうしてもうちの子を東大に入れたい」「有名中学に入れれば、有名大学への進学は保証される」
これが保護者の皆さんの本音ではないのでしょうか?
しかし、そううまくはいかないのが現実です。 有名校に入れたからといって、誰もがその後うまくいくとは限りません。

 今回お話を伺ったナツ・ミートさんは、開業医で国会議員の父:伊東信久氏のもと、幼少期から徹底した教育投資を受け、灘中に合格。しかし、新天地での勉強はうまくいかず、あっという間に落ちこぼれに。東京大学を目指しながらも4度の浪人を経験し、現在は東京都立大学に通っており、youtube活動もされています。

 有名校に入っても、それだけでは報われない。
なぜ、成績が伸びなかったのか。進学校での“深海魚”のリアルに迫ります。

2歳から始まった英才教育

 ナツ・ミートさんの英才教育は2歳でスタートしました。幼稚園受験のために2つの塾に通い、見事に合格
「年長の頃の将来の夢は総理大臣でした。周りが遊んでいる時間にこそ、机に向かわなければいけないと考えていました。」と語ります。

 幼稚園合格後には、小学校受験のために、奨学社とくま教育センターという2つの塾にも通い多忙を極める毎日。片手で数えられる年のうちから熱心に勉学に打ち込むことになった裏には、開業医である父の「いつか医者になってほしい」という願いがありました。

中学受験で灘中学に合格

 小学校受験も成功し、私立の追手門学院小学校に進学。低学年のうちから奨学社での算数・国語を続け、小学校4年生からは有名進学塾の希学園に通います。両親が1時間単位での勉強予定を作ったり、家庭教師や隙間時間の勉強を徹底したりと、完全に管理された環境で勉強に集中しました。

「自分自身のやる気もあったし、それをサポートしてくれる塾や親の体制も大きかったです。」

 成績の面では、希学園の4,5年生では最上位のNPクラスに在籍し、全国模試で2位をとるほどでした。6年生では思考力が求められる問題が増え、灘コース内での成績は落ちてしまいます。11回あった冠模試のうち、合格水準に達したのは3回。しかし、実際の入試では、幸運にも問題が簡単な年であり、灘中学に最低点で合格できたそうです。

親の管理から解き放たれた中高時代

 ついに灘中学に入学します。
「入学当初は東大理IIIにいきたいと思っていました。スタートダッシュが大事だということで、最初のテストにはしっかり勉強していきました。」

 しかし、最初の定期テストでは180人中150番台。その後も中学時代はほぼ同じような成績が続きます。
「成績は正直、よくなかったです」
そう振り返る彼ですが、勉強時間だけを見れば“サボっていた”とは言い切れません。平日は1日1時間、試験前は4~5時間ほど机に向かっていました。ただ、ついスマホを見てしまったりと、あまり集中はできませんでした。

 また、小学校時代とは状況が異なり、勉強の方法が分かりません。
「昔は塾が『この教材のこのページをやる』、親が『今日はこの範囲をやる』など細かく管理してくれていたので、自分で勉強の進捗を管理することはなかったんです。」
「だから『授業の板書をとって、それを元に勉強する』ことは初めてで、どうすればいいか全くわかりませんでした。」

 さらに、当時の心境についても語ってくれました。
「中学時代は順位を上げたいとずっと思っていました。でも、本気を出せば成績は上がると思っていたし、周りの成績が悪い友達も同じような感じでした。」

このように、成績に閉塞感を感じつつも、希望的観測を続けた中学生活だったそうです。

周囲と差がついた高校時代

高校入学後も勉強方法を模索

 高校に進学し、塾に通い始める同級生が増えたことに刺激を受け、東進の自習室へ通うようになります。
そこでようやく、「自分は、監視されていないと勉強できないタイプなんだ」と気づきます。
高校2年生では、勉強時間を増やしましたが、なかなか集中できません。
「1日2時間半は机に向かうようになりました。でも、ずっと勉強をしていたわけではなくて、スマートフォンを触ったり、別のことを考えてしまったりする時間も多かったです。だから実際に勉強していたのは、その半分くらいの時間だと思います」

 また、勉強方法も効率的ではありませんでした。あれこれと参考書に手を出し、地理や歴史などの入試で重視されない教科を優先してしまっていました。
なぜ変えられなかったのか――。「誰かにアドバイスを求める」という発想すらなく、ひたすら試行錯誤していたと振り返ります。

 さらに、灘ならではの苦悩もありました。灘の授業レベルは高く、高校3年生では東大受験に向けた授業がされます。もはやナツ・ミートさんのレベルに合った授業ではありませんでした。
「数学は自分がやるべきレベルを超えているのに、再試や課題の対応をしなければならない。あまり意味がないと感じていました。」

自分だけ置いていかれる焦りと卑屈さ

 進まない勉強とは裏腹に、焦りは次第に強くなっていきます。かつて同じような成績だった同級生たちが、塾で力をつけ、模試で上位に食い込んでいく一方で、自分だけが置いていかれる感覚
さらに、高校3年になると、その焦燥感はやがて羞恥心に変わっていきます。「この成績で東大を目指しているのは恥ずかしい」と感じた際には、模試の順位表を友人に見られないように食べて“証拠隠滅”を図るという、極端な行動に出てしまったこともあったそうです。

「周りは『灘に受かったんだし、浪人したら東大に受かる』と信じてくれるんです。でも、自分で卑屈になってしまっていたんです。」と語ります。

このように卑屈になる一方で、中学時代と同様、心の底では「まだ自分は本気を出していない」「灘にも入れたし、本気を出せば東大に入れるはず」と思っていました。

結果として、迎えた東大入試本番では、約100点差で不合格となりました。

浪人してもなお、本気を出せない

 高校卒業後、浪人生活に入ります。環境を変えようと、1浪目は上京して予備校に通うことを決めました。授業には真面目に出席していましたが、それ以外の時間で机に向かうのは1日3時間十分に勉強できませんでした
「授業が始まるのが午後なんです。だから、授業後に勉強しても、あまり時間が取れませんでした。しかも、予備校の休憩室でグダグタしてる時間も長かったです。」
このように、思うように集中できず、結果はまたしても約100点差での不合格でした。

 2浪目には予備校を変え、心機一転を図ります。しかし、生活習慣は次第に乱れ、勉強時間もたったの1日1時間しか取れませんでした。
「深夜にスマートフォンを触ってしまい、翌日起きるのが遅くなってしまう。それで勉強時間がうまく取れなかったんです。」
結果は、またもや約100点差で東大に不合格でした。こうして、2度の浪人生活は失敗に終わります。思うように勉強時間が確保できず、方法にも納得がいかない。そんな閉塞感の中でも、「そうは言っても地頭はいいし、本気を出せば、きっといける」という希望的観測が残っていたといいます。

ついに、3浪目では勉強環境を大きく見直しました。スマートフォンの使用は1日1時間に制限。これまでになく真剣に、徹底して自分を追い込んだ1年でした。しかし、結果はまたしても100点差での不合格。どれだけ努力を重ねても、目標には届きませんでした。
ここまで勉強してもダメだったなら、もう無理だと思いましたね。」
こうして、満足のいく努力をしても受からなかった経験から、東京大学への進学を諦めます。

四度の敗北を経て、ナツ・ミートさんはこう振り返ります。「自分は、何を・いつ・どうやるかを明確にされないと動けない。きっちりと管理される仕組みが必要だった。」

まとめ

 進学校に入っても、決して安心できるわけではありません。地頭が良いからといって慢心していないでしょうか?
中学受験を勝ち抜いた先にも、競争は続いていきます。むしろ、自由度の高い環境であればあるほど、自主性と自己管理の力が強く求められます
6年間の受験戦争は、合格した瞬間に終わるのではなく、むしろそこからが本当の勝負の始まりなのだということを、忘れてはならないでしょう。