はじめに

「東京は学生のうちが一番楽しいよ」
 かつて私はこう言われました。当時はよくわからないまま笑って過ごしていましたが、就職を控えた今になって、ようやく意味がわかってきました。税金をはじめとする固定費に対して、東京は最低限の生活レベルを維持するための固定費が、他の地方よりずば抜けて高いためです。中でも、一番人々が頭を悩ませるのは「家」でしょう。買うにしろ、借りるにしろ、地価が高騰しきった東京都内に城を建てることは、文字通り「夢」となりつつあります。

 「住む家が見つからない」との嘆きを頻繁に耳にする一方で、東京都内には、およそ90万戸もの空き家が存在すると言われています。つまり、物理的に「家がない」わけではありません。それなのに、なぜ多くの人が家を探し続けているのでしょうか。

 今回お話を伺ったのは、空き家を借り上げてリノベーションし、ファミリー向け賃貸として再生する取り組みを行っている、ルーヴィス株式会社 取締役の小井沼修司さん

 お話を伺っているうちに、供給数は足りているのに、価格も家賃も上昇を続ける──『住宅はあるのに、選択肢が少ない』という東京特有の矛盾が浮かび上がってきました。

家は余っているのに「選べない」

80平米以上の賃貸物件って、東京都内だと全体の5〜10%くらいしかないんですよ。ファミリーでゆとりを持って暮らせるサイズの物件は、探してもほとんど見つからない。これが、都心で家を探す多くの人が最初に直面する“現実”です。これは、日本の新築信仰が強すぎるからなんです。「『古い家=悪』という前提が強すぎて、市場に出てこない物件が山ほどある。少し手を加えれば住める空き家、実はたくさんあるんですよ。」

 小井沼さんが指摘するように、欧米では中古住宅の流通が7〜8割を占める一方、日本では新築住宅が7〜8割を占めています。日本では、空き家に対して「水回りの老朽化」や「安全性への不安」といった懸念を抱く人が多く、さらに「一生に一度の買い物」という前提から、新築を選びたいという心理が根強く残っているのでしょう。

 この「価値観の固定化」こそが、空き家を「選ばれない家」に変えてしまっているのです。

 実際に、小井沼さんのもとには世帯年収1500万円のご夫婦から「物件が見つからない」という相談が寄せられた経験もあります。

 依頼された住宅の条件は、『80平米以上かつ渋谷まで直通で行けるエリア』。もちろん目が飛び出るほど高価ですが、こういう依頼をされる方は、あまり金銭面にハードルを感じていないケースが多い。それでも、1年以上探して未だに家探しが継続している理由は、探している条件の家がそもそも存在しないからです。東京の家は高価ですが、それ以上にレアなんです」

 もちろん郊外に行けば、広くて手ごろな家はある。ですが、通勤時の利便性を犠牲にしなくてはならない。

 通勤時間が長ければ、それだけ家にいられる時間は減ります。ゆっくりできない広い家か、落ち着ける狭い家か。もはや、東京ですべての条件を満たしつつ満足に暮らしていくためには、資産以上に運が必要です。


「家が狭いから、二人目を諦めました」

 この「選べなさ」は、単なる住宅選びの話では終わりません。東京の過熱する住宅事情は、不動産の領域を飛び越えて人口問題にまで影響を及ぼします。2024年の日本の出生数は過去最低の68万6061人を記録し、出生率も1.15と歴史に類を見ない圧倒的低水準を記録しました。少子高齢化が叫ばれる中、行政による子育て支援も徐々に手厚くなりつつありますが、問題の本質はそこにはないというのです。


 「家の広さそのものよりも、将来的にどう広げていけるかを考えたときに、二人目をためらう要因になってしまうケースがあるようです。以前”家が狭いから、もう一人産む計画だったのを諦めた”と取材に答えている夫婦を見ました」

 家の広さが、「子どもを持てるかどうか」を判断する基準そのものになっている現状があります。国土交通省が発表した居住面積水準によると、4人家族が豊かな生活を送るには95平方メートル、最低限の生活でも50平方メートルが必要とされています(国土交通省資料より)。

 これは単なる住宅の問題にとどまらず、日本社会が抱える少子化という構造的な課題と深く結びついているといえます。

「住める家がない」ことが、「産める未来が見えない」ことへ直結している。
これは単なる不動産事情ではなく、日本の未来を縮小させていく構造的矛盾の証左と言えるでしょう。もはや東京は、“暮らす都市”ではなくなりつつあるのかもしれません。


それでも、希望はある。選び直す人たちの動き

 では、打開策はないのでしょうか。小井沼さんは「新築にこだわらず、せっかく余っている空き家を活用する」ことに活路を見出します。

 実はいま、都内では空前のリノベブーム。リノベーションされた戸建てのカリアゲ賃貸は、マンションよりも早く埋まるケースが相次ぎ、1〜2週間以内に入居者が決まることも珍しくありません。それは、都内で家族で暮らせる戸建てが圧倒的に不足しているからです。

 小井沼さんが取締役を務めるルーヴィス株式会社でもリノベーション事業に力を入れており、これまでに100件以上の空き家を借り上げ、ファミリー向け住宅として再生してきました。

「1週間で申し込みが入ることも多く、需要の高さを実感しています。”新築じゃなくてもいい”“自分らしく住みたい”という若い世代も少しずつ増えています。空き家をDIY感覚で楽しむ人も出てきました。いたずらに“古い家はダメ”と決めつけるのではなく、リノベによって、選ぶ物件の候補を広げれば、『住みたい家』が見つかる確率も大幅にアップします。リノベーションは、住宅問題に対するひとつの希望となります」

カリアゲ物件の事例

クレジット表記:中村晃

まとめ

「家は一生に一度の買い物」と言われます。一度購入すると、地に足の着いた生活を余儀なくされる。居住地域を地元として根ざす覚悟が問われました。その分だけ、購入時には多大なプレッシャーがかかりますし、時には正解のない迷路に入り込んでしまうこともあります。

 ですが、小井沼さんは「一生に一度」に対して異議を唱えます。

 「若いうちに都内に住み、ライフステージが上がるにつれて郊外に出ていく新しい生き方こそ、今の時代に合っているように感じます。今はむしろ、ライフステージに合わせて“変えられる家”を選ぶ自由こそが、人生の幸福に直結しているのではないでしょうか」

 家族の未来を閉ざすのは、住宅ローンではなく旧態依然とした不動産に対する考え方なのかもしれません。「家の購入=終の棲家の確定」ではなく、もっと柔軟に生き方や住む場所を変えていく柔軟性こそが、これからの時代で求められる最大の能力なのではないでしょうか。