「インドの受験戦争は、今や世界で一番加熱化している」――そう語るのは、元ベネッセインド取締役の松本陽氏です。インドトップ大学のIIT(インド工科大)の卒業生たちは平均初任給が約2000万円を記録し、インドの一般的な大学卒の初任給(約50万円)とは比較にならない水準となっています。一方でインドの高校生の間では、受験の失敗や成績の不振によって自殺してしまうケースが非常に多く、2021年には13000人以上の学生が自殺したと報告されています。一体インドでは今、何が起こっているのでしょうか。今回は、インドトップ大学のIITの知られざる就活事情についてお話ししたいと思います。
IIT卒の異常な扱い
前回の記事で、インドの受験戦争がいかに過熱になっているかについて語りました。インドの若年層人口(0〜19歳)は約5億人。これは日本の総人口の約4倍、アメリカの全人口の約1.5倍に相当します。この膨大な若者たちが、限られた教育機会を求めて競争を繰り広げており、カンニングや受験を苦にした自殺が問題になっている他、『ダミースクール』も存在しています。
では、そんな受験戦争を勝ち抜いた先では、どのようなことが待っているのでしょうか?今回は、「IITの卒業生の就活事情」についてお話ししたいと思います。
インドのトップ大学は喉から手が出るほど採用したい
まずみなさんは、インドのトップ大学の学生がどのような扱いを受けているか知っていますか?
インドの新卒採用市場(厳密には新卒に相当する言葉は存在しませんが)、特にトップ校の採用の仕組みは、日本とは根本的に異なっています。日本では学生が企業に足を運び、何度もの面接を経て採用が決まりますが、インドでは逆に企業が学生のもとに集まってきます。各大学で開催される「キャリアデー」には、世界中から企業の採用担当者が集結し、学生たちはまるでプロスポーツ選手のようにさまざまな企業からのスカウトをされていきます。その中にはもちろん、グーグルやマイクロソフト・アマゾンなどの外資系企業もいます。そんな世界の名だたる大企業から、インドの大学生たちは熱烈なオファーをもらっているのです。
「今日は7社と面接しました。でもまだ決められません。来週また10社くらいと会う予定です」
私が以前、インド工科大のハイデラバードキャンパスで出会った4年生の学生は、そう語ってくれました。日本の就活生からすると信じられない光景ですね。日本のトップ大学である東大の学生であっても、こんなことはあり得ません。しかし、インドのトップ校ではこれが当たり前の光景です。
2023年のインド工科大ボンベイのキャリアデーでは、実に450社以上の企業が参加しました。学生たちは1日で最大10社とのミーティングをこなし、中には当日のうちに内定を得る学生も少なくありません。「朝一番でグーグルと面接、午後にマイクロソフトとアマゾン、夕方にはメタ」といったスケジュールも珍しくないのです。
そして、提示される報酬や条件も、文字通り「桁違い」のものが多いです。例えば、2022年にインド工科大の学生に対して年俸約8000万円が提示され、話題となりました。これは単なる例外的なケースではありません。例えば同年のインド工科大デリーでは、平均初任給が約2000万円を記録したと発表しており、国内企業からの最高オファーも2500万円を超えています。日本人の感覚からいっても高いと感じるでしょうが、インドの一般的な大学卒の初任給が約50万円であることを考えると、本当に桁違いで、比較にならない好条件だと言えます。
報酬は、年収だけではありません。さまざまな特典もあります。例えば、BMWのような高級車や、リモート会議用の机、最高級のパソコンやマウスなど最新のIT機器、カタールW杯のチケットなどスポーツ観戦チケットなど、特典を付けるのでうちの企業に入ってくれ!とお願いをされるのが通例です。
あるインド工科大出身者は「入社時に提示された特典リストを見て、自分の目を疑いました。高級車は必要ないと伝えたところ、『じゃあその代わりに毎年の休暇中に専用機で旅行するのはどうだい?』と提案されました」と語っていました。
学生側も条件をみる
学生も学生で、入社日ギリギリまでより条件のいいところを見極めていきます。そのため、内定を得ていても、入社日前日に「やっぱりこっちの企業にします」と変えることもザラに起こります。ある米系IT企業の採用担当者は、「内定承諾から入社までの期間を極力短くするよう心がけています。2週間空けただけで、より好条件を提示した他社に人材を取られてしまうことがあるからです」と説明します。それだけ、インドのトップ大学を出た学生は、企業から喉から手が出るほど欲しい存在になっています。
今やグーグルをはじめとするアメリカのIT企業のエンジニアの多くは、インド人が占めていると言われています。GAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフト)などのアメリカの大手テクノロジー企業では、インドでITに対する教育を学んだインド人エンジニアがたくさん雇われていると言われています。オフィシャルなデータはありませんが、GAFAM企業全体で、インド出身者はエンジニアや技術者層の10~20%程度を占めていると推定されています。その中でも、エンジニアリング部門の従事者は本当に多く、マイクロソフトの技術部門におけるインド出身者の割合は約20%に達すると推定されています。
また、H-1Bビザ(アメリカで働く外国人技術者向けのビザ)データによると、アメリカのIT業界におけるインド出身者の割合は非常に高いとされ、2022年時点で全H-1Bビザ申請者の約75%がインド出身で、これはアメリカで働く外国人技術者の大部分がインド出身であることを示しています。
こうした状況もあって、インドのトップ大学の学生の就活は「売り手市場」なのです。人気が高いのはやはりGAFAMあたりですが、インド国内の企業では通信大手のバーティ・エアテルなども選ばれています。
これまでの記事でもご紹介した通り、インドの教育格差はかなり大きいと言わざるを得ません。受験自体は誰でも出願することができますし、点数さえとってしまえば、平等に点数で評価されることができますが、お金を持っている方であれば、ある意味、受験に合格しやすい環境を手に入れやすいし、一方、裕福でない方であれば、そもそも受験をするステージに立つこともままならない、という状況です。
しかしそれでもやはり、ペーパーテストは一定の平等性が担保される仕組みとして機能していることは事実であり、どんな状況からでも勉強しさえすれば経済格差や差別を乗り越えられると、多くのインド人は本気で勉強に取り組んでいます。10代が命を削って勉強して切磋琢磨しているからこそ、インド人は優秀な人材として世界に羽ばたいていくのです。
意外に思われる方もおられるかもしれませんが、インドの大学生の男女の割合を見ると、2020年のデータによると、男性が約60%、女性が約40%となっています。つまり、女性も大学で学んでいますし、名門大学に行っている人であれば、女性であってもほぼ差別されずに仕事に就くことも可能になっています。受験競争においては、男女もカーストも貧富の差もなく、能力だけで見てもらえるからこそ、このようになっているのでしょう。日本の理系の大学の男女比が8:2であることを考えると、インドのこの数字は、ある側面で見れば、平等に近いと言ってもよいのかもしれません。やや極論にはなってしましますが、受験で頑張ることで男女もカーストも関係なく生きられるという夢があるから、インド人はがむしゃらに頑張れるという側面もあるのではないでしょうか。
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