「人前に立つのが本当に苦手だったんです」。
そう語るのは、現在大学生であり、舞台俳優・ダンサーとして活躍する古賀雄大さん(21)です。

『ケイン&アベル』『ナビレラ-それでも蝶は舞う-』『THE BOY FROM OZ』『ワールドトリガー the Stage』など、ミュージカルやストレートプレイ、エンターテインメントショーなど年間に3〜4本の舞台に立ち続ける古賀さんの姿は堂々としています。けれど、かつての彼はスキップすらできない運動音痴で、人前に出ることを極度に避けるシャイな少年でした。

では、なぜ彼はそんな自分を乗り越え、表現の世界で生きるようになったのでしょうか。
その出発点には、ある“習い事”との出会いがありました。

英語で歌を学ぶ教室との出会いが、すべての始まり

 古賀さんが最初に通い始めた習い事は、「英語で歌おう・学ぼう」という英語教室でした。幼稚園の頃にインターナショナルスクールに通っていた経験を活かし、小学1年生から再び英語に親しめるよう、ご両親が勧めてくれたそうです

 当初は、英語の歌を楽しく学ぶ場所でした。しかし3年後、担当の先生が退任し、新たに舞台俳優として一線に立っていた方が赴任してきました。その先生が授業にタップやジャズダンスを取り入れたことで、古賀さんの人生は大きく変わっていきます。

 「最初はダンスに興味があったわけじゃないんです。むしろ、苦手でしたから。小学生の頃、スキップすらできなかったんですよ(笑)」と、古賀さんは話してくれました。

 そんなある日、その先生から劇団四季の『サウンド・オブ・ミュージック』のオーディションを勧められたそうです。歌が得意だった古賀さんは、「歌があるから」と軽い気持ちで挑戦。そして、まさかの合格を果たしました。

ステージの上で見つけた“もうひとりの自分”

 初めての大舞台は、小学生だった彼にとってまさに異世界でした。ですが、そのステージで、彼は不思議な感覚を抱きます。

「舞台って、意外と“見られている感じ”がないんですよ。照明が強くて客席は真っ暗。観客の視線が直接届かないから、安心できるんです」

 内向的だった彼にとって、ステージはむしろ“解放の場”だったといいます。舞台に立つたびに、「人前にいるのに、人前じゃない」不思議な感覚を抱きました。「役」という“仮面”をかぶることで、普段の自分では出せない感情や動きも、自然と表現できるようになっていったそうです。

「普段の自分が、ステージのように心情をさらけ出していたら、多分引かれますよ(笑)。でも役なら許されるし、むしろ評価される。「役」という“仮面”に守られている安心感があって、逆に自分をさらけ出せるんです」と、いつもは控えめで謙虚な彼は語ってくれました。

 内気だった少年が、ステージの上では生き生きと自分を表現できるようになった――その体験こそが、彼を表現の世界へと惹き込んでいきました。

 舞台の上で見つけた“もうひとりの自分”は、やがて彼の「本当の自分」になりました。内気で運動も苦手だった少年は今、自らの矛盾をしなやかに抱えながら、舞台という居場所で堂々と光を放ち続けています。

苦手だったダンスが“武器”になるまで

 当初、彼の強みは「歌」でした。けれど、声変わりの時期を迎え、思うように歌えなくなってしまいます。そんなとき、自然と彼の中で存在感を増していったのが「ダンス」でした。

 もちろん、最初から得意だったわけではありません。インタビュー中、彼は何度も「運動音痴だった」と語り、「25メートル泳げるようになったのも、小学6年生のとき。それも無理やりだった。学校のマラソンも毎回ワースト10位以内だった。」と、笑いながら語ってくれました。

 彼にとって、身体を使った表現はまさに挑戦の連続。それでも、「できなかった自分」を知っているからこそ、細かなところまで丁寧に積み重ねる姿勢が育まれていきました。

「苦手だからこそ、妥協できないんです。踊っていると、今でも少し苦手意識はあります。でも、その意識があるからこそ、雑にはできない。だからこそ、いつか胸を張って得意ですと言えるように成長しなければいけないと思っています」と、普段は控えめな彼が見せた、真剣なまなざしがとても印象に残りました。

 舞台俳優を目指してきた彼にとって、苦手なダンスは避けて通れないものでした。だからこそ、俳優としてさらなる高みを目指すために、ダンスも歌も演技も、すべてに全力で向き合ってきました。その地道な積み重ねが実を結び、ダンサーとしても舞台に立つようになり、ついには約2000人規模の『BROADWAY MUSICAL LIVE 2020』にも出演を果たしました。

習い事漬けの生活の“逃げ場”が学校だった

 小学生の頃から舞台の仕事が増え、後にはコンビニのCMにも出演するなど、活動の幅を広げていきました。中高時代にはスケジュールが過密を極め、舞台稽古のために新幹線で遠方との行き来を頻繁にこなしながら、学校にも通っていたそうです。ときには稽古を終えた足で、そのまま新幹線に乗って翌朝の授業に間に合うように登校することもあったといいます。

 以下は、彼の中学時代のスケジュールです。

【平日】(中学生)

  • 6:00 起床・準備・朝食
  • 7:00 電車で登校
  • 8:00 学校到着
  • 8:30〜16:00 授業
  • 16:30 電車で帰宅
  • 17:15 最寄駅着
  • 18:00〜21:15 ダンス(曜日によって内容が異なる)
  • 22:00〜23:00 体操
  • 23:30 食事・入浴
  • 0:30〜1:00 就寝

《ダンス・レッスン内容(曜日別)》

  • 月曜:歌(1h)
  • 火曜:塾(1〜2h)
  • 水曜:タップ(2〜3h)
  • 木曜:ピアノ(1h)※中学前半のみ
  • 金曜:バレエ(2〜3h)

【土曜日】

  • 8:00 起床・準備・朝食
  • 9:00 電車
  • 10:00 最寄駅着
  • 10:30〜12:00 バレエ
  • 12:30 電車で帰宅
  • 14:00 最寄駅着
  • 15:00〜16:00 準備
  • 17:00〜22:00 ダンス・歌・芝居レッスン
  • 23:00〜1:00 就寝・食事・入浴

 そんなハードで、習い事に溢れた生活のなかで、彼にとっての「逃げ場」となっていたのが学校でした。

 「毎日習い事で時間が埋まっていたから、友達と遊ぶ余裕もなかった。だから、学校にいる時間だけが自由に感じられたんです」

 すでにスケジュールがぎっしり詰まっていたにもかかわらず、あえて生徒会や部活動にも積極的に参加していたのは、「舞台から少し離れる口実」としての意味もあったそうです。表面上は活動的な生徒に見えたものの、その裏には「休みたい」という本音が隠れていました。

「ピアノや空手は、両立が難しくなってやめました。でも、舞台俳優になるために不可欠なダンス・歌・演技だけは、どうしても続けたかったんです。舞台と学校、どちらも手放さずにやってこられたのは、学校行事を「息抜き」にして、うまくバランスを取れていたからだと思います」

 キャパオーバーになりそうな気持ちと、それでも続けたい気持ち。そのあいだで揺れ動きながらも、古賀さんは「逃げ道を持ちながら続ける」ことを選びました。学校と舞台、どちらか一方に偏ることなく、あえて揺れながら進むという選択。それこそが、彼にとって長く表現を続けていくための確かな土台となっていました。

矛盾を抱えて、矛盾のまま進むということ


「踊るのは得意。でも、苦手意識もある」
「気分屋だけど、ちゃんとやるべきことはやってきた」
「人前は苦手。でも、舞台の上では自然体でいられる」

  古賀さんの言葉には、いくつもの“矛盾”が含まれています。けれど彼は、それらを無理に整理したり、克服しようとはしていません。 矛盾を抱えたまま歩みを止めずに進んできたからこそ、今、俳優として確かな存在感を放っています。歌・ダンス・演技、それぞれに妥協することなくプロ意識を持って向き合い、自分のスタイルでステージに立ち続けてきました。 彼は「矛盾」を排除するのではなく、自分らしさの一部として受け入れ、その中でバランスを見つけ出しています。

「苦手だったから努力できた」「逃げ道があったから続けられた」——
一見ネガティブに見えるような要素こそが、彼にとっては最大の推進力でした。

 負けず嫌いな古賀さんにとって、舞台俳優として活躍したいという強い思いがあったからこそ、たとえ気分屋であっても、そして苦手意識のあったダンスであっても、舞台に欠かせないその技術に真剣に向き合うことができたのでしょう。やめたいと思った瞬間があっても、自分に負けたくないという気持ち、そして素の自分をさらけ出せる舞台に、俳優として立ち続けたいという思いが、彼を前へと動かし続けました。多いときには、ダンスだけで週に15時間ものレッスンをこなしていたといいます。

 古賀さんは、自分の中にある矛盾や違和感と丁寧に向き合いながら、「自分らしさ」の輪郭を少しずつ見つけていきました。そうして積み重ねてきた経験こそが、大学生活と舞台活動という二つの世界をしなやかに両立する、今の彼を確かに支えています。

 習い事は、ただ技術を身につける場ではありません。これまで気づかなかった自分と出会い、矛盾を抱えたまま歩み続けながら、人生の輪郭を少しずつ描いていく、かけがえのない場所なのかもしれません。