「指定校はズルい」。そんな言説がネットに表れていることをご存じでしょうか?
一般受験や総合型選抜では勉強や課外活動などを頑張る必要があるのに、指定校推薦の人は学校の成績や内申点だけ気にすればいい。なのに、必死で受験戦争を勝ち抜いた自分と同じ以上の結果を手にするのは、あまりにも不公平だ。「指定校叩き」を良しとする人々は未だに一定数生息しており、不毛な争いを繰り返しています。
しかし、本当に指定校は「ズル」なのでしょうか? 誰しもに一定開かれている道である以上、指定校狙いもまた「ズル」ではなく「戦略」であるはず。そして、限られた指定校推薦の枠を奪い合うために計画的な学生生活を送った人もまた、たくさんいたはずなのです。
「上智の指定校は、私がもらいます」
現在上智大学社会学科1年生の久保玲奈(くぼ・れな)さんは、高校一年生で上智大学の指定校推薦枠があると知ったその日から、2年半後の勝負の時へむけて、牙を研ぎ続けていました。まだ誰も進路を真剣に考えていなかった時期から、指定校推薦を「運」ではなく「戦略」でつかみ取るために。成功をつかみ取る戦略の立て方に迫ります。
「指定校」を知った瞬間、スイッチが入った
「うちの学校、上智の指定校があるんだよ」
高校1年の6月。島根県の地域みらい留学先で、先輩から何気なく聞いた一言。普通なら聞き流してしまいそうなチャンスを、久保さんは聞き逃しません。
「じゃあ、それ、私が取ります」——間髪入れずそう宣言した彼女に、迷いはありませんでした。
もちろん当時の彼女には、将来の夢すら定まっていません。上智で何をやるか、これから何を目標にするか……そんなことよりも先に、彼女は“ゴールテープ”を先に貼ったのです。
「当時はみんな進路のことなんて全然考えていなくて。でも、私はその場で“上智の指定校は私”って言っちゃったんです。
そのイメージを1年生のうちに植え付けたことが、大きな勝因だったと思います」
ライバルが生まれる前に、自分の存在を定着させる。
「上智=久保」という構図を、意識的に周囲へ刷り込んでいったのです。
条件を「先回り」して満たす——英検と評定への執念
もちろん、指定校といえども甘くはありません。彼女の母校の場合、出願条件として「評定平均4.3以上」「英検2級以上」が必須でした。そこで、彼女がとった行動は、「上智の推薦枠」をゴールとしたロードマップの逆算。いつまでに英検を取って、評定をどのように稼ぐかを、あるべき目標値から推測して、「具体的にやるべきこと」まで落とし込んだのです。
「もう1年生の冬には英検を取り切りました。年3回受験チャンスがあったので、全部受けて、結果的に3回目で合格しました」
英語力は入試の“必須パーツ”。早期に片付けたことで、残りの2年間を「成績管理と課外活動」に集中できたそう。
「とにかく成績は最優先でした。定期テストも上位をキープして、提出物も丁寧に仕上げて……。『上智狙いの久保=成績がいい優等生』と周囲からも先生からも見えるように、様々な面から私自身をプロデュースしました」
テスト前は黙々と勉強し、提出物忘れなど一切なく、期限も期日も守りつつ、最大限のクオリティを追求する。彼女にとっての努力とは、積み重ね自体ではなく、「どのように積み重ねるか設計すること」自体でした。
「英検」「評定」「課外活動」のすべてをおろそかにしないために、どの順番で取得するかを1年の段階で設計していたのです。
「フィリピン留学」——自分で稼いで、自分で行った
指定校推薦の実績づくりとして、語学留学にも挑戦しました。
留学先に選んだのは、幼少期に生まれたフィリピン。「母国の地を自分の足で踏みたい」との思いから、セブ島を選びました。驚くべきは、その準備のすべてを自力で行ったこと。
「エージェントも口コミで自分で探して、費用もアルバイトで貯めました。放課後は書店で、週末はホテルの清掃員として働く日々。週5~6日はバイト先で過ごして、特に土日は8時間フルタイムで勤務し続けました。留学費用の数十万に届くまで4か月、なかなかハードな生活でしたが、やり遂げました。
普通、留学費用とかは親に頼りますよね。でも私は、どうしても自分の力で行きたかったんです。親には“やりたいならやればいい”と言われたので、資金調達から留学エージェントの手配まで、全部自分で計画しました。不安もありましたが、それ以上にワクワクが勝ちました」
とはいえ、留学を目論む彼女の前に立ちふさがる壁は、金銭だけではありません。留学のためには、部活を休む必要があったのです。
「部活程度と思われるかもしれませんが、部員たちにとっては、なかなか大きな問題でした。当時、私が所属していた女子バスケットボール部では、経験者が少なく、私がチームの司令塔的なポジションを担っていたんです。私自身も、自分が抜けたら崩れるって分かっていたので、本当に悩みました」
顧問との面談を重ね、チームメイトとも何度も話し合いました。最終的には「久保なら留学を譲らないだろうし、きっと目標の上智大学へ向けて努力し続けてくれるだろう」という信頼で背中を押されたといいます。
「1年間、一緒に生活してきた仲間だったので、私の性格も分かってくれていて。“行ってきなよ”って言ってくれたのが嬉しかったです。私は高1から上智大学の推薦枠を狙い続けて、ずっと努力を怠りませんでした。
『いつも目標に向かって努力し続ける人』だと周囲の方から思われるように振る舞っていたからこそ、この時も理解してもらえたんだと思います。中途半端なことをしてたら、絶対送り出してもらえなかったでしょうから」
いくつもの壁を乗り越えてたどり着いた留学先。朧気な思い出をもとに踏んだ母国の土。これ自体も喜ばしいことでしたが、彼女が得られた最大の経験は「なんでもやってみれば、なんとかなる」と確信を持って行動できるようになったことでした。
「ちゃんと準備すれば、大抵のことは一人で乗り越えられる」と経験をもって証明できたからこそ、どんな困難に対しても立ち向かっていけるようになったそう。このフィリピン留学を契機として、一人でバックパッカーとして旅を楽しむようになったといいます。
すべては“1年の宣言”から始まった
こうして振り返ると、上智大学合格までの3年間は、すべてが一本の線でつながっています。
英検、評定、留学、探究、部活——それぞれは別の努力のようでいて、どれも“指定校を取るための設計図”の一部でした。
「ライバルがいない状態で動けたのが大きかったです。1年の時点で“上智は私”って口に出したから、周りも自然とそう思ってくれたのでしょう。もちろん不安もありましたが、なんとかなると自分を信じ続けました。そう信じ続けるために、一年生の間から推薦枠を勝ち取るための努力も続けていました」
1年生から3年間、明確な目的のもとで動き続けた久保さん。その姿勢は、指定校推薦を“偶然のチャンス”ではなく、“努力でつかむ戦略”に変えました。
いま、念願の上智大学生となった彼女は、毎日を幸せに過ごしています。
「宣言してよかったです。あの時“上智は私”って言ってなかったら、今ここにはいなかったでしょうから」
久保さんの物語は、「推薦=楽」という偏見を覆してくれました。彼女の行動の裏には、冷静な情報収集と、愚直な積み重ねがあると証明してくれた。“指定校を取る”とは、他人を出し抜くことではなく、誰よりも早く「未来の自分を信じて動くこと」。計画性をもって、不断の努力を続けた継続力と意志の固さこそが、彼女を栄光へ導いた最大の要因なのかもしれません。




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