「車のホイール数百種類を見分けた5歳児」

 今回は、愛知県出身で早稲田大学社会科学部出身の伊藤編集長にお話を伺いました。彼の最大の特徴は「幼少期からの驚異的なデータ収集能力」にあります。

 5歳で車のホイール数百種類を見分け、小学生時代には高校野球の都道府県別ランキングを作成、さらには洗剤成分の分析までしていたという伊藤編集長。また、アメリカに滞在した経験から「外の世界を知りたい」という好奇心が芽生え、出身のトヨタ経済圏という恵まれた環境を離れる決意に繋がりました。

 さらには中学時代は塾に通わず独学でトップクラスの成績をキープ。高校では「偏差値表」自体に興味を持ち、全国の名門校の成績を「トーナメント表」のように捉える独自の視点を持っていたといいます。地元では「名古屋大学からトヨタへ」という王道があるにもかかわらず、なぜ彼は東京の大学を志望したのか?大学合格までの半生に迫ります。

伊藤編集長の軌跡 ― 受験に捧げた情熱と努力

インタビュアー: まずは自己紹介をお願いします。

伊藤: 受験総合研究所「じゅそうけん」代表の伊藤です。受験のことなら小学校受験から大学受験まで全網羅している受験マニアとして、学校選択の情報を提供する活動をSNSを中心に行っています。

インタビュアー: 受験情報は、小学校受験から大学受験まで全部いけるんですか?

伊藤: もう全部いけますね。最近はさらに広げたくて、海外大受験とか、就活情報をやってみています。要は選抜が好きなんです。

インタビュアー: 選抜として試験が好きなんですか?

伊藤: もうその選抜という仕組み。大好きなんです。

ルーツをたどると、もともと僕は高校野球オタクなんですよ。野球も、受験に近くて、データの打率とか出場校ランキングとか、ここが都道府県で強いとか、選抜に通ずる部分がありますよね。それで高校生ぐらいまでは、小学校の自由研究で高校野球の歴史についてとかやってるんですよ。

幼少期の家庭環境が育んだ独自の感性

インタビュアー: もうそのタイミングから!データを作っていたんですね。キッカケを覚えてらっしゃるんですか?

伊藤: 小学校4年生ぐらいからもともとソフトボールをやってました。父親も野球やってたんで、野球に触れる機会が多くて。家のテレビでも野球がよく流れてて、愛知県出身なので中日ドラゴンズの選手とか調べてました。その延長で高校野球を見て、「この都道府県のここが強いんだ」とか。

インタビュアー: それを自由研究として紙にまとめて、歴代優勝回数ランキングとか。すごいですね。

伊藤: 完全にデータ分析ですよね。だからまあ、突き詰めたら、もともとそういう素質はあったんだろうなと。

インタビュアー: 他にも何か調べていたものはありますか?

伊藤: 親が自動車メーカーの社員ということもあって、幼少期は車オタクでした。当時の僕のエピソードで記憶にあるのが、車のタイヤの中にホイールってありますよね、それを見ただけで車種を特定できたんです。

インタビュアー: マジですか?ホイールですよね?

伊藤: ホイールです。数百種類ぐらいあるんです、微妙に違うんですよ。それで特定できてたらしいですね。父親の同僚のエンジニアと一緒に話してました。

インタビュアー: それ何歳ぐらいの時ですか?

伊藤: 5歳ぐらいです。

インタビュアー: すごいですね。やっぱり情報を収集して記憶するのが好きなんですね。

伊藤: そうそう。もともとの性質として、ものを覚えて分類して分析して、アウトプットするみたいなのはすごく好きですね。

インタビュアー: 完全に今に通ずるものが、5歳ぐらいから始まってたんですね。他にも車以外で何かハマったものは?

伊藤: 洗剤にハマったこともあります。

インタビュアー: 洗剤?「ぜんざい」じゃなくて「洗剤」ですか?

伊藤: 洗剤です。アタックとか。洗剤の成分とかにハマってたらしいです。

インタビュアー: 洗剤にハマれるんですね...

伊藤: 母親と買い物に行って、母親がいつもと違う洗剤を買ったときに気づいたりして。だから僕の幼少期の分析対象は、車のホイールと洗剤ですね。

アメリカでの経験が照らす教育の多様性

インタビュアー: では生まれ育った教育環境についてもう少し詳しく伺えますか?

伊藤: 実は一回だけ小学校低学年の時に、父親の海外赴任でアメリカにいたことがあるんです。小1から小3までいました。現地校に行って、週一で日本人学校みたいなところで日本語を忘れないようにしてました。

世界を見る機会があったというのは、原体験として今もありますね。愛知ってすごく恵まれている、トヨタ経済圏なので、普通は外に出ようとは思わないんです。

でも僕は上京したし、いろいろ外の世界を知りたいというマインドになったのは、それもあると思います。

他にもアメリカでは、コミュニケーションの重要さを学んで。幼稚園の頃は一人でいるタイプでしたが、「人と仲良くなるのが大事だな」と学んだから、友達は多かったですね。

インタビュアー: 一回外に出ると強いですよね。

伊藤: しかも全然違う、海外ですからね。小学校の様子も全然違って、例えば机もないんですよ。今で言うアクティブラーニングみたいな感じで、授業中に立ち歩く子もいたりして。

でも日本に帰ってきたら、小3でみんな黙って机に座って授業を聞いていて。誰も立ち歩かない。すごいなと思いました。

中学・高校で挑んだ受験戦争の日々

インタビュアー: 日本に戻ってきて、中学受験はされたんでしたっけ?

伊藤: してないんです。実は小学校受験をするかという話はあったんですけど、僕の地域は愛知県の名古屋ですらない、トヨタのある三河地方なので、中学受験の文化がないんですよ。

国立の付属小学校・中学校に行って高校受験でトップ校行こうみたいな流れがありました。母親も愛知教育大学附属岡崎小学校を検討してたみたいですが、アメリカへの赴任が決まったので結局受験せず、公立の小学校に行きました。

勉強は結構得意で、クラスではできる3人には入ってたと思います。僕と塾に行っている子たちが上位でした。

インタビュアー: 伊藤さんは塾に行かなかったんですか?

伊藤: 中3まで塾なしです。厳密に言うと中3の半年間だけ夏期講習と模試を受けるためだけに行きました。基本的には自学自習と学校でした。

インタビュアー: なぜ塾に行かなかったんですか?

伊藤: 父親が中2からまた中国に単身赴任で不在になったんです。母親は勉強をあまりしてきた人じゃなくて、塾の重要性を説かれることもなく「好きにしたらいいんじゃない?点数取れてるし」と言われて。甘やかされてました。

独学と情報収集が切り開く突破の瞬間

伊藤: さすがに高校受験があと半年後に迫っていて、やばいと思って。僕が競っていたはずの上位層が勉強し始めたという話を聞いたり、遊びに誘ってた友達が「ごめん、今塾だから」と言い始めて。5月6月頃から実力テストの順位がじわじわ下がり始めて焦りました。

インタビュアー: その時の志望校は?

伊藤: 地元のトップクラスの公立高校に行きたかったんですけど、夏ぐらいで内申点が足りないことに気づきました。愛知県の高校入試は内申重視で、43あった上で当日9割取らないと分からないくらい。だから当日満点でも落ちると確定してしまって。

そこで愛知では珍しいんですが、内申点関係なく実力だけで受ける試験で私立を4校ほど受けました。

中国にいる父親にメールで相談して、「このままだと偏差値60ぐらいの公立高校に行って早慶国立は厳しくなる」という話をしたら、父親も同意してくれました。

最終的には県内の私立高校に的を絞って受験し、二番手の私立高校に進学しました

浪人という試練 ― 挫折と再起のリアルストーリー

インタビュアー: 高校生活はどうでしたか?

伊藤: 地方の私立高校あるあるで、部活や行事は最小限で、名古屋大に何人出るかという目標を掲げている雰囲気でした。7時間目とかまであって、模試をたくさん受けさせられました。そこで受験マニアとしての才能が開花した感じです。

偏差値表とか教室に貼ってあるじゃないですか。それが研究してきた甲子園に近く感じました。普通は自分の偏差値を見るだけですが、私はその表自体が面白いと思いました。序列が好きなんですよね。模試の成績優秀者の名前と学校が載ると、全国津々浦々の名門校が並んでいて、トーナメント表みたいだなと。「今年東大が一番多いのは開成なのか、麻布なのか」みたいな見方をしてました。

インタビュアー: それは勉強のモチベーションになったりもしたんですか?

伊藤: 全国何番にはなれないですけど、愛知県の名古屋大模試くらいの規模では頑張りたいというモチベはありました。高校2年生で一回載ったのが、すごい嬉しかったですね。

志望校は一橋大学でした。自分の進路は最初、名古屋大工学部に行って、そのままトヨタのエンジニアになろうと思っていたんです。でも高2からもっと上が目指せるかもしれないと思って、東京の大学に行こうかなと。

さらにより社会の方が好きで、理系は違うのかなと思いました。センター試験で社会が二科目あるのが重いと思って東大は無理だと思い、名古屋大と東大の間で探したら一橋大学になりました。

インタビュアー: 周囲からは何か言われましたか?

伊藤: 「なんで名古屋大にしないの?」とよく言われましたね。愛知の高校は名古屋大の数で競うところがあって、実績も欲しかったんでしょう。保守的な地域で「名古屋大でいいのに、わざわざ一橋や早慶に行くのはなぜ?」と先生や同級生に言われました。

インタビュアー: 受験結果はどうでしたか?

伊藤: 現役では厳しくて、もう一年頑張ろうということで、浪人したんです。

仲間との競い合いが磨いた自己実現の軌跡

インタビュアー: 浪人時代はどうでしたか?

伊藤: 辛さはありましたが、ゲーム感覚でやってました。Twitterの浪人界隈も見ていて、成績を開示する流れがあって楽しかったです。トーナメント表の上位の人たちがリアルに見えるというか。

予備校は、河合塾に行きました。人生で初めてちゃんとした集団授業を受けて、すごい衝撃でした。こんなことをみんながずっとやってたら、そりゃ受かるわと思いました。

インタビュアー: 何に感動したんですか?

伊藤: ノウハウが確立されていて、とてつもなく分かりやすかったです。ずっと自分で手探りでやってきたので、「これを何月までにやる」と示してくれるのは初めてで驚きました。

早稲田合格の決定的瞬間 ― 第一歩の輝き

インタビュアー: 二年目の受験結果は?

伊藤: 勉強の甲斐があって、2年目は早慶の学部に複数受かり、早稲田大学社会科学部に進学しました

インタビュアー: これでトヨタから抜け出して、早稲田のエリート街道に進むことになりましたね。

伊藤: そう思って上京したんですが、その半年後にまさかセンター試験の勉強を始めるとは思っていませんでしたね...

続きは後編でご覧ください。