近年、「本当のエリートは、東大ではなく海外大学に進学する。」というような噂を耳にしたことはないでしょうか?
実際、灘や開成といった超一流の日本トップレベルの進学校において、アメリカをはじめとする世界の超一流大学へ日本の若者を排出しようとする動きが強まっています。
例えば2025年度の開成高等学校の進学実績を見てみるとColumbia大学(世界大学ランキング(18位)、Duke大学(同ランキング27位)、Toronto大学(同ランキング21位)への進学者が1名ずついます。
参考:https://kaiseigakuen.jp/wp/wp-content/uploads/2025/05/shirnro2025_0514.pdf
ちなみにいずれの大学も、28位の東京大学よりも上位の学校です。
海外の大学入試制度は、日本で言えば推薦型の入試制度と近い、ということは最近では広く知られているかと思います。
このような入試形態に影響を受け、海外志向が強い人の中には日本の大学入試や教育の欠点をアメリカのものと比較しながら論じる人が多くいます。
しかし、本当にアメリカの教育は正しく、日本の教育は間違っているのでしょうか?
この記事では入試の平等性の観点から二つの教育制度を比較していきます。
アメリカの大学入試の欠点とは?
「海外大学と日本の大学、どっちの入試が難しいの?」
よく聞かれる質問ですが、これに対しては「わからない」というのが一番率直な回答だと思います。そもそもこの二つでは測っているもののベクトルが全く異なっているのです。
特にアメリカを中心とする海外大学の場合は学校の成績(GPA)、入試のエッセイ、課外活動を重要視する推薦型入試であり、日本のような入試テストという概念はあまり馴染みがありません。
人物像やその人が高校で成し遂げたことが評価の中心にあり、テストの点数により評価されるわけではないのです。
この点においてアメリカの入試形態はしばしば不平等だというように評価されがちです。
体験格差で差が生まれている
近年話題となっている「体験格差」という言葉をご存知でしょうか? 保護者の金銭的、地理的な事情から、子供が経験することのできる教育的体験の量に差が生じることを体験格差といいます。
アメリカの大学入試においてはこれが非常に顕著だと言えるでしょう。
いわゆるボランティア活動などが評価されがちですが、近年ではボランティア活動の修了書をお金を払って獲得するというようなプログラムすらあるのです。大学入試を目的にお金を払ってボランティアをするというのは、ボランティアという概念が根底からくつがえされるような感じがします。
こういった特別な例に限らずとも、研究活動やスポーツ、アートなど、アメリカの大学入試において評価されがちな課外活動にはお金がかかるものが多いです。そのため、世帯の年収や生まれた環境によって、入学のしやすさが変動してしまいます。
さらに、アメリカのトップ大学にはレガシー制度というものも存在しています。
この制度は、卒業生の親が多額のお金を大学に対して寄付することによって、その子供の入学が許可されるというものです。つまり、とてつもないお金持ちであれば、子供の大学入学ですらお金で買うことができてしまうのです。
一方、日本の入試制度はどうでしょうか?
日本の入試制度の場合、AO入試を除けばほとんどの場合学力が主軸に評価されます。
日本最高学府である東京大学の場合、共通テストと二次試験のみで大学の合否が決定し、そこに人間性といった曖昧な指標が絡む可能性は万が一にもないと言えます。
そのため、言ってしまえば勉強さえできていれば、入学することができてしまうのです。
この点において、お金がなく、課外活動をすることがない学生にとっては必死に学校や市にある図書館で勉強することにより、人生を逆転するチャンスが巡ってくるかもしれないということです。
また当然、レガシー制度なんてものは存在しません。親が例え総理大臣であったとしても日本の大学に入学するためには基本的に学力試験を突破する必要があります。
良いポイントにもなり得る?
上記でご紹介したようにアメリカ入試に対して否定的な意見がある一方で、見方を変えればこれがアメリカの入試制度の良い点にもなり得るのです。
まず、人物重視の入試形態についてです。
この「人物重視」という言葉はアメリカの大学入試においては非常に多くの意味を含みます。
アメリカの大学入試では、キャンパスの中での多様性を確保するためにアファーマティブアクションという措置が取られています。これはマイノリティーや貧困層を対象に入試制度においてその状況を考慮した上で入試の合否を判定するという措置です。
2023年に人種を元にしたアファーマティブアクションは違憲となりました。とはいっても、人種によって生じた困難や経験を入試のエッセイに記述することは違憲とされておらず、多様性の確保には依然貢献していると言えます。
日本の大学を見渡した時、多くの学生は日本人で溢れ、国際的な多様性には乏しいと言えるかもしれません。
確かに勉強だけで評価される傾向が強いため、国内人種における多様性は高いと言えるかもしれませんが、その枠を飛び出た別の多様性に関しては乏しくなっていることは否定できません。
人物評価という特徴
また、テスト一発で入試が決まる日本よりも人物として有望な人間を入学させられるというのもメリットの一つと言えるかもしれません。
例えば、一点差で入試に合格したひとと落ちた人の学力にはあまり差がないことは自明だと思います。そうなった場合にやはり人間的に優れた方を入学させたいと思うのは自然な思考だと言えるでしょう。
しかし、日本の大学の場合、この可能性を考慮することなく点数で厳格に合否が決定します。アメリカの方がより柔軟に、受験生の選抜を行うことができています。
また、学費が高額なことで知られているアメリカの大学ですが、必ずしもお金持ちしか入学できないとは限りません。アメリカの大学では、先ほどのアファーマティブアクションにより個別の経済的事情はある程度考慮され、その上で奨学金の給付が非常に多いことでも有名です。学内の半分以上の学生が何かしらの奨学金をもらっている、という大学は珍しくはありません。
では、そのお金はどこから出ているのでしょうか?それは先ほどご紹介したレガシー入学(大学への寄付による合格)をした生徒の学費や寄付金によって補われているのです。
そう言った意味でレガシー入学は一部の学生に入学可能な枠を譲ることにより、残りの枠の多様性を確保することに一躍買っているとも言えるかもれません。
日本の大学入試の場合、奨学金制度は確かに存在しますが、給付される額や数には限りがあります。さらに経済的事情が点数に考慮されることはなく、例えば塾に通うお金がない子供が大学入試を突破することは非常に難しいでしょう。
このような見方をすれば先ほどご紹介したアメリカ入試の欠点もある目的や功績の上で成立していることがわかるかと思います。
まとめ
先日、ハーバード大学が留学生の受け入れを完全に拒否することを発表しました。留学中の学生にとって世紀の一大事件と言えるかもしれません。東京大学はハーバード大で学べなくなった留学生を受け入れる方針だと報道がありましたが、これは対症療法に過ぎません。
今後のアメリカの大学入試制度がどのように変容していくか、今後も動向を見守りたいと思います。




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