「正直、1、2浪で医学部ではなく他の学部に進学するのが、いちばん幸せだったと思います。」

そう語るのは、医学部を目指して4年間浪人した末、横浜国立大学の理工学部へ進学した藤井さんです。現在は「将棋のできない藤井四段」としてYouTubeなどで、自身の“4浪4留”という壮絶な受験・大学生活を発信しています。

確かに、医学部受験は非常に狭き門であり、多くの受験生が浪人を経験します。

平成30年の医学部合格者においては、現役生が35%、1浪生が35%、2浪生が14%、3浪生が5%、4浪以上が7%となっています。※1

しかし、そうした受験生たちは本当に「自らの意思」で医師を目指しているのでしょうか?

実際には、「親が開業医だから」「医者家系だから」といった家庭の事情や期待から、医学部を目指さざるを得ないというケースも少なくありません。

今回は、医学部進学が当たり前とされた家庭環境の中で、苦悩しながらも道を模索し続けた藤井さんの声を通して、「浪人生活の実態」や「そもそも浪人する意味とは何か」について改めて考えていきましょう。

目次

  • プロフィール(医者になるのは当然の道)
  • 神童だった小中時代
  • 一転して落ちこぼれた高校時代
  • 真面目に勉強した1,2浪目
  • 転機となった3浪目
  • 4浪目で横浜国立大学へ進学
  • 受験生へのメッセージ

医師になるのは当然の道

鹿児島県出身の藤井さん。医師の父のもとに生まれた藤井さんにとって、「医師になる」ことは、ごく自然なものでした。

実際に、藤井さんの兄も医学部へ進学しています。

「父はよく、“将来は家族みんなで病院を開業できたらいいな”って話していました。きょうだい全員を医師にしたい、そんな想いを強く持っていたと思います。」

また、父からは繰り返し「医師ほど他人に感謝される職業はない。」と語られ続けていました。

「小さい頃から、“医学部に行くんだ”って自然に刷り込まれていました。別の道を選ぶなんて、考えたこともなかったですね。」

このように、藤井さんにとって医学部進学は、なんの疑いもない“当然の未来”だったのです。

神童だった小中時代

小学校から中学校では、藤井さんは常に学年上位の成績を維持していました。特に、中学校では、学年5番以内に入ることもある神童でした。

また、ソフトテニス部に所属しながら生徒会活動にも積極的に取り組むなど、まさに文武両道の優等生として、周囲から一目置かれる存在でした。

「正直、意識的に努力しなくても成績が良かったんですよね。自然と“自分はできる人間なんだ”って思い込んでいました。」

しかし、この成功体験が、のちの高校生活で待ち受ける挫折を、より深く、痛烈なものにしていくことになります。

高校で訪れた挫折

鹿児島県内で2位の進学校、鶴丸高校に進学した藤井さん。

しかし、入学早々、それまで信じていた「自分はできる」という自信が崩れ去りました。

「中学では“なんとなく”で上位にいられたんです。でも、高校ではそれが通用しなかった」と藤井さんは語ります。

具体的には、周囲が当然のように予習をこなすなか、藤井さんだけが準備不足。最初のテストでは320人中309位という結果に。

「一度置いていかれると、どう取り返せばいいのかもわからなかった。焦るだけで何もできませんでした。」

さらに、授業はどんどん進み、勉強習慣のなかった藤井さんは完全に後れをとっていきました。
最終的には、高校3年生になっても、基礎的な内容である余弦定理が理解できず、模試の問題に手も足も出ない状況に陥ってしまいました。

現役不合格、そして始まった浪人生活

高校3年では、藤井さんは鹿児島大学医学部を受験します。しかし、センター試験(現在の共通テスト)の点数は950点中429点。面接すら受けずに受験を終える結果となります。

「正直、受かるなんて思ってなかった。でも、医学部に受かるには浪人するしかない。」

こうして始まった浪人生活。しかし、それは想像を超える長期戦の幕開けでした。。

徹底的に勉強した1、2浪目

藤井さん自身も、家族も医学部進学を強く望んでいたため、浪人生活に踏み切る決断をしました。

そこで、浪人生活の場として選んだのは、名門「北九州予備校」。
帰寮時間や消灯時間まで管理され、徹底して勉強せざるを得ない環境であることで有名です。

「予備校の寮は本当に厳しかったです。あまりに厳しくて“監獄”って呼ばれることもありました。でも、だからこそ、勉強にだけ集中できたんだと思います。」

その努力の甲斐もあり、1浪目のセンター試験では655点、2浪目には711点と、着実に得点を伸ばしていきました。

しかし、それでも合格には届きませんでした。引き続き、浪人生活を送ることになります。

3浪目:初めて芽生えた「好き」の感覚

3浪目に入った藤井さん。
これまで確固たる目標だった医学部への進学に、少しずつ疑問を感じ始めます

きっかけは、予備校でのとある物理講師との出会いでした。社会人経験も豊富だったその講師は、授業の合間にさまざまな進路があることを、話してくれたといいます。

「それまでは“医学部しかない”って思い込んでいました。でも、話を聞くうちに、“他にも道があるのかもしれない”って少しずつ考えるようになりました。」

そんななか、浪人生活で唯一心から楽しいと感じたのが、得意だった物理の授業でした。

「自分がやりたいこと、楽しいことってなんだろうと考えた時、自然と“物理を学びたい”って思ったんです。」

このように、藤井さんの中で、「医学部ではない道を歩みたい」という気持ちが次第に強まっていきました。

4浪目:自分の道を見つけ、横浜国立大学へ

山口大学医学部に30点差で不合格となり、迎えた4浪目。
藤井さんは、「このまま4浪、あるいは5浪すれば医学部に合格できるくらいの成績だった」と振り返ります。

しかし、心の中では大きな変化が起きていました。

「本当は受ければ可能性があったかもしれません。でも、“自分のやりたいことをしたい”という気持ちが勝ったんです。」

国立前期に受験した広島大学医学部では、合格のために必要な面接をあえて受けませんでした。

そして迎えた本命の後期試験。横浜国立大学の理工学部を受験します。

結果は、見事合格。家族は当然、医学部進学を期待していましたが、藤井さんの進学を最終的に許してくれました。

「合格という既成事実に加えて、長い浪人生活で疲れ切っていた僕への同情もあったと思います。」

このようにして、藤井さんは医学部という「親の決めた道」ではなく、「自分の道」への切符をつかみ取りました。

浪人生活を振り返ってーどうするのが幸せだったのか

長かった浪人生活を振り返ったとき、藤井さんが感じるのはシンプルな後悔でした。

正直、1、2浪目で医学部以外の学部に進学していたら、いちばん幸せだったと思います。

医学部にこだわり続けた結果、やりたいことから遠回りしてしまった。

 今なら、自分が興味を持った分野に早く進んでいたほうが、もっと充実した時間を過ごせたと感じています。

また、長い浪人生活の代償もありました。それは、多浪生が少ない環境に飛び込むことの“生きづらさ”です。

 「年上ってだけで、自分が卑屈になってしまう。周りも扱いに困ると思うし、普通にコミュニケーションを取るのが難しいんです。」

このように、大学入学後、居心地の悪さを感じる場面も多かったと語ります。

もちろん、浪人を重ねることがすべて悪いわけではないです。
しかし、“医学部じゃなきゃいけない”と信じ続けたことが、かえって藤井さん自身を苦しめたこともまた、確かな事実でした。

最後に:浪人を考えている受験生・保護者へ

藤井さんは、浪人生活を振り返りながらこう語ります。

「医学部を目指して浪人している人の中にも、“なんとなく”で続けている人は意外と多い気がします。」

「もちろん、本当に医師になりたいのなら、何浪してもいいと思います。
だけど、途中で気持ちが変わることもあるかもしれない。
だからこそ、『自分は本当は何がしたいのか』を考え、覚悟を持つことが大切なのではないか。」


当然、浪人すること自体は否定されるものではありません。
しかし、それは本当に自分が、子供が望む道なのでしょうか?
まずは、なんとなくで医学部を目指していないか、親のエゴを押し付けていないか、を確認してみてはいかがでしょうか。