いよいよ中学受験シーズン。
「環境がいい学校に入れたい」「地元の学校は少し心配」——そう思って受験させたくなるのが親心でしょう。
確かに、中学受験をすれば、公立校よりも清く正しい学生生活が待っています。
しかし、落とし穴もあります。
「安定して治安の保たれた環境」に慣れすぎると、世間知らずに育ってしまう。
よく指摘される「中だるみ」を意識して乗り越えないと、「お人好しの無能」に育ってしまう可能性すらある。
今回は中学受験経験者に聞いて分かった「意外と見落とされがちな中学受験のデメリット」をお伝えします。
中学受験は少数派
中学受験には、多額の費用が掛かります。
一般的な公立小学校のカリキュラムから大きく外れる難問を解くには、普通の小学生と同じ暮らしをしていては到底不可能。
だからこそ、「小学校3年生から塾通い」とか「最低でも300万以上」と呼ばれる高額の資金投資を経て、有名塾に子どもを通わせて、突破するのが一般的です。
昨今の受験では難易度インフレが止まらず、もはや昔ながらの「参考書を買って親子で自習」のような牧歌的スタイルは通用しません。
もちろん、「ゆる中学受験」と呼ばれるそこそこの時間・金銭投資で突破を狙うスタイルも近年確立しつつありますが、それにしても無課金では難しい。
年間100万とはいかずとも、少しは教育にお金を回すだけの経済的余裕が必要です。
ですから、中学受験を考える家庭には、貧困家庭は多くありません。
やはり「教育に投資するリテラシー」を持ち、「実際に投資する経済的余裕」があり、「受験で傷ついた子どものケアが可能な時間的余裕」もあるような家庭の方が、勝ちやすい。
だからこそ、「中学受験してたどり着く先の世界には、最低限の教育リテラシーと経済的余裕を兼ね備えた家庭が多数派である」といって差し支えないでしょう。
いまや中学受験は、首都圏において半ば一般常識になっています。
これをしない、もしくはできないような家庭の子どもたちと付き合わせるよりも、より教育に関心がある家庭出身の子どもと付き合ってほしい。
だからこそ、人々はこぞって受験させたがります。

ですが、それだけではあまりにも視野が狭いと言わざるを得ない。
首都圏、とりわけ東京の中学受験率は全国でも群を抜いて高く、20%以上が受験しています。
そのうえ、エリアによっても受験率は異なり、23区内ですらその差は顕著。
文京区や港区など都心中枢エリアでは30~50%が中学受験するのに対し、足立区や葛飾区など盛んでないエリアでは10%台と、格差が生じている状況。
中学受験が盛んなエリアでは「小学校の同級生のうち、数人を残したほとんどが中学受験」という話も珍しくありません。
そうなると、受験しない家庭やその特性が一層際立つわけで、公立中学校の環境はどんどん荒れていきます。
ただ、実際には中学受験をしない人の方が80%以上の大多数を占めている。
地元の学校が荒れていたから受験をしたAさん(20代・男性)は、東京都内でも屈指の治安が悪い地域に住んでいたにもかかわらず、学年でAさん含む3人しか中学受験をしなかったそう。
地元では「中学受験」のワードすら出てこず、塾に通っている同級生も多くなかった。
これくらいの価値観が「普通」だと忘れてはいないでしょうか?
そして、中学校や高校、大学の環境を選んでも、20代から先の数十年間は、これまで切り捨ててきた「普通」の人々と付き合う必要が出てくる。
温室育ちの弊害
そして、いつか来るその瞬間に見て見ぬふりをして、「普通」と向き合うタイミングを先延ばしにしてきた人には、最悪のタイミングで現実の荒波が押し寄せるのです。
中学受験を経て中高一貫校に進学したBさん(10代・女性)は、似た価値観や生活水準の家庭の同級生に囲まれて、ストレスのない学生時代を謳歌しました。
地元では中学受験が当たり前。クラス内ほとんどが受験するわけで、親や友人が勧める通り、受験したほうがよさそう。そして、実際にたどり着いたのは期待通りの桃源郷。
同レベルの常識や価値観を持っているので、いじめもトラブルもなく、悪意が生まれにくい環境だったといいます。
明らかに異常な環境ですが、幼い彼女の世界は狭く、「これが普通の世界なのだ」とインプットされていきました。
しかし、某難関私立大学に進学した途端、その前提は大きく揺らいだ。
当たり前ですが、一部閉じられたコミュニティから進学する中学、高校とは異なり、全国の様々な家庭、学校、地域から人が集まる大学では価値観も、常識のラインも、人との距離の取り方もバラバラ。
「中高6年間の常識が通用しなかった。当たり前に感じていた『常識』の下限を、軽々と下回ってくるような人がたくさんいて、しかもそれをみんなは当たり前のように計算に入れて行動しているように見えた。
これまで自分が常識だと考えていたものは、どうやら世間一般に照らし合わせると常識外れのようだった。ついていけないのは自分だけで、まるで全く別の世界に連れてこられたかのような孤独感に苛まれた」

編集部の取材したBさんの印象は「聡明でおしゃべり好きな女性」でした。
決して頭が悪くない彼女も、「世界には様々な人がいる」と頭では理解していましたが、現実としてとらえきれていなかったのです。
一方で、この環境が特異なものであると自覚する方も中にはいらっしゃいます。
以前以下の記事で取材した現役医学生の西村さん(仮名・20代)は、「余計なことまで説明しなくても会話が通じる環境から出たくないから、大学入試を通して賢い人だけにフィルタリングされる医学部に進学した」と語る猛者。

確かに、医学部での会話はストレスなく通用したそうで、一見すると逃げ切りに成功したように見えるかもしれない。
ですが、実際には医者こそ経済レベル、教育レベルなどを問わず老若男女と会話しなくてはならない職業であり、彼は医学部卒業も見えてきた今になって「医者ではなく、to Bビジネスが強い大手企業に就職したほうがいいかもしれない」と悩む羽目に。
1円の貴重さがわからない
逆に、「高校まで普通の環境にいたからこそ、大学での同級生の異様さに慣れなかった」と語る方も。
先述のAさんは偏差値50台の学校から東京大学に逆転合格されたそうですが、同級生との価値観の相違から様々な会話が噛み合わず、最初はコミュニケーションを取るのに苦労したのだとか。
彼が語ってくれた中でも一番印象に残るエピソードは、文化祭での一幕。
食べ物屋で出店した彼のクラスも閉店し、後片付けに入っている時の出来事でした。
祭りも終わり、ほとんどの屋台が閉店したとはいえ、まだまだ人通りが多い時間帯。
それにもかかわらず、大通りに面した接客用事務机に、小銭やお札を堂々と広げて売り上げを数える同級生の姿が目に入ったのです。

夕暮れ時で人ごみも多く、文化祭終了直後の帰宅ラッシュで、駅に向かう人も多い。
やろうと思えば、誰でも一万円札の束をポケットにねじ込んで即逃走できる状況でしたが、誰もその子を注意しようとしない。
そこで、「危ないだろう」と指摘したAさんに返ってきたのは「なにが?」という純粋極まりない疑問符でした。
「きっと『数万円程度のカネを盗むなんてリスクの高いことをやるバカな人間は、この世にはいない』と本気で考えているのでしょう。
頭が良くて、合理的で、その気になれば犯人を捕まえることもできるし、そもそも逃げ切れるわけがないと分かっている。
そもそも、裕福な暮らししか知らない彼らからすれば、数万円程度のカネなんて盗むべくもなく、その程度で人生を棒に振るような人間はいないと感じるのも無理はない。
ですが、『普通』の世界を知っている人ならば、分かるはずです。
たかだか『数万円に目がくらんで盗んでしまうような、心が弱くて、後先を考えられない短絡的なバカ』が、どれほど世間にありふれているのかを。
これを見て、『東大生とは一生仲良くできないな』と感じました。
実際に、卒業した今でも連絡を取り合う同級生は数人にも満たない程度。
根本的に価値観が合わないので、友達になれないんですよね」
我々は「中学受験をするな」といいたいわけではありません。
中学受験をするならば、それが一般的ではないことを強く自覚して、「下界」と触れ合う機会を意識的に作らなければ、世間ずれしていない箱入りの状態で社会に放り出すことになりかねないと言っているのです。
中学受験をしても、しなくても。進学校に進んでも、逆転合格でも。
結局、社会に出れば、価値観も常識もまったく違う人たちと関わりながら生きていくことになります。
居心地のよい環境、常識が共有された世界は、決して当たり前ではない。むしろ、かなり限定された空間なのは分かっているはず。
ですが、子どもの目からはなかなか現実が見えません。
だからこそ、親が意識的に子どもに現実を見せることも必要ではないでしょうか。
「6年間一貫教育」のワナ
さらに、中高一貫校に子どもが入ったならば、もうひとつ親にはやるべき仕事が残っています。
それは「目標探し」。
中高一貫校の欠点として、しばしば「中だるみ」という言葉が使われます。
高校受験がないので、際立った目標がないままにだらだらと青春時代を過ごすことを指した言葉です。
よく使われるのは勉強での文脈。
だからこそ、先生方は「だから勉強しなさい」と伝えます。
ただ、2022年度入試以降一般入試の割合が過半数を割り込み、以降も減少の一途を辿っている現代では、もはや「受験勉強」の価値はそこまで高くありません。
確かに6年間一貫教育による一般受験の向上効果も無視できませんが、そちらは高校受験組の優秀層と有意な差がつくとは思えません。
ある程度才能がある公立高校優秀層なら、中高一貫教育で稼がれる1年~2年のアドバンテージ程度は悠々とひっくり返してきます。
むしろ、高校入試がないことで6年間を一貫して「勉強以外の何か」にあてられると考えるべきでしょう。
部活動や研究活動、ボランティアや習い事など、本来なら高校受験で一度中断されるべき課外活動を、中断せずに続けられるのです。

通常の高校生は、よほど中高の接続がうまくいかない限りは高校3年間の成果で戦わなくてはならないのに、中高一貫校出身者なら中学含む6年分の成果で戦える。
これは、一般受験組には稼げない大きなアドバンテージです。
6年間自由に使えるからこそ、一貫したストーリーを描きやすくなる。
しかし、裏を返せば「6年間白紙のまま大人になってしまう」危険性もはらんでいます。
明確な節目や競争がない環境では、緊張感などありません。
同級生と切磋琢磨する機会が減ると、向上心も育ちにくくなります。
そして、これは一部のクラスやグループに限った話ではなく、中高一貫校の中学2年生~高校1年生程度に広く蔓延する流行り病なのです。
高2・高3になって「よしやるぞ!」と本腰を入れようにも、中学受験以降触っていないやる気スイッチは、もはや錆びついてびくともしない。
先ほど受験生の例を出しましたが、大学受験を意識して動けるならば、まだマシです。
大学付属校がある場合には、高3になっても「まぁ内部推薦で上がれるからいいや。後のことは大学生になってから考えよう」と気楽に考えているケースすらもあります。
20歳を超えるまで放置した結果は、言わずもがな。
実際に、大学まで系列校がある中高一貫校出身のCさん(20代)の「高校3年生の思い出」は、車の教習所とアルバイト、そして何よりも睡眠だったそうです。
「同級生が受験に向けて切磋琢磨している間も、ひたすら寝ていた」と語るCさんでしたが、果たしてこれは親の望んだ「のびのびとした学生生活」だったのでしょうか。

ただ、彼らに自発的な成長を促すのは、どうしても難しい。
なぜなら、同級生みんな誰しもがそうなのですから。
「頑張ろう」とするのはむしろ少数派なのです。
今の方が楽なのに、別に頑張らなくても生きていけるのに、わざわざ好奇の視線を浴びながら、必要のないと分かり切っている努力ができる人間が、どれほどいるでしょうか?
だからこそ、定期的に将来について、家族である程度話し合っておくべきでしょう。
子どもの未来を決めるのではなく、「いつか動くべき時がやってくる」と警句を発するだけでも、価値はあります。
親子で一緒に未来を考える機会を
ここまで読んで、「そんなつもりで中学受験を考えているわけじゃない」と感じた親御さんも多いのでは。
「危ない人間と関わってほしくない」「安心できる環境で育ってほしい」「できるだけ遠回りせず幸せになってほしい」——そう願うのは、親としてごく自然なことです。
ただ、その善意は、必ずしも子どもにとって最適な結果につながるとは限りません。
中学受験をしないからといって、落ちこぼれと決まるわけではない。
地元の中学校で多様な人と関わり、社会性を身につけることも、ひとつの大切な経験です。
逆に、地元の環境では生きていけない繊細な心を持った子もいるでしょう。
その時々であった環境を選択・誘導するのは、確かに親の役目です。
同時に、「自分が多数派/少数派である」ことを理解させることもまた、親に求められる役回りではないでしょうか。
少なくとも、「いい環境に放り込んだから、あとはよろしく!」と放置できるものではないはず。
中学受験は、あくまで選択肢のひとつ。
守ることも、挑戦させることも、どちらも愛情です。
その愛情が、子どもの未来を狭めるものではなく、広げるものになるように。
そんな視点で進路を考えてみてもいいのかもしれません。
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