京都には、「京都府立鳥羽高等学校」と私立の「洛南高等学校」という2つの高校があります。
鳥羽高校は、京都市南区に位置しグローバル科を置く公立高校です。普通科にはスポーツコースも存在し、野球部は2000年には春夏甲子園、2015年には夏の甲子園に出場しています。
私立の洛南高校は、京都を代表する私立校です。毎年多くの京大合格者がおり、1991年から2014年までは23年連続で合格者数全国1位でした。スポーツに強いコースもあり、陸上の桐生祥秀選手の母校でもあります。
一見すると、公立と私立で接点のなさそうな両校。しかし実は、この「洛南」という校名は、もともと鳥羽高校が名乗っていたものでした。過去をたどっていくと、戦後の高校再編や学校の復活を経て、「洛南」と「鳥羽」という名前が受け継がれていく、ドラマチックな歴史が見えてきます。
今回は、この少し複雑で、しかし非常に興味深い校名の物語を紐解いていきます。その流れは大変入り組んでいるので、筆者が作成した下のチャート図もご覧になりながらお楽しみください。

わずか半年で消えた、初代「公立の洛南高校」
物語の始まりは1900年に遡ります。
現在の鳥羽高校がある地に、旧制中学校「京都府第二中学校(京都二中)」が創立されました。現在の洛北高校の前身である京都一中に次いで設立された伝統校で、京都府内でも屈指の歴史を誇ります。1915年には、第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の夏の甲子園)で全国優勝も果たしました。高校野球ファンであれば聞いたことがあるかもしれません。
戦後の1948年4月、学制改革によってこの京都二中は新制の「京都府立洛南高等学校」へと生まれ変わります。そう、もともと「洛南高校」は公立高校の名前だったのです。
ところが、その歴史はあまりにも短いものでした。同年10月、京都府内で大規模な高校再編が実施され、府立洛南高校は開校からわずか半年で廃止されてしまいます。京都二中から続いてきた全日制の系譜は、ここでいったん途絶えることになりました。

しかし、京都二中の歴史が完全に消えたわけではありませんでした。京都二中には同じ校地の中で1935年から夜間定時制課程も設置されていました。1948年4月の学制改革でこちらは「京都府立鳥羽高等学校」としてリスタート。
そして同年10月の高校再編では、鳥羽高校も再編対象となったものの、京都府立洛南高校とは異なり廃止にはなりませんでした。同市内に位置する府立高校である朱雀高校の分校、「京都府立朱雀高校鳥羽分校」として鳥羽高校は再々出発します。

つまり、「洛南」という校名は半年で姿を消した一方、「鳥羽」という校名は定時制の系統によって受け継がれたのです。
空席になった「洛南」を受け継いだ私立高校
公立の京都府立洛南高校が消滅してから14年後の1962年。空席になっていたこの「洛南」という名前に目を留めた学校がありました。世界遺産・東寺の境内にあった私立男子校「東寺高等学校」です。
東寺高校はこの年、学校改革の一環として「(私立)洛南高等学校」へと改名します。現在全国的に有名な「洛南高等学校」はこのとき誕生したのです。
この際、洛南高校は京都府と京都市の教育委員会に、「洛南を使って良いか」のうかがいをたて、承諾を得たという証言が残っているそうです。たった半年間ではありましたが、京都一中を継ぐ「府立洛北」と京都二中を継ぐ「府立洛南」が双璧をなすという構図は確かに存在していました。こうした手続きが取られた背景には、旧制中学校以来の歴史への配慮があったのかもしれません。
これによって、かつて公立高校が名乗っていた「洛南高校」という名称は、私立高校のものとなりました。
定時制が守り抜いた「鳥羽」の灯火と、1984年の大復活
京都府立洛南高校の廃止後、その敷地はどうなっていたのでしょうか。
高校は消えましたが、代わりに公立中学校の「京都市立洛南中学校」が開校し、地域の学び舎として長く使われることになります。なお、この時点では私立の洛南高校はまだ中学校を設置しておらず、この洛南中学校とは無関係です。
そして、かつて京都二中の夜間学校から派生した定時制課程を継ぐ「朱雀高校鳥羽分校」も、同じ敷地の片隅で細々と、しかし確実に伝統の灯火を守り続けていました。

転機が訪れたのは1983年。京都市立洛南中学校が現在の土地に移転し、旧京都二中の敷地が丸ごと空くことになります。「ここに伝統の府立高校を復活させよう」という機運が高まりました。
そして1984年、ついに高校が開校します。
本来なら、本流が名乗っていた「京都府立洛南高校」として復活させたいところでしょう。しかしそれは叶いませんでした。そうです。先述の通り、すでに私立の「洛南高校」が存在しており、京都市内で十分な存在感を持っていたからです。
結果として、新設校が名乗ったのは「鳥羽高校」でした。「鳥羽高校」は、30年以上もその地で灯火を消さずに歴史を繋いできた定時制の朱雀高校鳥羽分校が名乗っていた名称です。こうして現在の「京都府立鳥羽高等学校」が誕生したのです。

中学校側でも起きていた、もう一つの「洛南」の配慮
この「洛南」という名前を巡るドラマは、高校だけにとどまりません。
鳥羽高校が誕生した翌年の1985年、今度は私立の洛南高校が中高一貫教育を開始するため、中学校を新設することになりました。
普通に考えれば、高校名に合わせて「洛南中学校」としたいところです。しかし、ここでも名前の壁が立ちはだかります。かつて旧二中の敷地にあり、1983年に移転した公立の「京都市立洛南中学校」がすぐ近くに存在していたのです。
同じ南区の中に、公立の「洛南中」と私立の「洛南中」が並立すれば、受験生や地域住民は混乱することでしょう。
そこで私立側が採用した校名は、「洛南中学校」ではなく「洛南高等学校附属中学校」でした。
高校では、公立から私立へと受け継がれた「洛南」という名前。中学校では、その「洛南」という名前をめぐり、今度は私立側が一歩譲る形になったのです。
歴史のねじれが生んだ着地点
京都の南区周辺で起きた、この「ねじれ」をまとめるとこうです。
- 高校: もともと公立のものだった「洛南高校」は私立のものになり、公立は「鳥羽高校」を名乗った。
- 中学校: 公立の「洛南中学校」があるため、私立は「洛南高校附属中」と名乗った。
もし、1948年に府立洛南高校が半年で廃校にならなければ。あるいは1962年に私立が別の名前を選んでいれば。あの甲子園の入場行進で「京都府立洛南高等学校」のプラカードが掲げられていた世界線があったかもしれません。
校地の移転と、定時制が守り抜いたバトンが織りなした、京都の学校史に刻まれたストーリー。普段何気なく目にしている校名にも、時代の転換点や人々の選択が刻まれています。「鳥羽」と「洛南」という二つの名前は、そうした京都の学校史を今に伝える、生きた歴史そのものなのです。






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