「己を愛するがごとく、汝の隣人を愛せ」(新約聖書—マタイ伝・二二)。たとえ、敵意をもって接してくるようなものであろうとも、慈愛をもって受け入れよとする教えです。聖書の記述以外にも、こうした「博愛」の重要性は世界中で古来から認められており、人類はいがみ合うより手を取り合う必要性を認識しつつも、その困難な道のりを歩み続けてきたことがわかります。
現代社会では「多文化共生社会」など、より実際の社会に即した形で「博愛」「相互理解」の重要性が叫ばれるようになりました。とはいえ、同じ国で過ごした人間であろうとも、わかりあうのは難しい。外国人との間柄であれば、なおさらでしょう。
本日お話を伺った岩永春香さん(いわなが・はるか 仮名)は、幼いころから目にしてきた在日外国人の苦労の様子から「『外国人』との間には壁があるのでは」と問題意識を抱えながら育ちました。彼女自身も一年間のオーストラリア留学に旅立ち、自らが「外国人」の立場になって分かった様々な障壁に直面。しかし、現地で行った多くの出会いや活動から、その突破口も見えてきました。「多文化共生」の難しさと実践を学びます。

○日常に見えた「外国人の暮らしにくさ」
__どうして慶應法学部を受験されたのでしょうか?
岩永:私はもともと慶應ではなく、上智大学法学部の国際関係法学科を志望していました。昔から、「多文化共生」に興味があり、これを最も実践できるかつ、私のレベルに見合っているのがそこだと感じたからです。
ただ、リザプロの推薦入試対策プログラムで出会った先生から「慶應の法学部もチャレンジしてみたら?」と提案されたんです。確かに、慶應ってなんだかブランドがあって憧れがありましたし、総合型選抜の準備なら、複数校に向けて準備しても、そこまで手間がかからない。結局、チャレンジ枠で慶應FITのA方式に出願しました。
__国際関係にご興味があったんですね! 海外とご縁があったのでしょうか?
岩永:高校生の時、オーストラリアに留学しましたが、特に海外と深いかかわりがあったわけではありません。むしろ、日本にいたからこそ、今の視点から国際関係に切り込もうと考えるようになれました。
中学生の時、駅のホームで外国人から、電車の行き先を尋ねられました。最近の電光掲示板って親切で、日本語以外にも英語や中国語、韓国語の表示に対応するものも多いですし、路線図にも外国語表記が併記されています。でも、私に質問してきた外国人は、全く行先などに不案内な様子でした。もちろん、日本語なんて通じませんから、頑張って身振り手振りでなんとかコミュニケーションを取って、すごくもどかしい瞬間でした。それまでの私は、「こんなに外国語表示がされているのだから、十分だろう」と考えていましたが、実際にはそうではなかったんですね。「外国の人が、日本で生きるのって、難しいんだなぁ」と朧気ながら感じさせられた出来事でした。
ほかにも、私の祖母が話してくれた中国人女性のエピソードが印象的でした。祖母の隣人が中国人で、どうやらもともと日本人の旦那さんと結婚されて、日本で暮らすようになったみたいなのですが、旦那さんに先立たれてからは一人暮らしになってしまった。
それなりに日本でも長く暮らしているかもしれませんが、恐らく旦那さんとは中国語で会話されていたのでしょう、日本語があまりうまくないんです。日本人の友達も多くないようで、祖母と簡単な世間話をする以外はほとんど中国人コミュニティに入り浸り。もちろん、地域社会とのつながりもできません。もちろん、地域社会に無理やり参入することだけが道ではありませんが、「せっかく日本に暮らしているのに、中国でもできる暮らしをしている」って、なんだかもったいないように感じて。社会との分断って、こうやって起きるんじゃないのかなと思いました。
日本って、すごくいい国ですよね。外国人旅行者が「もう帰りたくない!」って言ってるインタビュー風景もよく見ますし、世界的に見たらかなり住みやすくていい国なはず。でも、言葉とか文化の壁のせいで、せっかくの「日本」を満喫しきれないのは、あまりにももったいない。だから、「もっとみんなが暮らしやすくなれる社会にするには、どうすればいいんだろう?」と考えるようになったんです。

○分かり合う鍵は「体験」にあり
__ただ、その「壁」を壊すのは、相当な努力が必要な気がしますが……。
岩永:確かに、簡単なことではないでしょう。私自身も、高校在学中にオーストラリアへ語学留学した際に、どうしても留学生同士でつるんでしまいがちでしたから。それに、「外国人」に対する素朴な抵抗感や無理解から来るのか、日本人って伝えているのに「ニーハオ」って挨拶されるなど、差別的なふるまいをされることもありました。そうなると、どうやっても歩み寄るのは難しくなります。
とはいえ、実際にオーストラリアには本当に色々な国、人種の人が一緒に暮らしています。大きなチャイナタウンもありますし、雑多な国の人々が一緒くたになっているにもかかわらず、それなりに暮らしやすい。オーストラリア政府も共生を支援しているようで、政府主導で3週間くらい続く大規模なアジアンフェスティバルが開かれるんですよ。
私も、リザプロの先生から勧められて、せっかくなら多文化共生を体験してみようと、アジアンフェスの日本ブースで折り紙を教えたり、七夕文化について説明して短冊を書いてみたりと、ボランティアに従事しました。考えていたよりもたくさんの人が来て、現地の人も、ほかのアジア圏の人も、入り交じるようにして、みんなで文化を体験している。私も中国の新春節に作るランタンを作ったり、切り紙をしたり……。
ひとつひとつの体験は確かに小さな、誰にでもできることでしたが、でも、これらはみんなが母国で小さなころから当たり前に感じてきた暮らしのひとかけらなんですよね。些細なことかもしれませんが、確かに「自分は他の文化圏を体験している」と感じられましたし、日本ブースにいらっしゃった皆さんも、きっと同じ思いだったのでしょう。たしかに、つながっている感覚がありました。多文化共生というと、行政とか政治とか自治体とか、難しい文脈でとらえられがちですが、文化間の障壁を取り払うためのヒントは、意外とこうした細々した実践にあるのかもしれません。

○日本全国に提言を
__将来は、そうした活動を広められていくのでしょうか?
岩永:そうですね、最初は地方自治体や県庁職員になりたいと考えていました。外国人活動推進課のような組織に配属されれば、実践的な提言を続けていけますよね。実際に活動している団体だと、静岡県浜松市のHICEなどが有名ですね。ですが、どうしたって自分の配属されている自治体組織の範囲でしか活動できないのがネックでした。
そこで、色々調べているうちに、官僚の道も見えてきました。特に、総務省に入省できれば、地方における外国人の活動サポートとか、外国人の居住に関する政策の提言などもできるかもしれない。実際になるためには、相当な苦労があるでしょうけれど、職員になればもっと現実的に地方で暮らす外国人の生活をサポートできるのでは、と希望が見えた瞬間でした。
官僚になったら、政治家の先生とお話しする機会などもできるかもしれません。そこで、私の父の伝手で、市議会議員の先生とお話を伺う機会を頂けました。しかも、そこから地元行政にもインタビューさせてもらえて、本当に参考になるお話をたくさん伺えたんです。
○まとめ
オーストラリアへの1年留学、差別的なふるまいに負けずボランティアに従事、地元市議会議員との対談……。ここだけを切り取れば、「輝かしい経歴」を携えたキラキラ受験生のように見えてしまいます。
しかし、実は岩永さんご自身も、受験生時代に先輩の合格体験記を読んだ際に「こんなスゴイ活動をしてる人ばかりなのか!」と衝撃を受けられたそう。彼女は「大それたことばかりに見えるけれど、実際にどういう活動だったのかは、中身を見ないとわからない」と見た目の華麗さに惑わされないよう注意を呼びかけます。
「私の体験記を読んでも、書いてあることは一見スゴイことのように見えるかもしれません。ただ私自身はそこまで大それたことをやったとは思えないんです。大きなイベントにこだわらず、まずはいろいろやってみるのが大事。自分の興味のあることに対して、色々な方向で沢山活動にチャレンジすると、そのうち当たるものも出てくるでしょう。
あとは、過去の人の真似をするのも重要です。私の市議会議員対談も、先輩の合格体験記で見た『内閣総理大臣との対談』という実績を、自分にできる範囲で再現できないかと試行錯誤した結果。先輩の体験記から実績のひな型を得て、自分に可能なスケールに落とし込みつつ、できる範囲で一番大きなことを実行すると、気が付いたら『華々しい実績』に囲まれているかもしれません」




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