海外大進学がブームとなる一方で、その実態はどうなのだろうか。

今回インタビューしたのは、東大にも合格していながらUCバークレーに進学し、2年目の終わりに休学することを選んだ谷津凜勇さん。

東大・京大が当たり前の進学校から、出身校で初めてアメリカ・カナダのトップ大学30校に出願するという前例のない挑戦を経て掴んだ海外大進学の機会。

しかし、そこで目にしたのは期待とは大きく異なる現実だった。

「東大には3週間で合格できてしまったので、レベルの高い環境で自分の力を試したくて海外大学を選びました。確かに現地での生活は気づきも多かったですが、大学の学びは物足りなかったんです」

海外大進学に「逆風」が吹き始めている今、彼の赤裸々な体験談から見えてくる海外大進学のリアルとは。


幼少期に4000冊を読破した本の虫

――まず、どういう環境で育ったのか教えてください。

兵庫県神戸市で生まれ育ちました。父親はIT系の会社勤め、母親は専業主婦。一人っ子だったので両親はとても子育てに熱心で、僕がやりたいことにとことん付き合ってくれました。

週末のたびに、僕の工作に付き合ってくれて、家族3人で家の部屋を秘密基地に改装したり、近所の裏山に登ってキャンプをしながら、みんなでスパイごっこをしたり、と全力で遊んでくれたのを覚えています。

――早期英語とかもされていたんですか?

いや、そもそも僕自身は純ジャパで大学まで留学経験はゼロですし、両親も日本人でおうち英語もしていなかったので、英語の勉強は中学入学後に本格的に始めました。

その代わり、寝る前に母親がよく読み聞かせをしてくれました。小学校に入ってからも読書が習慣になっていて、学校図書館の本棚は読み尽くしたほどです。近所の図書館に毎週通っていたので、小学校卒業までに4000冊くらいは絵本・児童書を読み漁ったと思います。

――中学受験はどういう経緯で始めたんですか?

小学校ではテストは毎回100点が当たり前で、何人かに当てて正答が出なかった時に先生に目配せされて僕が答える、というような優等生でした。

担任の先生から中学受験を勧められて、本格的に決意したのが5年生の秋頃。かなり遅い決断でしたが、入塾テストで模試を受けると国語だけ全国3位とかの好成績で、読書が好きだった効果を実感しましたね。

最難関クラスに入って、1年ちょっとで一気に成績を上げていく形でした。結局、国語を武器にして、理科もなんとかなったんですが、算数が伸びきらず……。第一志望は落ちて、東大寺学園に入学しました。

文化祭副実行委員長として総合プロデュースを担当

勉強では「上には上がいる」

――中高時代はどんな生活でしたか?

中1の最初の定期考査で実感したのが、勉強ではどんなに頑張っても上には上がいる、ということです。京大医学部に毎年20人ほどが進学するような学校ですから、「本当に頭の良い奴にはどれだけ勉強しても勝てないんだ」と痛感しました。

そこからは、学年上位10-20%とある程度の好成績を取りながら、勉強以外でどうすれば自分の価値を発揮できるのか、どうすればオンリーワンになれるか、をずっと考えていました。

文芸部に入って小説を書いたり、新聞部で記者兼デスクをやったり、ずっと文章を書いていた中学時代でしたね。高校に入ってからは、生徒会長や文化祭副実行委員長を務めて、コロナ禍で学校史上初の対面・オンライン併用の文化祭をプロデュースし、のべ来場者2万人の成功に導くなどリーダーシップを発揮していました。

――高校時代といえば、コロナ禍が転機だったんですよね?

高校に進学するタイミングでコロナ禍が始まって、人生が変わりました。うちの学校は昭和的な古い体質の学校なので、全然オンライン授業の導入とかが進まなくて……。毎月送られてくる紙の冊子の課題をこなす、みたいな感じだったんです。

すると、めちゃくちゃ時間を持て余してしまって(笑)。「暇だし、自分で何か新しいことを始めたいな」と思って、学校外で課外活動を始めたんです。

フリーマガジン発行の編集風景

「読書教育に夢中に」フリーマガジンを約2万部発行・論文で全国1位

――具体的にはどんな活動を?

読書教育のフリーマガジンの発行です。たくさんの本を読んできた高校生として、文章を書くのが得意なのを活かして何かできないかと考えて、「大人でも子どもでもない自分なりの視点から、オススメの子どもの本を紹介しよう!」と。本好きが高じて創刊したところ、コロナ禍でおうち時間の過ごし方に困っていた家庭も多くて、自分が好きなことで社会貢献もできたんですよね。

特に、SNSでの反響から読者の方に喜んでもらえている手応えを得られたのが、やりがいにつながりました。NHKなどに取り上げられたこともあって、フリーマガジンは全国70ヶ所以上の図書館・学校・書店・カフェ等で配布するまでになり、累計発行部数は1万7000部以上にのぼりました。

さらに、本質的な読書教育のあり方を探究するため、高3で教育社会学の研究に取り組み、単著論文が「全国学芸サイエンスコンクール」で応募作品9万点の中から文部科学大臣賞に選ばれて、高校生のうち全国1位を獲得。世界最大の社会起業家ネットワークASHOKAから将来有望な青年実業家「Youth Venture」に認定されたりもしました。

途中までは親も応援してくれていたのですが、こうして読書教育に夢中でのめり込んでいく中で、高1の冬、文理選択の際に「将来も教育の世界で生きていきたい」と話すと、大反対されました。

――どんな反対理由だったんですか?

昔から科学館や天文台によく連れて行ってくれていましたし、もともと両親は僕に理系に進んでほしかったようなんです。僕自身も子どもながらにその期待に応えてなんとなく理系を目指して、理数系オリンピックに出たりもしていたので、「理系じゃなかったの?」と問いただされました。

「文系だと就職できないのでは?」「日本が少子高齢化していく中で、教育業界は先細っていくはず」と、将来のために理系に進むべきだと両親に強く勧められて……。2人の想いも理解できる一方で、僕は、教育こそが自分ならではの価値を出せる領域だと確信していたので、家族会議は本当にバチバチでしたね。

こども文庫でのインタビュー調査時の様子

文系に行くなら「東大しかダメ」

――最終的にはどう折り合いをつけたんですか?

最終的に妥協したというか、親から提示されたのが「文系に行くなら、東大しか許さない」という条件でした。「東大だったら文系でも就職もなんとかなる」というのが理由だったのですが、勢いで「じゃあそれでええわ!」と条件を呑んだんです(笑)。

ちなみに、その時は海外大進学は全然考えていませんでした。高1から高2にかけて、自分と同じように課外活動を頑張っている同世代とTwitterでつながるようになって、日本の大学だけじゃなくて海外大学に進学する先輩を目にしたことで、その選択肢の存在を知ったんです。

――SNSがきっかけだったんですね。

これは本当にTwitterのおかげです。コロナ禍もあってSNSでの交流が活発だったので、僕の周りだと、理数系オリンピック・高校生起業・ボランティアなどに熱中ている中高生300人ほどが互いにフォローして、みんなで「頑張ってるね」「おめでとう」「これはこうしたらいいよ」と応援し合う界隈ができていました。

学校などリアルでは海外大に進学した人を誰も知らなかった僕でも、Twitterで先輩と知り合って受験を見守ることができたので、「こういう経歴がある人は普通に〇〇大学に進学していくんだ」と実例を身近に感じられたのは大きな刺激でした。

実は、いま理事を務めている一般社団法人52Hzで、日本最大の海外大進学コミュニティや中高生向けの探究プログラムをオンライン上で運営しているのは、こうした僕の実体験からきています。例えオンラインでの繋がりだとしても、好きなこと・やりたいことに没頭して全力で頑張っている仲間や先輩を身近に感じられて、互いに切磋琢磨できる環境があれば、どんな環境からでも誰もが自分なりに未来を切り拓いていけるのではないか、と考えているんです。

世界8位でも海外大を合格実績に載せない高校

――いつ頃から本格的に海外大進学を考えるようになったんですか?

高2の11月頃ですね。周りが一気に受験勉強モードに切り替えていく中で、「あれ、果たして僕は受験勉強をするんだっけ……?」と考え始めました。それまでは授業もそっちのけで、目の前の課外活動に全力投球していたので、受験のことは後回しにしていたんです。でも、文化祭が終わって引き継ぎもひと段落した時に、周りが「とりあえず医学部」「なんとなく東大」と進路を決めていることにものすごく違和感を覚えました。

東大入試では、どうしても学力中心の選抜になってしまう。学力評価が悪いわけではないのですが、テストの点数だけが自分の価値ではないはずだと思ったんです。

一方でアメリカのトップ大学なら、高校の成績や英語力のスコアだけでなく、課外活動の実績やエッセイの文章も踏まえて、スキルや経験、ポテンシャルなど僕という人間を丸ごと評価してくれる。リーダーシップや起業家精神、問題解決力など、学力以外の側面も多角的に見られる方が、自分に合う環境に出会えると考えました。

――ご両親との交渉はどうだったんですか?

高2の冬に海外大学に進学したいと切り出して、話し合いました。アメリカは学費が高いため、「東大と併願した上で、東大以上のレベルの大学に合格して、かつ全額奨学金を取れたら進学しても良い」という条件に……。「最低でも東大」という厳しい条件でしたが、やはり海外で自分の力を試してみたいと思い、挑戦を決めました。

普通、東大と併願する人は米国大学への出願は5〜10校に絞るのですが、どうしても全額奨学金を取らなければいけなかったため、チャンスをできるだけ減らしたくなかった僕は、教育学が学べそうな上位大学30校に出願しました。

――高校の進路指導はどうでしか?

母校は、東大・京大・医学部の合格者数だけを意識しているような学校です。そのため、海外の4年制大学に現役で進学したのは僕がおそらく史上初めてだと思います。というのも、国内の大学しか合格実績に載せてくれないので、学校の公式発表では今までずっと海外大合格者はゼロで、真相がわからないんですよね。

そんな学校なので、「海外大受験するんだ、勝手に頑張ってね」みたいな感じでした。「必要なことがあれば対応するけど、英語はわからないから全部指示して」と。推薦状とかも、僕が大体の下書きを書いた上で、先生に清書してもらっていました。

英語の先生など数人の理解ある先生が味方になってくれて、その先生たちと一緒に出願準備を進めました。

共通テストは一夜漬け、東大2次は「3週間で対策」

――併願をしていた東大はどのように対策したんですか?

もともと推薦入試を目指していたのですが、高校から海外大志望だと推薦できないと言われてしまい、やむなく高3の秋に一般入試に切り替えたんです。とはいえ、僕の中ではアメリカのほうが優先順位が高かったので、共通テストはアメリカへの出願の合間に一夜漬けで乗り切りました。

2月頭までエッセイを書いていたので、東大2次のための勉強は3週間くらいしかやってないですね。必死で日本史と世界史を詰め込んで、過去問を3年分だけ解いて復習したらもう受験当日、みたいな感じでした(笑)。

――東大対策がその短さはすごいですね...結果はどうだったんでしょうか?

東大は文科三類に合格、海外はカナダのトロント大学(世界21位)、アメリカのワシントン大学(世界25位)、カリフォルニア大学サンディエゴ校(世界34位)、グリネル大学(米国19位)など30校中15校に合格しました。学費・生活費については、笹川平和財団とグルー・バンクロフト基金の全額奨学金に合格することができました。ただ、志望度の高い大学には落ちてしまったので、とりあえず東大に入学したんです。

東大の授業が始まって数日経った頃、UCバークレー(世界8位)から合格通知メールが届いたときは嬉しかったですね。

Acceleratorプログラムの様子

東大入学するも海外大へ移る決断

――東大からバークレーに移ることにしたんですね。

本当に悩みました。関西から上京して、東大生として東京で暮らすことの良さを実感し始めていたんです。

政治に関わりたければ永田町や霞ヶ関、ビジネスに携わるなら大企業の本社やスタートアップ、文化芸術に触れたければたくさんの美術館・博物館、どれも東京にありますよね。アメリカでは、政治はワシントンD.C.、スタートアップはシリコンバレー、経済はウォール街、文化はブロードウェイ、と機能が分散しているので、すべてにアクセスできる環境は魅力的です。

そして何よりも、「東大生」という肩書きの強さ。大学ではもちろん優秀な学生ばかりですし、大学の外に出れば「東大生」というだけで凄い人に会えるなど、いろんな機会が手に入ります。しかし、この環境に甘んじていてはいけないと思い、あえて厳しい環境に飛び込むためにバークレーへの進学を決めました。

――実際にバークレーに行ってみてどうでしたか?

正直、期待したものとはかなり違いました。特に、レクチャーやディスカッションの質が物足りなかったですね。

東大では、第一人者の教授が授業をしているので、レクチャーの質が高くて、ただ聞くだけでは理解しきれないこともあるほどだったんですが、バークレーは州立大学で学力にばらつきが大きいため、本当に基礎的なところから教わります。

あと、東大で僕の入っていたゼミがものすごくハイレベルな環境で、文理問わず優秀な学生が集まって、アカデミックな議論をできていたんです。それぞれの専門分野から理論を引用しながら、具体と抽象を行き来しつつ「社会はこうやって捉えると正しく理解できるよね」「それならこれをこうするべきだよね」と結論が導き出される。これは僕が想像していた大学の授業そのものでした。

一方で、アメリカでは、人種や国籍など多様な背景を持つ学生が集まっているため、こうした議論ができないんです。「私の国ではこうだった」「俺はこうだと思う」と色んな情報や意見を知ることはできるんですが、前提が違いすぎて平行線で終わってしまうので、ディスカッションに生産性がない。

議論をファシリテーションする英語力がなかった僕にも非はあるのかもしれませんが、何時間ディスカッションしても意見出しに終始して、結論を導く建設的な議論になりにくいのが現実でした。

社会学の授業風景

海外大のリアルな留学生活

――多様性がかえってマイナスに働いたということでしょうか?

その面は大きいと思います。確かに、多様な視点は揃っているのですが、特に僕のような留学生は、英語で理解して発言すること自体に集中力を使わなければならず、思考を深く巡らすのは難しいのではないでしょうか。

また、これはもともと覚悟していたことですが、大規模な総合大学なので手厚いサポートは期待できません。教務課に問い合わせメールを送っても返ってこなかったり、「わからないから〇〇に聞いて」とたらい回しにされたりするのが普通です。基本的に、情報は公式サイトやネット掲示板で自分で探すしかない。課外活動などの機会も競争倍率が高いので、コネがなければ手に入れるのは難しい。自分から能動的に動かなければ、何もできずに終わってしまうのがバークレーの環境です。

――1人でも頑張れる人じゃないと無理?

全米有数の競争が激しい大学・ストレスフルな大学と言われるほどなので、かなりサバイブしなければいけない環境だと思います。実際、僕が1年生のときに住んでいた寮では、今年度、試験期間中に飛び降りて自ら命を絶った新入生もいたようです。

そもそも、アメリカは社会全体で分断が広がっています。僕たちは年間1000万円の学費を払って大学に通っている一方で、講義棟の地下に行けばホームレスがたむろしていたり……。この国を形作ってきた民主主義政治や新自由主義経済が、そろそろ限界を迎えて社会に歪みが生まれているんです。

年に1〜2回は近所で発砲事件があり、毎朝外に出れば大麻の匂いがするような環境で2年間過ごす中で、「自分ならどこに行っても生きていけるな」と思えるくらいにはサバイバル能力がついたように感じます。

――そんな中で、谷津さんは精力的に活動されていますよね?

周りが大学の中でサークル活動や研究を頑張っている中、僕自身は主に大学の外で活動してきました。

海外大生の仲間と「グローバルで主体的な進路選択」の民主化を目指す一般社団法人52Hzを設立。助成金で約2000万円調達してベネッセと提携するなど、教育事業の立ち上げ・推進の責任者を務めています。

またインターンとして、HR Tech企業でtoBマーケティングをしたり、FinTechスタートアップの人事部で評価制度を設計したり、株式会社リクルートで新規事業を起案したりと、教育領域にとどまらず幅を広げて実務経験を積んできました。今も、教育系や人材系のスタートアップでの新規事業の立ち上げに、業務委託の事業開発職として携わっています。

こうして活動をする中での最大の収穫は、僕の学び方が大学とは合わない、という実感でした。僕は、体系的な理論を知ってもその学びを活用しきれず、結局、仕事などの経験から肌感で手応えを掴んだ学びや気づきを大事にしているタイプなんです。そんな僕にとっては、大学でディスカッションをするよりも、インターンや起業で自分の手を動かしているほうが有意義で成長できる時間に感じられてしまうんですよね。

――なるほど、アメリカの大学が一概に悪いわけではない、と。

その通りです。アメリカの大学だからダメというよりは、僕の肌に合わなかった、というほうが正しいですね。求めていたような学びや成長をするための環境としては物足りなかったんです。

このままあと2年間、ここで学士号を取るためだけに学ぶべきなんだろうか?と自問自答を重ねて、自分の時間を、今自分がやりたいことかつ社会的にみて自分がやるべきこと・自分にしかできないことに全力を費やしたいという思いから、ひとまず休学しよう、と決めました。

教育イノベーションの国際会議の授賞式

アメリカに行ったからこそ感じた「日本の可能性」

――現在は、日本に帰国してビジネスをされているそうですね。

はい。休学中は日本で自分の会社を立ち上げて、教育・人材業界で色んなスタートアップ・NPOと仕事をしよう、と考えています。学術的な探究よりもビジネスの世界で手を動かすことに関心が移っている今、大学に通うのは時間がもったいないと感じるので、実際に日本で事業を作って社会に自分なりのインパクトを与えることに集中したいです。

――なぜ日本でビジネスをやろうと思ったんですか?

アメリカで2年間過ごすうちに、日本がちょうど今、没落してしまうか再興できるかの岐路に立たされているのでは、と気づいたんです。経済大国としてまだまだ可能性を秘めている一方で、アメリカが抱えている様々な問題が10年・20年後には日本にもやってくる可能性も高い中で、今、自分がどう動くか次第で、この国の未来は大きく変わると思っています。

特に、少子高齢化する中で、聡明で決断力をもつ人がリーダーとなって社会構造を変えていかなければいけません。そのために、潜在的なエリート人材が、必要な機会やリソースを得られ、適切に評価されるような仕組みが必要です。

既存の民主主義や新自由主義に基づく社会システムは限界を迎えていて、日本社会全体が変革を迫られている。薩長の志士の活躍で武家社会から転換した明治維新のように、これを牽引するドライバーとなる人材が、再びエリートの中から生まれてこなければいけないと思っています。

でも、彼らが、名門大学に進学して大手企業に就職するという従来のレールに乗っていては、そんな社会変革は起きようがない。僕は起業家として、大学受験・新卒採用に囚われないルートで個々人の価値がもっと発揮される社会を、教育・人材ビジネスで実現したいと考えています。

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海外大or国内大?進路をどう選ぶ?

――海外大進学を考えている後輩たちにアドバイスをお願いします。

好きなことに取り組むのが一番です。僕自身、大学受験のために〇〇をしよう、という発想ではなく、好きだから課外活動に打ち込んできました。今、インターンや起業に没頭しているのも、実現したい未来があるからで、就活のガクチカのためではありません。

勉強も最低限は必要ですが、それ以上に、自分が本当に好きなこと・やりたいことを突き詰める時間が大切です。何かに没頭して、成果を上げていれば自然と将来の道は開けますし、それが結局は最も納得して進路を選ぶことにつながる、というのが僕の実体験です。

――進路選択の基準についてはいかがでしょう?

そもそも、海外大か国内大か、という軸がナンセンスです。最近は生成AIが発展し、大学に行かなくても学びを深めることができますし、僕のように、目指す将来の姿次第で、むしろ大学に進学すると遠回りなこともあるでしょう。自分がそもそも大学に行く必要があるのか、進学するのであればどんな環境でどんな学びをしたいのか、ゼロベースで考えてみてほしいです。

トランプ大統領による混乱はまだまだ収まりそうにありません。大学という制度や留学という手段にとらわれず、自分なりの学びをどう組み立てていくかを柔軟に考えてほしいですし、偏差値や大学ランキングといった社会的な指標を気にしすぎずに、自分らしく主体的に進路選択していくことが、これまで以上に大切になっていると感じます。