「ずっと親から医者になることを期待されていました。だから成績が落ちるたびに自分を責めてしまって……最終的には医者から鬱の診断を下されました。」
今回話を伺った結城玲那さん(仮名)は、幼い頃から両親に医師になることを強く期待され、そのプレッシャーと成績低下に苦しみました。期待に応えようと努力を続けた結果、心はどんどんすり減り、最終的には不登校と鬱を経験することになります。
「後々親と話すと、実は医者になることを強要していたわけではなかったことがわかりました。」
今回の記事では、結城さんの葛藤や「親の期待」が子どもに与える影響、そして彼女が見つけた新たな進路についてご紹介します。
親子で共有していた「医者になる」という夢
「玲那には、医者になってほしいな」
幼い頃、母親が何気なく放ったそのひと言が、後に彼女を苦しめることになるとは、当時誰も思っていませんでした。
結城さんの家庭では、「将来は医者に」という空気が自然と流れていました。本人も小学生の頃から勉強が得意で、特に夢もなかったことから、「医者になる」という選択を疑うことはなかったと言います。そして、医者になることがいつの間にか”人生のレール”になっていたのです。
「小学校時代から周りよりも勉強ができていたので、親も『医者を目指してほしい』と思うようになったんだと思います。期待されているのがわかったので、私もそれに応えたいと考えるようになって、医者を目指すようになりました。」
「そうしたら親もどんどんヒートアップして、小学生のうちから塾に通わせてくれたり、いろんな習い事をさせてくれたりして、私への“投資”が始まったのです。」
誰かに強制されたわけではありません。
しかし、親の“善意”と“支援”が、段々と本人にとっては“逃げ場のない義務”に変わっていったのです。
そうした流れの中で、ある日お母様から「中学受験をしてみない?」と提案されます。
「私自身、プライドが高い性格だったので、中学受験には前向きでした。どうせやるなら地元で一番偏差値が高いところへ行きたいと思い、そこを第一志望にしました」
そして結果は、見事合格。地元の誰もが知る名門中学への進学。
両親は褒め、本人も誇らしかったと語ります。
しかし、入学直後から思い描いていた“理想の中学生活”は静かに崩れ始めました。
陰湿ないじめ──外部生という立場の孤独
中学受験の末、地元の名門中学校に合格した結城さん。しかし、誇らしさと緊張を抱えて迎えた入学初日、すでに“空気”はできあがっていました。
実はその中学校は小中一貫校で、附属小学校からそのまま内部進学してくる生徒が多数在籍。結城さんのように外部から受験して入学した生徒はクラスに3〜4人ほどでした。
小学校からの“既存グループ”に囲まれる中で、彼女は徐々に孤立していきます。
「目の前にいるのにあからさまに悪口を言ってくるんです。」
教室のなかで聞こえる声は、わざとらしく大きく、そして鋭かった。持ち物、発言、先生との関わり方──何をしても、すでに出来上がった“輪”の外にいることを意識させられる。
内部生たちの輪に溶け込めず、孤独を感じながらもそれを誰かに言えず、結城さんは次第に学校に行くのが苦痛になっていきました。
そのストレスから、心だけでなく身体にも異変が表れ、拒食症にも悩まされるようになったと言います。
家庭での“優等生”という役割と、学校での“孤立した存在”
──このギャップが、彼女を内側から削っていきました。
「勉強自体は好きだったんです。でも、学校という場所の雰囲気や人間関係がどうしても耐えられなくて……」
それでも、「勉強で結果を出さなければ」という思いだけが、結城さんを支えていました。
中学3年の進路選択の時期、周囲の多くが目指した”県内トップの公立高校”ではなく、結城さんはあえて他の道を選びます。
「主要ないじめっ子たちも含めてみんな県内トップの公立高校を狙っていました。その学校の理系は医学部進学にも強かったので、医者になりたかった私も当然最初はそこを目指していました。」
「でも私はやっぱり新しい環境でやり直したいという思いが強かった。だからみんなと同じ公立高校ではなくて、”県内の私立高校で一番偏差値の良い学校”を受験しました。」
彼女が選んだのは、偏差値68程度の私立の進学校。
しかし、この決断が、次なる過酷な試練の入り口になってしまいます。
不登校の引き金となったコロナ後遺症
進学実績、偏差値、意識の高さ。どれをとっても県内屈指の進学校。
結城さんがその高校を選んだのは、「もう一度、自分を立て直したい」という一心。
いじめに傷ついた中学生活をリセットし、“新しい自分”を取り戻すための賭けでした。
しかし、そんな新生活も高校1年の終わりに新型コロナウイルスに感染したことで状況は一変します。
「当時は本当に苦しくて……。声が出なくなって、呼吸もつらくて、『私、死ぬかもしれない』と本気で思いました」
幸い命に別状はなかったものの、結城さんを長く苦しめたのはその“後”でした。
倦怠感、頭のもやもや、集中力の欠如──体は日常に戻ろうとしない。黒板の字は頭に入らず、問題文の意味もつかめない。以前なら10分で終わっていた課題に、何時間もかかるようになってしまった。
「プライドが高かった自分にとって、“成績”はアイデンティティそのものでした。目に見えて成績が下がっていくのが本当に怖くて……。」
彼女の高校は、難関大学や医学部を目指す生徒が多く集まる進学校。そんな中で、成績が落ち込み、いわゆる“深海魚”として学年下位層へと転落していく感覚は、彼女にとって強い恐怖と焦燥をもたらしました。そしてその感情は次第に罪悪感へと変わっていきます。
「親に申し訳ない」「成績が低い自分に価値はない」──そんな思考がぐるぐると脳内を巡ったと結城さんは言います。そして、医師からは“PTSD傾向、軽度の鬱”という診断が下されました。
「努力しても報われない。医者になりたいって、信じて頑張ってきたのに……。どんどん置いていかれるような感覚がありました」
高校2年の後半には、成績底辺を這いつくばる自分への絶望からどんどん気持ちが暗くなり、学校を休みがちに。両親は学校に行かないことに肯定的ではなかったと語ります。
「体調が悪いなら休んでいいよ」と言ってくれました。でもそれは「休んでもいいけど、できれば行ってほしい」という“静かな圧”を含んだ言葉にも聞こえてしまった。
「“医者にならなきゃ”という夢が、いつしか私を押しつぶす重荷になっていました。やってもやっても集中できない、成績はどんどん転がり落ちていく。でも両親の期待を裏切りたくない一心で、ひとりで抱え込んでいました。」
“優等生”というラベルを剝がされたとき、自分には何が残るのか。自分が何者なのかすら、わからなくなっていました。
原因の根幹は親とのコミュニケーション不足
心身ともに限界を迎えていた頃、結城さんは母親とじっくり話す機会を得ました。普段から親子の仲は良好でしたが、「将来」について本音で語り合うことは、意外にもこれまでほとんどなかったといいます。
「不登校になって、心がボロボロだった時に、母とゆっくり時間をとって話をしました。そうしたら、両親は“医者になってほしい”って、強く思ってたわけじゃなかったんです」
母の口から返ってきたのは、思いもよらぬ言葉でした。
『医者も目指せるくらい優秀だったから、つい言っちゃっただけよ』
たった一言の“つい”が、10年近く彼女の人生を支配していました。
「私は医者に興味があったわけじゃなかったんです。でも、親の期待に応えたい一心でここまで頑張ってきました。母は『あなたがあまりにも真面目に医者になるために努力してたから、こっちも“応援しなきゃ”って思って中学受験させたり塾に通わせたりしてたのよ』って言ってくれて……」
親は“応援”のつもりでした。でも娘は“義務”と受け取ってしまった。
どちらも間違っていない。しかし、どこまでも残酷に、すれ違っていました。
「この話し合いの後、母が『もう勉強はやめよう。まずは心の回復を大切にしようね』と言ってくれたんです。その後は“やれる範囲でやればいい”というスタンスに切り替わって、ずっと理系だったのを文系に変更して、ストレスのかかる科目から逃げられるだけ逃げました(笑)」
それ以降、結城さんは“やれる範囲でやる”というスタンスに切り替えたそう。医学部志望ゆえに選んでいた理系クラスも離れ、文系へ。ストレスの原因になっていた科目は、逃げられるだけ逃げたと語ります。
「逃げるって、大事なんだなって思いました(笑)」
“医者になる”という肩書きを失ったことで、自分を見つめ直します。
ーー本当は何が好きだったのか。何をやってみたかったのか。
忘れかけていた“過去の夢”が、ふと思い出されました。
「実は中学3年生の時、スペインに留学する予定だったんです。でもコロナでそのプログラムが中止になってしまって……。それでもやっぱり、私はスペイン留学がしたいと思ったんです」
かつて一度あきらめた夢が、心の奥から再び浮かび上がってきました。そこから結城さんは、スペインを軸にした大学選びを始めることになります。
封印していた夢が動き出すーースペインへの憧れ
“医者になる”というレールを外れて初めて、結城さんは自分自身と向き合うことができました。
そして思い出したのが、中学3年の時に幻となった夢。スペインへの留学です。
そもそものきっかけは小さな疑問でした。
「なんでメキシコの公用語がスペイン語なんだろう?」
中2の授業中、ふと思ったその疑問が、彼女のなかに“スペイン語圏への興味”を芽生えさせていました。
スペインの文化や食べ物を紹介するYouTube動画を観るようになり、少しずつ心が軽くなっていくのを感じました。興味はやがて行動に変わり、スペインに関わりのある人々へのインタビューを自主的に行うようになったのです。
「スペインの方にインタビューをしていったら、どんどん価値観が変わっていって。ネガティブで自信を失っていた私を前向きにさせてくれたんです。」
そして、元々志望していた医学部ではなく、スペイン語と異文化を本気で学べる大学を探し始めます。
行き着いたのが、法政大学国際文化学部でした。
もちろん、偏差値だけを見れば医学部より“下”かもしれない。
でも、それでもよかったのです。
「親の期待に応えるためじゃなくて、自分が本当に好きなものに向き合ってみようと思いました。ありがたいことに、親もすごく協力してくれて、スペインへの留学も応援してくれています。」
受験方式は、SA自己推薦。
書類にも面接にも、彼女の過去──中学時代のいじめ、鬱、スペインへの想いを丁寧に詰め込み見事合格を果たします。
彼女、実は筆者のお友達なのですが、今彼女は全力でスペインに向き合い、活き活きと大学生活を送っています。スペインへの情熱と頭のキレの良さは大学の成績にしっかり表れています!笑
「期待」が子を追い詰めることがあるという現実
親の期待は愛情から来ている。しかし、それが強すぎると、子どもは知らず知らずのうちに押しつぶされてしまうことがあります。
この記事では、「期待される子ども」がどのような心理的プレッシャーにさらされるか、そしてそれが心身の不調や不登校につながることがあるという実例を示しています。
結城さんのように、親の期待に応えようとするあまり、自分の本音を見失い、心を追い詰めてしまうケースは少なくありません。
しかし、親子が率直に向き合い、価値観をすり合わせることで、進路の軌道修正や精神的な回復は可能です。
結城さんの経験は、親子間での“期待”がどれほど重圧となり得るか、そして本音で向き合うことがどれほど大切かを教えてくれます。特に、親と子どもが互いに本音を語り合い、誤解を解消し合うことが、子どもの健全な成長に欠かせないことを痛感させられますね。

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