「不登校の時期があったからこそ、私は無敵になりました!!」
そう笑顔で語るのは今回インタビューさせていただいた土村優希さん(仮名)です。
世の中には自分の辛い経験すらも、誇りある過去に変えてしまう人もいます。それが土村さんです。不登校の期間、自分ととことん向き合い、様々な分野の知識をつけ、知見を広めた彼女は悟りを開きました。不登校のおかげで自分の世界を確立させ、周りと比べない精神を身につけました。つまり、無敵になったのです。
不登校であった過去を恥ずかしがったり、隠したがる人もいますが、そんな過去を活かして彼女は慶應入学への切符を手にしました。
自分とどのように向き合ったのか、不登校の過去が彼女にどのような影響を与えていったのか今回は深掘りしていきます!!
プロフィール
土村さんは、小中学校と公立校に通っていた、どこにでもいるような普通の生徒でした。
けれど、その内面には豊かな感受性と知的好奇心が宿っていました。
その要因の一つとして読書が大好きな「本の虫」として育ったことが挙げられます。
幼少期から読書が大好きで、特に手塚治虫の作品には大きな影響を受けました。
『火の鳥』や『ブッダ』を通じて、命とは何か、人間とは何かといった深い問いに触れ、自然と歴史や哲学に惹かれていきました。
演劇クラブでは脚本づくりに挑戦し、自分の内なる世界を表現する楽しさにも目覚めます。
勉強は「大好き!」とまでは言えなかったものの、自分の興味があることにはとことん打ち込む性格。
その姿勢が、後の語学学習や受験にも通じていくことになります。
他言語への興味
英語の学習をきっかけに語学の魅力に引き込まれた土村さん。
韓国語、ロシア語、中国語……次々に言語を学びたくなる衝動に突き動かされ、挑戦していきました。
言語を通して文化や価値観の違いに触れることで、自分の世界がどんどん広がっていく感覚を持ち始めたそうです。
「言葉って、その国の考え方そのものなんです。だから、言語を学ぶのは、その国の人を理解することでもあると思います」と彼女は語ります。
そんな思いから、「語学教育に強い学校」という軸で高校を選択。
推薦で進学した関東国際高校は、まさに彼女にぴったりの環境に思えました。
高校時代の努力
入学後の土村さんは、夢に向かって全力で走ります。
ロシア語学科を選択したため、ロシア語の習得に励みながら、上智大学の指定校推薦を目指し、学業にも真剣に取り組みました。
本来は人前に出るのが得意ではなかったものの、生徒会に立候補して役職を務めるなど、自分を変える挑戦も重ねていきました。
元から体が強くないため、体調面でも万全とは言えないなかで無理をして皆勤賞を達成し、1年次の評定平均は驚異の4.9。
「このまま突き進めば夢は叶う」ーーそう信じていた土村さんですが、人生はそんなに単純ではありませんでした。
皆勤賞から不登校に、、
2年生に進級すると、彼女を取り巻く環境が急変します。
語学クラスの編成が変わり、新しいクラスメイトとあまり馴染めず、、。
気軽に話せる人もおらず、居場所を失った土村さんは、だんだん学校に足が向かなくなっていきました。
また、指定校を目指すことに疲れてしまったのも一つの要因だと語ります。
結局、夏休み前の1ヶ月、土村さんは学校に通いませんでした。
1ヶ月学校を休んでしまうと、さらに不安は膨らみます。
「遅れた分の授業についていけないかも」「友人関係が変化していて馴染めないかも」「不登校を周りからどう思われているのか」といった不安が、学校に出向くことをより億劫にさせます。
最初は小さな不安の積み重ねでした。
しかし、さらに追い打ちをかけるように、指定校推薦へのプレッシャーがのしかかります。
「休んではいけない」「成績を落とせない」という強迫観念が、逆に心を追い込み、不登校を加速させました。
「ここまで休んだら、もう指定校は取れないかもしれない」と思うとさらに学校に行く気が失せていったそうです。
目標のために頑張っていたのに、頓挫し、学校に行けない自分を責め、将来が見えず、精神的にも限界を迎えていたそうです。
「将来が不安になりすぎて、泣きながら病院に通った時期もありました」と彼女は当時を振り返ります。
最終的に夏休み前の7月から11月までの約4ヶ月間、土村さんは不登校となりました。
通信制高校へ転入
それでも彼女は、完全に希望を失ったわけではありませんでした。
「学校には行けない。でも社会とは繋がりたいし、勉強したくないわけじゃない」
その気持ちを大切にし、親の勧めなどではなく、自ら塾を探して体験会などに出向き、通い始めたのです。
そこで出会ったのが、英語の担当教師だったM先生。土村さんにとって人生の恩師だといいます。
人生観にまで影響を与えたこの先生の存在が、土村さんの価値観を大きく変えていきました。
先生がくれた「受験だけが君の価値を決める物差しではない」という言葉に、はっとし、張り詰めていた糸がほどけていったといいます。
この先どうなっても大丈夫なように、保険をかけるため、11月に高校卒業認定を取得。
午後になったら塾に行く生活に慣れてきた頃、同級生のスクールライフをSNSを通して見て、社会と繋がりを持ちたいという気持ちが大きくなってきた土村さん。
自分の好きなこととの両立がしやすく、ストレスフリーな通信制高校への転入を考え始めます。
12月に通信制である飛鳥未来きずな高校に転入。
通信制高校では、10枚程度のレポート提出と5.6回の登校のみで単位が認定されるため、自由度の高い学びの環境に救われ、自分のリズムで学びを継続できました。
日中はM先生が教えてくれた世界(哲学・社会学・倫理学・歴史など)や興味のある分野の本を貪るように読み、夜は塾で勉強。
引きこもっていた時期に没頭したアニメ、映画、哲学書――それらすべてが、彼女の世界を豊かにし、結果的に「受験に必要な土台」となっていたのです。
「引きこもっていた時間すらも、今思えば宝物だった」と彼女は振り返ります。
晴れて慶應合格
2年生後半、塾の模試に向け世界史を1日10時間勉強するなど試行錯誤しましたが、うまくいかず挫折も味わいました。
受験勉強の最後の追い込みができず、焦りと不安に苛まれる日々。
「このままでいいのか」という葛藤のなかで、土村さんは“慶應の公募推薦”という道を見つけます。
1年生時の努力のおかげで、休学期間がありながらも評定平均は4.3。そして、適応障害で苦しんだ自分だからこそわかる真の人間の弱み。
「私だからこそ言えることがあるかもしれない」 そう思って出願を決めた土村さんは、今までの自分の人生を正直に、包み隠さずに、書き綴りました。
不登校になった理由も、精神的にしんどかったことも、すべて。
以下、実際の志望理由書です。
- 高等学校では何に力を入れ、どのような成果を上げましたか。具体的に書いてください(資格を取得した場合は、そのことについても触れてください)。また、可能な限り、それらを証明する資料(コピー等)を添付してください。
高等学校では、主に語学の勉強に力を注いだ。中学3年時の近代世界史の授業で、ソ連の特殊な国家形態や文化に興味を持ち、それがきっかけで前校ではロシア語を専攻し、ロシア語検定4級を取得した。また、より深くロシア語を学びたいと思い、オンラインの日露高校生交流会に参加し、ロシア人の高校生と協力して『100万回生きた猫』に基づいた5分程度の映像作品を制作した。私は台本作成と動画編集を担当し、同じく台本作成の担当だったロシアの高校生と言語の壁を感じながらも、お互いの意図を努力して伝え合い、理解し合いながら作品を完成させた。加えて、映画『ラストエンペラー』に感銘を受け、中国語を1年間学び、ロシア語と並行して勉強しながら、中国語検定準4級を取得した。
前校では生徒会に所属し、クラスリーダーとして積極的に学校行事に参加した。世界22カ国の生徒が参加する世界教室という行事では、各国の生徒に向けて日本文化に関するプレゼンテーションを行い、様々な国の学生と共に互いの文化的知見を深めた。さらに、勉強が得意でなかった同級生には、放課後を利用しテスト前などに一緒に勉強をした。その中で彼らが意欲的になっていく姿を見て、教えることの喜びと、実際に成績が向上した際にはやり甲斐も感じた。
現在の学校に編入後は、特に大学受験の準備に専念した。その過程で今年の9月には、合格こそできなかったものの、CEFRB2に相当する英検準1級cseスコア2342点を取得し、10月に受けた英検準1級一次試験は1892点で合格した。加えて、フレキシブルに時間を活用できるという単位制高校の利点を活かし、様々な本を読んだ。その中でも宮台真司先生の著書に特に大きく感銘を受け、現在同氏の私塾で社会学の講義を受けている。
- 文学部を志望したのですか。また、文学部で何を学び、将来、どのように活かそうと考えていますか。具体的に書いてください。
私が貴塾文学部を志望する理由は、私の心の豊かさを取り戻してくれたのが文学だったからである。前の高校では適応障害に苦しみ、不登校となり、最終的に今の高校に編入した。自分がこれまで築き上げてきたものが崩れ去るような感覚と、未来への漠然とした不安に苛まれたが、その中にただ一差し込む光があった。それは予備校での英語の授業だった。先生は英語の長文を読むための前提知識として、ミシェル・フーコーやマイケル・サンデル、宮台真司などの引用を紹介し解説してくれたのだが、 その圧倒的な客観的視点と美しい言語表現に、私の心は大いに揺さぶられた。また、文学は豊かな心を育むだけでなく、知識を通じてメタ的思考を可能にすることを示してくれたのである。私は文学との出会いをきっかけに日々の生活が希望に満ちたものとなり、多様な知識を得ることで、絶望の中での視点を一人称から三人称へと切り替え、前向きな未来への一歩を踏み出せるようになったのだ。
また、私は社会学、倫理学、哲学、史学など文学に関する様々な分野に興味を持っているため、第一学年では専攻を決めず自由に学ぶことができたり、専攻決定した後でも自分の専攻以外の科目を履修できる貴塾文学部での開かれたカリキュラムが適していると感じた。そして、貴塾文学部で学芸全般を包含する「知」と向き合い、それを活かすことをもって子どもたちへ希望を与える教育者になりたい。
「希望を与える」ことを強調する理由は、ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』に由来する。この本には、クリスマスから新年にかけてホロコーストの被収容者が急激に亡くなるのは、「クリスマスには家に帰れる」という希望が失われてしまうからであり、希望は人間が生きるために大きな役割を果たすという示唆がある。したがって、一般的な社会の枠組みから外れ、絶望に陥ってしまったかつての自分のような子どもたちに、希望を持たせる手助けをしたいのである。加えて、良質な教育へのアクセスには環境と運の要因が大きいことを認識しており、私はどうすれば格差の教育格差を可能な限り是正し、多くの子どもたちが同じ機会に恵まれるのかを貴塾での学びを通して見つけたい。
「高校のブランドではなく、ありのままの自分で勝負したい」――その思いが、書類にもにじみ出たのでしょう。
結果、見事に合格通知を手にしたのです。
まとめ|「競争の仕組み」を知ることが、武器になる
土村さんの経験が教えてくれるのは、「外れること=失敗ではない」ということです。
むしろ、一度レールから外れて、 ストレスフリーな環境で好きなことを追い続けたからこそ、自分にとっての本当の価値や道が見えることもあります。
たとえ一度つまずいても、それまでに積み重ねた読書や好奇心は決して無駄にならない。
「人生すべてに意味がある」と信じることが、未来を切り拓く力になるのです。
「社会に出ていなかった時間も、全部が意味のある蓄積となった」
そう語る土村さんの言葉は、今つらい思いをしている誰かに、そっと希望を灯してくれるはずです。
今、悩んでいる受験生へ。
「好きなことをしろと言えど、人生やらなきゃいけないことをしなくちゃいけない瞬間は絶対にある。でもそういう辛い目にあっている間に、自分の好きなことを見失わないようにしてほしい。自分がそもそもなぜこれをやっているのかということを常に考え続けてほしい。」
これは、困難を乗り越えた彼女こそが言える温かいメッセージです。





.png&w=3840&q=75)

.png&w=3840&q=75)
.png&w=3840&q=75)









.png&w=828&q=75)
.png&w=828&q=75)

