「とりあえず医者になれば安泰だ」とか「医者になれば万能になれる」なんて考えで進む必要はない――。
こう語る坪倉正治教授は、医師を「兵隊」に仕立て上げる現在の医学教育と、日本医療の構造的課題に警鐘を鳴らす。坪倉教授は、灘高校→東大理三へと進み、東大医学部で学んだ経験を持つ。
医師としてのキャリアでは、東日本大震災の際に福島県での医療活動を行い、通常の診療に加え、ホールボディカウンターを用いた内部被曝検査を実施し、また住民への説明会も行ってきた。災害医療を通して「社会のために何ができるのか」を問い続けた結果、彼は被ばく線量調査と地域医療支援に奔走し、医療の現場と教育の両面から“変革”を起こそうとしている。
今回はそんな坪倉教授に、自身の教育経験と日本の医療の目指すべき姿について詳細にインタビューした。
「とりあえず医学部」を目指す学生も多いなか、なぜ医師が「安泰」ではないと語るのか。その本意に迫った。
インタビュー担当者:落合響

個性豊かな同級生に囲まれる灘時代
インタビュアー(以下、落合): 坪倉先生は中学受験で灘中学校に進学されています。当時、周囲には優秀な生徒が多かったと思いますが、どのように勉強に取り組み、どんな影響を受けましたか?
坪倉正治教授(以下、敬称略): そうですね、灘に入学して最初は自分の勉強法を見直す必要に迫られました。たとえば高校1年生の頃に予備校で履修した英語の授業で、自分は語彙力が全然足りていないと痛感したんです。
「今まで読めたはずの英語が、全然分からない」と。高校3年生のクラスを少し背伸びして取っていたので、当たり前ではあるんですが(笑)。
それで、「このままじゃまずい」と思いまして、当時必死に単語を書き出して暗記しました。1か月くらいで3,000語ほど覚えたんです。そうしたら英語の文章がスラスラ読めるようになって、成績もぐんと上がりましたね。
周りにも同じように猛勉強する生徒がいましたが、それ以上にとんでもなく個性的な生徒がたくさんいました。
落合: 個性的というと、どんな感じでしょうか?
坪倉: 本当に色々なおかしな奴がいましたよ(笑)。授業中に突然叫んで倒れこんでしまうような人がいたりして…当時は驚きましたが、灘ならではのエピソードかもしれません。先輩たちの代では、科学部の生徒が自作の爆弾を中庭で爆発させて一部を破壊し、翌日その部活が消滅した、なんて有名な逸話もありました(本当かどうかはわかりませんが、灘ならあり得るなと思わせる話です)。僕の在学中も、パソコンを自作してプログラミングに没頭しているような生徒がいましたね。
落合: 灘高校での6年間は刺激的ですね。周りに“天才”だらけの環境で、坪倉先生ご自身はプレッシャーを感じたり、「自分も彼らのようになりたい」と思ったりしましたか?
坪倉: 周りは本当にすごい奴ばかりでしたが、正直「自分もああなりたい」とは思いませんでした。というのも、自分はいわゆる天才肌ではなく、努力型の凡人だと自覚していたんです。ドラゴンボールで例えると、周りの一部はサイヤ人みたいなもので、自分はあくまで地球人なんですよ(笑)。
地球人の中では運よく最強クラスだったかもしれないけど、サイヤ人(天才)には敵わない、そんな感覚です。実際、普通のドリルを解くような感覚で、数学オリンピックの難問を解き続けているようなクラスメイトもいましたから。
「そこまでやる情熱は自分にはないし、とても太刀打ちできないな」と。逆に言えば、自分はそこまで極端に突き抜けた興味はなかったのかもしれませんね。
そして理科三類(東大理三)に進むには全科目をバランス良くこなす力が求められます。数学だけ飛び抜けていて英語はまるでダメ、というタイプでは理三は受からないし来ないんです。
実際、灘の「サイヤ人」的な連中は英語や他の教科に興味がない人も多かったので、理三を目指す人は少なかったですね。
僕はと言えば、突出した才能はない代わりに全教科をまんべんなく伸ばそうと意識していました。英語も数学も理科も社会も、平均して8割取れる“オール80点”みたいなタイプを目指したんです。
極端な天才型は得意科目なら満点でも不得意分野は壊滅的だったりしますが、僕ら凡人は80点を揃えて戦うわけです。結果的にそのほうが入試では強かったりもするんですよね。

僕は人と接する仕事がしたかった
落合: 東大の理科三類を目指そうと決めたのは、いつ頃だったのでしょうか?
坪倉: 明確に「東大理三に行こう」と意識したのは高校生になってからですが、元々漠然と「将来は士業(医師や弁護士などの資格職)がいいな」とは考えていました。というのも、僕は人と接する仕事がしたかったんです。
コンピューター相手にずっとコードを書くとか、マウスを使って実験だけする、といった人間と関わらない仕事は自分には向いていないと感じていました。それよりも、人という得体の知れない生き物相手にする仕事に惹かれたんです
。コンピューターなら同じ入力をすれば同じ出力が返ってきますが、人間は同じ質問をしても日によって違う答えが返ってきたり、まったく反応がなかったりする。
そういう予測不能で不思議な存在である「人間」への好奇心が昔から強かったんですね。だからこそ医師という職業には大きな魅力を感じました。医療であれば科学的な探究もできるし、人とも深く関わることができますから。一石二鳥と言いますか、自分の興味関心に合っていると思ったんです。
それに当時の灘高の同級生たちは、大半が「とりあえず東大」志向でした。今でこそ海外大学への進学など選択肢はいろいろありますが、当時はほとんど考えられなかった。みんな東大か、せいぜい京大医学部に行くという雰囲気で、「海外に行く」とか「敢えて別の道へ」なんて話は一切出ませんでしたね。
僕自身、地元を出て東京に行きたい気持ちもありましたし、どうせ医学部に行くなら一番難しいところを目指してみよう、と素直に思えました。幸い両親から「医者になれ」と言われたわけでもなく、自分で自由に選べたんです。
ちなみに親族に医師は一人もいなくて、医者とは無縁の家庭でしたよ。それでも医学部を志したのは、自分の性格に合っていると感じたからでしょうね。
落合: 受験勉強は順調でしたか?理三となると相当な難関ですが…。
坪倉: 勉強はやっぱり大変でした。決して「楽勝だった」なんてことはないですよ。ただ、高校3年のときには模擬試験でA判定(合格圏内)を外したことは一度もありませんでした。たしか全国模試の成績も一桁台に多くは入っていたと思います。結果だけ見れば順調だったのかもしれません。おかげで東大理三には無事現役合格できました。
落合: それはまさに“地球人の中では最強クラス”ですね(笑)。
坪倉: まあ…結果だけ聞くとそうかもしれませんね(笑)。でも自分としては目の前の勉強に必死で、正直「何のためにこんなに勉強しているんだろう」と思い悩む瞬間もありました。それでも「東京に行きたい」「医学部に入りたい」という思いで踏ん張れました。
医学部時代とキャリア選択
落合: なるほど。自然と医師への道に進まれた、と。そして実際に東京大学理科三類に入学してみて、いかがでしたか? 勉強は順調でしたか。
坪倉: いえ…大学の授業で印象に残っているものがほとんどないんです(苦笑)。「この先生の講義は面白い」と思える授業が一つもなかった。お恥ずかしい話ですが、医学部に入ったものの、肝心の医学の面白さが分からなくなってしまって…。
落合: 医学の面白さが分からなくなる…。それはまた意外ですね。東大医学部といえば一流の教授陣による最先端の教育というイメージですが、坪倉先生にとっては退屈に感じられたと。そんな坪倉先生が、今では大学に残って教授をされているというのは、少し皮肉にも思えます(笑)。
坪倉: 確かに、自分でも不思議に感じる部分はあります。当時は医学への興味を失いかけていたのに、結局は研究の道に進んで大学に残ったわけですから。実はこれには流れがありまして…東大医学部の場合、研修医を終えて専門医資格を取り、ある程度のキャリアを積むと、ほぼ全員がそのまま医学博士号(Ph.D.)を取得するために大学院に進むんです。
いわば、教員免許を取るように次の称号を取るのが当然になっている。私も例に漏れず、深く考えないまま、一度勤務医を経験したのち、大学院に進学しました。
実際、医療の世界から離れた世界で自分を試したいと思い、医学部5年生の頃(学部卒業の少し前)に一般企業への就職活動をしたこともあります。周囲にも同じように「医師の道から外れてみよう」と動き出した同級生が何人もいました。
私と同じ東大医学部の同期で、実際に医師にならず別の道に進んだ人間は少なくありません。例えば、地方自治体の首長(市長)になった者や、訪問診療のアプリを開発して起業した者もいます。他にも医療系スタートアップの経営者になった友人もいましたし、医療とは違うフィールドで活躍する道を模索する仲間が周りに結構いたんです。
医学部=全員が臨床医になるわけではない、という空気は当時の理IIIの同期の中で徐々に生まれていました。
私は最終的に「目の前の患者さんが困っている時に、なんとかできないと、医者というのは意味がない」と当時の指導教官に伝えていただいたことが転機で、まずは医師としてキャリアを歩むことに決めたんです。
落合: そのようにして医師のキャリアを選ばれたんですね。ただ、当時からあまり研究者志向ではなかった、と。
坪倉: はい。研究そのものに強い情熱があったというより、周囲に合わせて進学した形です。しかも正直なところ、自分が所属していた研究の世界にも違和感を抱いていました。大学の医局社会って、どうしても身内の人間を教授にしたりと派閥争いの色が濃くなりがちです。そういう閉鎖的な構造を目の当たりにして、このまま研究者の道を進むことに疑問を感じていました。どこかモヤモヤしていたんです。
落合: モヤモヤを抱えつつも、とりあえず大学院まで進んだわけですね。そんな折の2011年3月、東日本大震災が発生しました。

東日本大震災と福島での医療支援
落合: 坪倉先生は震災直後、福島県に行かれたそうですね。どういう経緯だったのでしょうか?
坪倉: はい。その当時、私はちょうどフランス・パリにいまして、学会後の休暇を取っていたんです(苦笑)。そこへ日本に残っていた上司から電話がかかってきまして、「福島県の相馬・南相馬あたりが今大変な状況だ。すぐ行ってくれ」と言われました。私の上司がその地域の関係者と知己で、「あそこが本当に困っている。とにかく南相馬市役所に行ってくれ」という指示でした。
落合: パリにいた先生に突然「南相馬に行け」という電話が入ったんですね。
坪倉: そうなんです。正直、大阪出身の私には福島の浜通り(太平洋岸の地域)がどの辺かピンと来なくて、「福島って…?」という感じでしたが、とにかく急いで日本に戻りました。
そして震災から数週間後には南相馬市役所に入りました。まずは市役所に行って情報を集め、できることを何でもするという状況でした。
落合: 現地では具体的にどのような医療支援活動をされたのですか?
坪倉: 最初は本当に手探りの状況でした。私自身、正式な災害医療チーム(DMATなど)の一員ではなく、個人で現地に飛び込んだ形です。ですから与えられた任務があったわけではなく、とにかく必要そうなことを何でもやりました。避難所を回って体調の悪い方を診察したり、薬を届けたり、臨時の診療所を設置するプロジェクトの支援をしたり…。まさに混乱の中で、目の前のニーズに応えるのに必死でしたね。
落合: パリでの平穏な日常から一転、被災地の苛酷な状況に飛び込むのは相当なギャップだったのでは?
坪倉: まったく別世界でした。数日前までシャンゼリゼを歩いていた自分が、一瞬で被災した町に立っているわけですから…。ただ、目の前で困っている人がいる以上、「大変だ」なんて呑気なことは言っていられません。無我夢中で走り回るうちに、いつの間にか2週間が過ぎ、3週間が過ぎ…。気が付けば、「もう少しここに留まろう」と自分で思うようになっていました。

落合: 当初は短期の支援のつもりだったのが、現地に残ろうと?
坪倉: はい。普通、災害医療の応援に行く医師は長くてもせいぜい数週間ですし、私も最初は「落ち着いたらすぐ東京に戻るだろう」と思っていました。ところが実際には南相馬に約1年間以上とどまることになりました。
落合: 1年ですか! それは異例の長さですね。なぜそこまで長く留まる決断を?
坪倉: いくつか理由があります。一つは、現地の状況がそう簡単には改善しなかったことです。支援の手が常に必要でしたし、自分が途中で投げ出すわけにはいかないという責任感が芽生えました。それからもう一つ大きかったのは、現地で住民の健康チェックを本格的に始めたことです。避難された方々の放射線の量を測ったり、健康状態を継続的にチェックしたりといった取り組みですね。これは長期的にやらなければならず、「自分がやらねば」という気持ちになりました。
落合: 被災直後から健康調査まで手がけていたのですね。
坪倉: はい。現地で集めた様々なデータは、後に研究としてまとめることになっていきますが、最初はそれどころではありませんでした。もちろん、人によっては「そんなことをしている余裕があるのか」と批判的に見る向きもありました。「被災者を研究のモルモットにするのか」といった声ですね。災害の只中でデータを得て、それを被災者にできるだけ早く返していくサイクルを回すことはとても重要でした。しかし、その思いは簡単には伝わりません。でも、医療者の立場から言えば、こうした健康情報がなければ次の適切な対策も立てられません。被災地で起きている健康影響をきちんと記録・分析することも、長い目で見れば住民の役に立つと信じて続けました。
落合: 批判を受けながらも、あえてデータを集め続けた。
坪倉: はい。目の前の診療に活かすことが最も大切なことですが、加えて将来のためにも必要なことだと思ったからです。結果的にその経験が、自分自身の生き方を大きく変えることになりました。よく「人生観が変わった」と言いますが、まさに3.11が私の人生の転機になったんです。
あの経験を通して、医者としての本当のやりがいを初めて感じることができましたし、「医療とは何か」「医療者は社会とどう関わるべきか」を深く考えるようになりました。それまでは言われるがままなんとなく医者をやっていましたが、福島での活動を通じて初めて明確な使命感が芽生えた気がします。同時に、日本の医療や医学教育の在り方にも疑問が湧いてきました。「日本の医療はこのままでいいのか? 医学部で学ぶ内容や仕組みはこれでいいのか?」と。
医学教育への問いと改革の必要性
落合: 福島での経験を経て、日本の医療や医学教育に疑問を持たれたとのことですが、それは具体的にどういう点でしょうか?
坪倉: 例えば、日本の医学部教育は長年大きな変革がなく、古い体質のままだと感じます。6年という長い教育期間の割に、学生が受け身で過ごせてしまうというか、学部教育が形骸化している部分があるんです。正直、東大医学部ですら「学生の努力任せで、詰め込みに傾斜しすぎている」と思いますし、日本全体で見ても医学生の教育内容が十分とは言えないでしょう。
落合: 形骸化している、ですか。
坪倉: はい。医学部を出て国家試験に受かり、初期研修を終えれば皆それなりに一人前の医師になります。ただ、その過程で身につくのは、あくまで「与えられた知識や手技を確実にこなす力」です。良く言えば実務能力に長けた人材が育つのですが、裏を返せば、典型的な『兵隊』を大量生産するような教育なんですよ。
落合: 『兵隊』ですか。
坪倉: ええ。決められたことを忠実にこなす「よく訓練された兵隊」を育てることには長けているという意味です。同じタイプの人間を揃えて、最低限必要な知識と技術を叩き込む。その点では日本の医学教育は優秀なんです。実際、受験戦争を勝ち抜いて医学部に入ってくる学生はみんな真面目で努力家ですし、与えられた課題には徹底して取り組む。優秀な兵隊が揃うわけです。
落合: しかし、兵隊ばかりでリーダーが育たない、といった状況でしょうか。
坪倉: まさにその通りです。日本は個々のレベルは非常に高いのに、組織のトップに立つリーダー層が弱いと言われますが、医療の世界も例外ではありません。医師それぞれは真面目で有能でも、大局的な視点で医療全体を動かせる人材が少ない。フランスにはグランゼコールのように国のリーダーを養成する教育機関がありますが、日本にはそうした仕組みがないですよね。結果として、兵隊のレベルは世界最高水準なのに司令塔が不在というアンバランスが生じている。各人は優秀なのに組織としてうまく機能しない…そんなもどかしさがあります。
落合: 確かに、日本全体に通じる話かもしれませんが、医療分野でも同様とは驚きです。
坪倉: ええ。医師個々の能力は日本では高いと思います。ただシステム全体を見ると、既得権益を守ることが優先されて、新しいことに挑戦しにくい構造になっている。例えば医師会なんかも、国民の健康増進より自分たちの診療報酬(収入)を守ることに必死になっているように見えます。医療の本質的な発展は二の次…そんな印象すら受けますね。
落合: 医療制度の既得権益…耳が痛い話ですが、それだけ根深い問題なのでしょう。
坪倉: 現場の医師一人ひとりは目の前の患者さんを診ることで手一杯ですし、それ自体は尊いことです。ただ仕組みとして見ると、医師が忙しすぎても他の職種に業務を任せられないとか、人手が足りないのに医学部の定員を増やせないとか、様々な歪みがあります。
本当は医師が足りないなら医学生を増やせばいいし、医師以外でもできる業務は看護師や薬剤師に任せればいい。でも現状は医師不足と言われながら、医師の権限は既得権としてがっちり守られているんです。
落合: 制度的な障壁があるわけですね。
坪倉: はい。だからこそ、医療の世界にも多様なキャリアパスやビジョンを持った人材がもっと必要だと思っています。皆が皆、同じ価値観で「とにかく与えられた患者を診ろ」と突き進むだけでは、いずれ行き詰まってしまう。もう少し大局的にどうすればいいのかを誰もまともに言い出さないまま、前にある課題を一生懸命解いている状況が続いているのが、今の閉塞感につながっているのではないでしょうか。
落合: 医師は患者を診てなんぼ、という価値観だけでは限界があると。
坪倉: ええ。ですから私は、医学教育の段階から本当は変えていかなければならないと考えています。ただ、現実問題として今の高校生や医学生に「君たち全員リーダーシップを身につけろ」と言っても難しいでしょう。まずは、今自分たちが受けている教育の性質を正しく認識することが大事だと思うんです。「今自分が受けている教育は兵隊を作るためのものなんだ」という視点を持つか持たないかで、学び方も変わってくるはずですから。
若い世代へのメッセージ
落合: そうした問題意識も含めて、最後にぜひ医師を志す若い世代にメッセージをお願いします。どんな心構えで医療の道に進むべきか、坪倉先生のお考えをお聞かせください。
坪倉: そうですね…。まず知っておいてほしいのは、先ほども言ったように今の医学教育を受けてもリーダーシップは身につかないということです。医学部に入れば高度な知識と技術は身につきますが、同時に価値観まで画一化されて「兵隊」に仕上げられる可能性が高い。
だからこそ、自分なりの視点や問題意識を持ち続けてほしいんです。皆が何も考えずに画一的な兵隊になってしまったら、組織全体が一斉に同じ方向に突き進んで、最悪の場合一蓮托生で行き詰まってしまう危うさもあります。
落合: 自分の頭で考え、多様性を持つことが重要だと。
坪倉: ええ。その上で、全員がリーダーになる必要はありませんし、全員がなれるわけでもありません。私自身、「自分が率先してリーダーになる」と大見得を切れるタイプでもありませんから(笑)。ただ、「与えられたことだけをやる」姿勢ではなく、「おかしいことはおかしい」と疑問を持ち、より良い方法を模索できる人が増えてほしいと思います。医療の現場には、そういう多様な発想を持った人材が絶対に必要なんです。
落合: 型にはまらず主体性を持った人に期待したい、と。
坪倉: もう一つ大事なのは、医師という職業に対して変に夢を見すぎないことです。「医者になれば何でもできる」「お医者さんは偉い」なんて幻想を抱いていませんか?(笑) 確かに医師は社会的に尊敬される仕事ですが、現代の医療はチームで行うものですし、専門分化も非常に進んでいます。一人の医師がすべての病気を診られるわけではありません。昔のテレビドラマに出てくるような「何でも診てくれる町のお医者さん」は、現実にはもう存在しないんです。
落合: 理想化された「スーパードクター像」を追いかけても現実とはギャップがある、と。
坪倉: はい。ですから「とりあえず医者になれば安泰だ」とか「医者になれば万能になれる」なんて考えで進む必要はありません。逆に言えば、その現実を受け止めた上で、それでも医療の世界でやりたいことがある人に来てほしいですね。
極端な話、「とりあえず食いっぱぐれないから医学部に行く」という程度の動機でも構いませんし、実際そういう人も大勢いるでしょう。でも、それは自分で「何も考えず兵隊になります」と宣言しているようなものですから(笑)、できれば将来的にはもう一歩踏み込んで、自分なりの志やビジョンを持ってもらえたらと思います。
落合: 現実を直視した上で、それでもなお強い志を持った人にこそ挑戦してほしいということですね。
坪倉: おっしゃる通りです。医療界には、変革を起こそうという意志を持った人材がもっと必要です。たとえ今のシステムが旧態依然としていても、「自分がおかしいと思うことは何とか変えていこう」という気概のある人が増えれば、必ず少しずつでも状況は良くなるはずです。そういう前向きな挑戦を、若い世代にはぜひ恐れずにしてほしいですね。

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